『国語教科書の中の「日本」 (ちくま新書)』を読んで思い出したことがあったので、今日はそれを書いてみたいと思います。
それは中学校時代のこと。私は当時の地元の公立中学校へ通っていました。公立ですので校則は比較的緩やかだったと思います。でも、いろいろな面で「不自由」だったと記憶しています。
だいたい中学校くらいの年齢層って「目立ってはいけない」とか「みんなに合わせる」なんて雰囲気がどこかしらあったように思えます。そうしないと仲間外れにされたり、ひどい場合は苛められたり…。例えばみんなが聴くからって好きでもない音楽を聴くとか、スカート丈をみんなと同じような長さ(当時はロング丈)にするとか。だから校則云々ではなくて違った面で「不自由」でした。成績がちょっとでも良くても悪くても悪口を叩かれることもありました。
考えてみたら、学校って個人を伸ばすよりも協調性を押し付ける傾向がありますよね。それが没個性を生み出しているのではないでしょうか。
今の中学生や高校生を見ていても、私の当時の世代と変わりなく没個性だと思います。みんなが同じようにiPhoneを持って、みんなが同じようにスカートを短くして…。もっと個性を出して自分のやりたいようにすればいいんじゃないかと思います。
逆に高校時代は楽でしたね。たしかに私立で校則は厳しかったけれど違った面で「自由」でしたし、好きだった英語を存分に勉強できましたから。コンクールなどいろいろな表彰もあったけれど、目立ったからといって誰も文句を言いませんでしたし。
勿論今では自分の好きな音楽を聴いていますし、興味のある本をじゃんじゃん読んでいます。
それは中学校時代のこと。私は当時の地元の公立中学校へ通っていました。公立ですので校則は比較的緩やかだったと思います。でも、いろいろな面で「不自由」だったと記憶しています。
だいたい中学校くらいの年齢層って「目立ってはいけない」とか「みんなに合わせる」なんて雰囲気がどこかしらあったように思えます。そうしないと仲間外れにされたり、ひどい場合は苛められたり…。例えばみんなが聴くからって好きでもない音楽を聴くとか、スカート丈をみんなと同じような長さ(当時はロング丈)にするとか。だから校則云々ではなくて違った面で「不自由」でした。成績がちょっとでも良くても悪くても悪口を叩かれることもありました。
考えてみたら、学校って個人を伸ばすよりも協調性を押し付ける傾向がありますよね。それが没個性を生み出しているのではないでしょうか。
今の中学生や高校生を見ていても、私の当時の世代と変わりなく没個性だと思います。みんなが同じようにiPhoneを持って、みんなが同じようにスカートを短くして…。もっと個性を出して自分のやりたいようにすればいいんじゃないかと思います。
逆に高校時代は楽でしたね。たしかに私立で校則は厳しかったけれど違った面で「自由」でしたし、好きだった英語を存分に勉強できましたから。コンクールなどいろいろな表彰もあったけれど、目立ったからといって誰も文句を言いませんでしたし。
勿論今では自分の好きな音楽を聴いていますし、興味のある本をじゃんじゃん読んでいます。