太極導引を知ったときの感動は
今でもはっきり覚えています。
スタートは一緒でも
辿る経路はひとりひとり異なっていますが、
目指すところが尽きることのなさそうな点で、
また一緒なのかもしれません。
他者と関わり合いながらも我が道を往く
というような?
孤独ではないけれど、ひとりであることの心地よさ
みたいなものがあるのかもしれません。
陳沛山さん(陳氏太極拳)が対談などで
「現代はストレスの多い社会だからこそ、
せめて太極拳を練習しているときだけは
自分だけの時間と空間を持ってもらいたい」と話されているのを
よく目にしますが、
太極拳は自分が支配する時間と空間をつくり出すというのです。
自分だけの時間と空間を支配するって
どういうことなのかしらん?
教室で練習しているときと
ひとりで練習しているときとでは、明らかに違います。
ひとりの時はそれこそ自分のペースで
時間の許す範囲で好きなだけ練習しています。
でも、それが自分だけの時間と空間を支配している
ということだとも思えません。
やはりコントロールだということなのでしょう。
太極拳は全身運動です。
全身をくまなく使うためには
理にかなった動きをする必要があります。
理にかなうということは、洗練された動きと
それを可能にする内面の繊細な操作機能が
滞ることなく協調することなのだろうと思います。
動作練習は動きを練習しているだけでは不十分で、
そこに意念が働くことが必要なのでしょう。
日常生活では他人と協調することを
余儀なくされているからこそ、
自分を取り戻すための時間と空間を確保する。
そのためのひとつの方法が導引でもあるのです。
はじめた頃の新鮮な感動は、
この体験をしたからに他ならないのかもしれません。
先生がよく「うまく動こうと思うことも緊張です」
とおっしゃるのですが、
この意味も最近になってわかってきました。
意識するのは内面との協調状態で、
動きは自然であるべきです。
うまく動けたかどうかは結果です。
動作中に意識することではないのです。
おそらく自分だけの時間と空間は
意念と呼吸から生まれるのではないかと思います。
それは自身の内面を探っていくことでもあるような気がします。
太極導引は呼吸と運動のバランスを重視しますから、
はじめたときのその人のバランス状態に応じて
足りない部分を補いながら
徐々にバランスのとれた状態を作っていくことができます。
ちょうど一滴のしずくが大きな岩に窪みを作るように、
なだらかな変動でも大きな変化を生み出すことを
身をもって実感できます。
体は自然と同じ力を秘めています。
文字通り大自然のふところに抱かれている自己
というイメージですね。
何となくミクロ思考とマクロ思考の両方が
無理なく展開できるようになってきているような気がします。
頭の方も柔軟になってきたのかな?
これも導引効果といったら大げさなんでしょうか。
今でもはっきり覚えています。
スタートは一緒でも
辿る経路はひとりひとり異なっていますが、
目指すところが尽きることのなさそうな点で、
また一緒なのかもしれません。
他者と関わり合いながらも我が道を往く
というような?
孤独ではないけれど、ひとりであることの心地よさ
みたいなものがあるのかもしれません。
陳沛山さん(陳氏太極拳)が対談などで
「現代はストレスの多い社会だからこそ、
せめて太極拳を練習しているときだけは
自分だけの時間と空間を持ってもらいたい」と話されているのを
よく目にしますが、
太極拳は自分が支配する時間と空間をつくり出すというのです。
自分だけの時間と空間を支配するって
どういうことなのかしらん?
教室で練習しているときと
ひとりで練習しているときとでは、明らかに違います。
ひとりの時はそれこそ自分のペースで
時間の許す範囲で好きなだけ練習しています。
でも、それが自分だけの時間と空間を支配している
ということだとも思えません。
やはりコントロールだということなのでしょう。
太極拳は全身運動です。
全身をくまなく使うためには
理にかなった動きをする必要があります。
理にかなうということは、洗練された動きと
それを可能にする内面の繊細な操作機能が
滞ることなく協調することなのだろうと思います。
動作練習は動きを練習しているだけでは不十分で、
そこに意念が働くことが必要なのでしょう。
日常生活では他人と協調することを
余儀なくされているからこそ、
自分を取り戻すための時間と空間を確保する。
そのためのひとつの方法が導引でもあるのです。
はじめた頃の新鮮な感動は、
この体験をしたからに他ならないのかもしれません。
先生がよく「うまく動こうと思うことも緊張です」
とおっしゃるのですが、
この意味も最近になってわかってきました。
意識するのは内面との協調状態で、
動きは自然であるべきです。
うまく動けたかどうかは結果です。
動作中に意識することではないのです。
おそらく自分だけの時間と空間は
意念と呼吸から生まれるのではないかと思います。
それは自身の内面を探っていくことでもあるような気がします。
太極導引は呼吸と運動のバランスを重視しますから、
はじめたときのその人のバランス状態に応じて
足りない部分を補いながら
徐々にバランスのとれた状態を作っていくことができます。
ちょうど一滴のしずくが大きな岩に窪みを作るように、
なだらかな変動でも大きな変化を生み出すことを
身をもって実感できます。
体は自然と同じ力を秘めています。
文字通り大自然のふところに抱かれている自己
というイメージですね。
何となくミクロ思考とマクロ思考の両方が
無理なく展開できるようになってきているような気がします。
頭の方も柔軟になってきたのかな?
これも導引効果といったら大げさなんでしょうか。