さて、イギリスの最終日はレディングだ。
理由は2つ。
一つはロンドン・ヒースローから車で35分ということ。
これならば帰りの飛行機には遅れないだろう。
もう一つはマイクオールドフィールド氏の生まれ故郷だからだ。
レディングはイギリスの観光ガイドにも、特に取り上げられてはいない。
観光地ではないのである。
泊まったホテルはBelle Vue House Hotel(ベルビューハウスホテル)。
ここには優しい女主人がいて一人で切り盛りしている。
築200年の建物だというが、とても素敵だ。
Belle Vue House Hotel
このホテルの2階の真ん中の部屋に泊まった。
下が食堂になっている。
さて、今回はここを拠点にマイク・オールドフィールド氏の子供の頃の歴史に触れたいと思った。
とは言っても、氏は現在この街には住んでない。
分かる範囲の中で、関わりのある場所を尋ねた。
順番で行くと、1番目は生まれた場所だな。
バトル・ホスピタル
マイク氏は1953年5月15日ここで生まれた。2005年12月に閉鎖され病院の痕跡はゲートを残すのみだ。
病院の敷地は、テスコ・スーパーマーケットの駐車場になっている。
次は1歳から4歳まで住んだ住居だろう。
マイク氏の著書、「マイク·オールドフィールド - チェンジリング」を頼りに、氏の痕跡を辿った。
モンクス・ウェイ(僧侶の道)にある一棟二軒の住居に住んでいたという。
ホテルから車で4分のところにモンクス・ウェイの入り口を見つけた。
モンクス・ウェイの正しくは出口である(一方通行)
写真の中に見える車はゆきたんくの借りたレンタカーである。
車を泊めて、写真をできる範囲で撮る。
周囲の人確認、車確認だ。
不審者に思われてはことだからだ。
いつでもすぐに走れるように車のエンジンはかけっぱなしである。
モンクス・ウェイをあるいて、マイク氏のかつての住居を確認する。
見つけたが、中には照明が点いている。
現在住まっている方々がいる以上、写真は1枚だけにした。
そして、ここに載せるに当たって、レタッチした。
私邸であること、そしてここにお住まいの方を知らないからである。
マイク・オールドフィールド氏が1歳から4歳まで住んだ家。
次は最初に住んだ家から500mほど離れたところだ。
ウエスタン・エルムス・アベニューという通りに4歳から12歳まで住んだ、家があるという。
ただ、「チェンジリング」にははっきりとした場所は明記されていなかった。
次の文がヒントになると思うが、「家の奥の庭は、線路によって分断されていました。」
これに当てはまる場所は一つあったが、道から奥の方に入って行かねばならないので通りの道を撮ってあきらめることにした。
ウエスタン・エルムス・アベニュー
ここ、レディングの中でマイク氏が通った学校は数が多い。
ジョセフ・コンベント・スクール、ハイランド・ジュニア・スクール、セント・エドワーズ・プレパラトリー・スクール、そしてレディング・プレゼンテーション・カレッジだ。
ハイランド・ジュニア・スクール2011年閉校 取り壊しの最中だった。
もう一か月遅かったらこの建物はなかったろう・・・
セント・エドワーズ・プレパラトリー・スクール
レディング・プレゼンテーション・カレッジ(エヴィアン・スクール)
残念ながらジョセフ・コンベント・スクールの取材ができなかったが、宿題ということにしよう。
ここレディングはロンドンに近い。
観光地でないのにホテルが多く、ゆきたんくが止まったホテルの宿泊客もロンドンに向かう客が多くいた。
多分、ロンドンに出張で仕事をする人々の一息つく場所として便利である。
マイクの跡地を探り、ホテルに戻ると食事の時刻だ。
モーニング・ブレック・ファスト
ゆきたんくは、このモーニング・ブレック・ファストが大好き。
作る前に食べれないものはないか聞いてくれるが、フルでいただく。
飲み物はもちろん、ミルク・ティー。
イギリス人にはなれないが、気取らなくてはね。
そう、朝ホテルを出た時の空がまだ暗かったので、1枚目の写真の印象は良くないかな。
ホテルを立つ直前に撮った、裏側の写真を載せる。
青空に映える白いホテル。
ググるとこんな感じ
敷地の真ん中にホテルがある。
レディングというのはそんなに大きな街ではない。
今度行く時にも、このホテルに泊まるつもりだ。
帰りはブリティッシュ・エアウェイズで・・・