最近になって自分の性格的傾向に
改めて気がつきました。
坐骨神経痛の症状が出てきて
かれこれ半年以上のつき合いになるのですが、
一向に慣れません。
痺れや左足に走る痛みの感覚は常に気になっています。
太極導引をすると一時的に改善されるのですが、
正直、運動中はラクとは言えません。
ストレッチでも左足にピリッ、ピリッと走る度に
筋肉が緊張します。でも、練習が終われば
ちょっとの間は痺れも軽くなって、
体内に流れを感じることができるんです。
痛みや痺れている状態にはだんだん慣れてくるというか
感覚が麻痺してくるというのか。
違いますね、痛みや痺れがない状態が
どんな感じだったか思い出せなくなるんですね。
忘れてしまう。
これが日常化、習慣化(慢性化?)というものなのでしょう。
実は、先日整体を受けていて
胸椎の一、二番あたりがズレていると言われました。
ストレッチをしたりするだけでも
改善できる程度のものだと言われているのに、
心情的には“今度はこっちかいな”といった
追い打ち的な状況としか考えられなくなってくるのです。
ですから口から出る言葉も
「(ズレている状態は)あまり良いことではないですよね」とか
「危ないですね」といった悲観的なものばかりです。
痛みや痺れと付き合うことにくたびれてきたというか、
こういう種類のものを受け容れるだけの
精神的余裕はなくなってきてますね。
臆病になってます。
臆病というのも心理的には縮こまった状態ですね。
こういう精神的な萎縮も一種の緊張状態なのかしらん。
もしそうだとすると、これまでの人生において
緊張状態は恒常的なものかと思われます。
思い当たることが多々あるんですね。
これは一生の問題かもしれない。
大小取り混ぜた失敗の数々のうちで、
懲りずに繰り返している類のものがあると思われるのですが、
これが…カギなのかな?
いうなれば自分を信用していないのです。
裏切られて痛い思いをしたことを
心のどこかで許さないでいる自分がいるらしいです。
自分に対して過度の期待をかけた自分が悪いのに、です。
思いこみの尺度で現実の自分を測っているだけなのに。
物差しが間違っているのに。
何に対して誰に対して萎縮しているのでしょうか。
何だか自分でもよくわからなくなってきました。
うーん、どうしてこんなめんどうくさい生き方を
するのでしょう、したいのでしょう。
バランス的にもどうかと思いますよね。
やっぱり臆病は“病”なのかしらん。
改めて気がつきました。
坐骨神経痛の症状が出てきて
かれこれ半年以上のつき合いになるのですが、
一向に慣れません。
痺れや左足に走る痛みの感覚は常に気になっています。
太極導引をすると一時的に改善されるのですが、
正直、運動中はラクとは言えません。
ストレッチでも左足にピリッ、ピリッと走る度に
筋肉が緊張します。でも、練習が終われば
ちょっとの間は痺れも軽くなって、
体内に流れを感じることができるんです。
痛みや痺れている状態にはだんだん慣れてくるというか
感覚が麻痺してくるというのか。
違いますね、痛みや痺れがない状態が
どんな感じだったか思い出せなくなるんですね。
忘れてしまう。
これが日常化、習慣化(慢性化?)というものなのでしょう。
実は、先日整体を受けていて
胸椎の一、二番あたりがズレていると言われました。
ストレッチをしたりするだけでも
改善できる程度のものだと言われているのに、
心情的には“今度はこっちかいな”といった
追い打ち的な状況としか考えられなくなってくるのです。
ですから口から出る言葉も
「(ズレている状態は)あまり良いことではないですよね」とか
「危ないですね」といった悲観的なものばかりです。
痛みや痺れと付き合うことにくたびれてきたというか、
こういう種類のものを受け容れるだけの
精神的余裕はなくなってきてますね。
臆病になってます。
臆病というのも心理的には縮こまった状態ですね。
こういう精神的な萎縮も一種の緊張状態なのかしらん。
もしそうだとすると、これまでの人生において
緊張状態は恒常的なものかと思われます。
思い当たることが多々あるんですね。
これは一生の問題かもしれない。
大小取り混ぜた失敗の数々のうちで、
懲りずに繰り返している類のものがあると思われるのですが、
これが…カギなのかな?
いうなれば自分を信用していないのです。
裏切られて痛い思いをしたことを
心のどこかで許さないでいる自分がいるらしいです。
自分に対して過度の期待をかけた自分が悪いのに、です。
思いこみの尺度で現実の自分を測っているだけなのに。
物差しが間違っているのに。
何に対して誰に対して萎縮しているのでしょうか。
何だか自分でもよくわからなくなってきました。
うーん、どうしてこんなめんどうくさい生き方を
するのでしょう、したいのでしょう。
バランス的にもどうかと思いますよね。
やっぱり臆病は“病”なのかしらん。