昨日のブログで“うーん、歯がゆい…”なんて
ボヤいていたら、
さっそくアドバイスをいただきました。
その指摘はすこぶる簡単なことでした。
それは考えないこと。
そっか、そうですよねえ。言われてしまえば
そうなんだけれども、
考えること自体は自然なことともいえる
と思うんですよね。
ただし、これまで導引を通じて学習してきたことは
「自然な行為ほど意識でコントロールする必要がある」という、
いわば“無意識の意識化”ということ。
この法則に従えば、考える行為もあてはまることになります。
こうすることで俗にいう“腹八分目”
という節度があらゆる行為に働くことになるようです。
節制とは暴飲暴食や生活習慣の乱れを
戒めることとも違うようです。
生命力も含めてセーブモードに保つこと、
余裕を持つことのようです。
疲れる前に休息する。余力を残すことです。
精も根も使い果たしてしまったら明日はありません。
それは最期を迎えるときだけでいいと思います。
考えるべきことと考えなくてもいいことは
確かにあると思います。
考えることがないと無理やり考え事を見つけてくる
みたいなところもあるのかもしれません。
何でそんなにしてまで考えていたいのでしょうか。
ひょっとして何もしないでいることが
怖いのかも?
ボヤいていたら、
さっそくアドバイスをいただきました。
その指摘はすこぶる簡単なことでした。
それは考えないこと。
そっか、そうですよねえ。言われてしまえば
そうなんだけれども、
考えること自体は自然なことともいえる
と思うんですよね。
ただし、これまで導引を通じて学習してきたことは
「自然な行為ほど意識でコントロールする必要がある」という、
いわば“無意識の意識化”ということ。
この法則に従えば、考える行為もあてはまることになります。
こうすることで俗にいう“腹八分目”
という節度があらゆる行為に働くことになるようです。
節制とは暴飲暴食や生活習慣の乱れを
戒めることとも違うようです。
生命力も含めてセーブモードに保つこと、
余裕を持つことのようです。
疲れる前に休息する。余力を残すことです。
精も根も使い果たしてしまったら明日はありません。
それは最期を迎えるときだけでいいと思います。
考えるべきことと考えなくてもいいことは
確かにあると思います。
考えることがないと無理やり考え事を見つけてくる
みたいなところもあるのかもしれません。
何でそんなにしてまで考えていたいのでしょうか。
ひょっとして何もしないでいることが
怖いのかも?