さて,昨年に引き続き・・・
ではなかった。
昨年の今頃,ゆきんたんくの足は象の足だった。
右膝から下が,倍以上に膨れ上がっていたのである。
リンパ浮腫。
まだ治療中である。
というよりも完治しない病気なのだ。
上手に付き合っていかねば。
ということで,無理放題のゆきたんくも大事に過ごして1年かかって杖が取れた。
ココフカ2018はなかったのである。
初めて見ていただく方もいらっしゃるかもしれない。
ココフカというのは大きな体の男三人組のことである。
メンバーは,お父さんことフカ〇〇氏,じまさんことコ〇〇氏,ゆきたんくことコ〇〇の頭文字を取ってココフカである。
2007年にお父さんの定年退職記念に旅行をしたのが続いているのである。
今年はメンバーのお父さんの故郷日立に行くことにした。
さて,日鉱関係の生きている史跡が近づいてきた。
お父さんはいつも言う。
ココフカのメンバー、お父さんにとって誇りの町日立。
「日本はね・・・。公害を克服した日立の町については触れないんだよな・・・。」
足尾鉱毒事件,田中正造氏の信念は確かに素晴らしい。
別子銅山でも,洪水による鉱毒の被害が言われている。
日立では,当時世界一の煙突を造り,銅山の排煙による被害を無くした実績がある。
それを日本中の人に知ってもらえたら・・・
ということだ。
ゆきたんくも足が腫れていたのだが,近場なので・・・
夜は袋田で湯治だし・・・
それもあってココフカ2019は日立方面になった。
今は1/3しか残っていない日立の大煙突。手前はダルマ(阿保)煙突。
この規模になるまでの日立の歴史は実に興味深いものである。
ここより,更に3キロ半のところに日鉱記念館がある。
これがなければ,日産自動車も,日本ヴィクターも,日本水産も,日立電力もなかった。
関連会社だけで,この13倍以上あるのだ。
イギリスりのヴァージンしかりコングロマリットである。
更にお父さんは言う。
地域住民に優しかった。
会社が地域と一体になっていた。
本当に意味でのオールインワンだった。
かつてこの地区にあった本山小学校(最高児童在籍数2349人)の卒業生であるお父さんの言葉は重い。