昨日テレビで古舘伊知郎氏が実況を務めた「坂本龍馬」特番を見た。
あの偉大な一人の人間について,立場を変えて見ることでヒーローだったり,犯罪者だったりするのが新鮮だった。
一言で言ってしまえば功罪なのだろうが,その存在があったかなかったかで現在の日本の姿も違っていたという。
その暗殺には諸説あり,その中で有力な説に基づいて特番は組まれていた。
100%の説はあるのか。
もう,歴史学者に任せるしかない状況ではある。
霊山護国寺(京都)にある坂本龍馬と中岡慎太郎の墓 → Map 2006.12.31
ただ,この男一人が果たした役割を考えた時にヒーローだなぁと思うのである。
さて,明治維新後の日本を変えた人物を教育した人物に教育者・吉田松陰先生がいらっしゃる。
そして,志士・坂本龍馬もその一人だろう。
この両者の共通の師として師事した時間は短かったが,佐久間象山先生がおられる。
象山先生は吉田松陰を「狂人」と称した。
後のことを考えて,結果がどうなるか分かっているのに踏み出してしまう。
その行動力を評価したのだという。
密航などは,その一つだ。
松陰先生が密航の罪で投獄された「野山獄跡」 → Map 2016.08.11
また,坂本龍馬は象山先生の影響をかなり受けている事実がある。
嘉永6年(1853)6月に黒船で浦賀に来航したペリーに驚く。
黒船や西洋列強の軍事力知りたいと思ったところで,江戸の佐久間象山先生の「五月塾」で西洋軍学を学ぶ。
象山の教えを受けてから数ヵ月後に土佐へ帰国。
すぐに、ジョン万次郎から米国の詳細な事情を聞き、絵図いりの書物にした河田小龍の元に出向いた。
そして河田小龍は外国の大船を買い同志を乗せ人・荷物を積み海洋に乗り出し、『貿易』によって異国に追いつく事」が日本のとるべき道だと龍馬に説いた。
まあ,西洋かぶれとして暗殺された佐久間象山先生よろしく,坂本龍馬も西洋かぶれでブーツを履いていた。
それも日本で初めてブーツを履いた人物と言われている。
長崎の亀山社中(龍馬が起こした貿易結社)近くには「龍馬のブーツ像」というブーツだけの銅像がある。
履くことができる。 → Map 2016.12.27
坂本龍馬の特番を見ながらも,最近旅をした松代に思いが行き,佐久間象山と重ねてしまうゆきたんくであった。