お目当ての場所から1km離れた場所に車を停めた。
ということは、お目当ての場所まで1km歩くということ。
それもモーゼル川沿いに歩くのだ。
何か見つけよう。
そう、それがいい。
車を停めたのはモーゼル川の西側。
来たに向かって歩く。
対岸を見る。
「ん?」
ローレライに似た岩があった。
ローレライみたいだ。
「ん?」
岩山の左斜辺に沿って中腹より少し下に白いものが見える。
しかし、肉眼の限界であった。
撮る。
なんと、マリア様であった。 → Map
お目当ての場所から1km離れた場所に車を停めた。
ということは、お目当ての場所まで1km歩くということ。
それもモーゼル川沿いに歩くのだ。
何か見つけよう。
そう、それがいい。
車を停めたのはモーゼル川の西側。
来たに向かって歩く。
対岸を見る。
「ん?」
ローレライに似た岩があった。
ローレライみたいだ。
「ん?」
岩山の左斜辺に沿って中腹より少し下に白いものが見える。
しかし、肉眼の限界であった。
撮る。
なんと、マリア様であった。 → Map
クーヘン。
地図標記だとコッヘムとも書かれる。
モーゼル川とライン川の分岐にあるコブレンツから車で40分ほどの所にある。
山の中よりも、川に反った方が景色が楽しいがそれだと1時間はかかる。
飾り気のないドイツらしい看板。
2015年8月27日。
木曜日ではあるが、コーヘンの駐車場は混んでいた。
ベテラン運転手のN氏が、「チョットアルキマスネー。」
と言いながら車を停める所を探す。
最初に見た駐車場から1.5km離れた場所に駐車スペースが見つかった。
しかし、これが良かったのである。
そう、初めてのドイツの夜。
食事は何にしようか。
ドイツ料理って・・・
ドイツ鉄道をケルン駅で降りて、友人と待ち合わせをする。
ホームから駅の出口(改札は無い)までの途中のことだ。
ドイツ鉄道DB(デーベー)、Köln Hauptbahnhofはケルン中央駅。
どうやら、ドイツ鉄道の中央駅(その年の主要駅)はHauptbahnhof(ハープトバーンホフ)は書いてあるが駅名がないと後で気づいた。
まあ、慣れなんだろうな。
その駅中でガタイのいいお姉ちゃんが客と話をしながら豪快にソーセージを焼いていた。
決まった。
あのソーセージを2本食べれば・・・
ソーセージとパン(拳の大きさ)とシャンプーボトルのような容器から豪快にマスタード
簡単な英語が通じるようだ。
「Hi. 」
「Hi.」
「I want that.」
「This?」
「Yes.」
「Done」
「How much」
こんな会話が続いてソーセージを手に入れた。
姉ちゃんが美味しいよって感じで何か言った。
「はーい。」
と日本語(だな)で答えたら、姉ちゃんも「Haーi」と満面の笑みで返してくれた。
長さ30㎝弱、ズッシリと思い。
後で調べたら250gくらいだと。
頼んでもいないのにパンが付いている。
マスタードの量もすごい。
食べ方も考えなかった。
自分と友人が買った後にドイツ人のお兄ちゃんが買ったので見学させてもらった。
パンを両手で持って、親指を立てて、割れ目を入れる。
大きく開く。
ソーセージを挟む。
マスタードをつける。
かぶりつく。
なるほど。
真似をした。
旨いのなんのって・・・
食い物も旅の楽しみだな。
粋なはからいなのだろうか。
ゆきたんくはそう思いたい。
日本ではあまりなかったかな・・・
ケルン大聖堂の周囲を歩いた。
その通りに、大聖堂の一部が飾ってあるかのような感じで大聖堂の一部があった。
大聖堂の一部?
どう見ても、大聖堂の一部を構成していた部品のようにも見える。
触るのも自由、ゆきたんくのように写真を撮るのも自由。
わざわざ、こいういうものを作るのか?
ドイツ人の感性としてはあり得ない。
ということは本物か?
この場所から大聖堂の東側に歩く。
こんな場所があった。
修理の場所?
大聖堂の南側に10m×30mくらいのスペースがあって、そこに先ほど飾られていた?ような部品がたくさんあった。
修復する場所なのか。
であれば、修復不能なものが飾られているのか。
大聖堂は完全な形ではないのか。
様々なことが想像できる。
初代が完成したのが4世紀。
焼失した時代もあったが、現在の元になる大聖堂ができたのが1200年代。
十分な修復が不可能な面もあるだろう。
かつて大聖堂の一部であった部分が、元の部分に戻るのが不可能であったかもしれない。
大聖堂のそばにいることができるのならば、粋なはからいだと思いたいのである。
2014年8月、憧れのケルン大聖堂との初対面。
「あっ・・・」
写真で見ていたものを、実際に見るとなると必ず感動が起こるものである。
それは、両者の差が元である。
有名な話では、ブリュッセルの小便小僧がその1つだ。
ゆきたんくは、小便小僧については「かわいいかった。」と少し満足した。
服を着ていたので、裸の方が良かったかなと・・・
ケルン大聖堂の話だった。
2本の大きな尖塔が特徴の大聖堂である。
「あっ・・・」
北側の尖塔が修復中であった。
まぁ、世界遺産の修復である。
大切なことである。
今度来る機会には取れているかな・・・
その機会は意外にも早く訪れた。
デュッセルドルフの住む友人のお見舞いに行くためだ。
2015年8月。
1年が経っていた。
変わっていなかった。
先日テレビを見た。
2017年11月。今月である。
クイズ番組で世界遺産の名前を当てる出題があった。
ゆきたんくはすぐに当てることができた。
「ケルン大聖堂」
写真には足場がまだ付いていた。
なぜか嬉しかった。
こんなところに・・・
国内旅行だと、その土地土地のマンホールを見るのも楽しみの一つだ。
ゆきたんくの地元、千葉県松戸市では、「矢切の渡し」がデザインされている。
海外では、そんなに気にはかけないというよりは、気にならない。
結構無機質だと思い込んでいる。
海外在住の経験がある方だと認識が違うのだろうと思いながら書いている。
さて、マンホールと言って良いのだろうか?
これは町の象徴というより、地図このものでは・・・ → Map
2015年8月のこと、車を停めたコメーディエン通りにある。
マンホールというより、埋め込みになっていて案内板的な地図そのものなのかもしれない。
ただブルクマウアー通りとコメーディエン通り(この2つの通りは地図のリンクで確認できますよ)を結ぶ階段の下にあるので、歩行者が多い時にはまず、気づかないだろうと思った。
見れてラッキーだと思いたい。
一度でいい。
でもね、できない。
ケルン大聖堂の中である。
このような規模になると、ミサも大変だろう。
上から見ると十字架の形(身廊と翼廊)になっている所の中央に設けられているものがある。
そう、中央に説教台があるのだ。
階段を登った武1段高い所に。
ここに上がってみたい欲求にかられるが、「馬鹿は高い所が好き」レベルの話ではある。
我慢、我慢。やってはならないのだ。
上がっても説教することがない。 そうであった。
そう、結構そのままのことってある。
この間(かん)ケルンのことばかり書いている。
旅行で撮った写真を見返すと調べないでおいたままのものもある。
ケルンでは、ドイツ鉄道を挟んで反対側のホテルに泊まった。
アパーテル・アム・ドムだ。
余計な装飾がない。流石ドイツ。
何気に英語が・・・
DEHOGAの四つ星だ。
DEHOGAとはドイツのホテルとレストランの組織である。
確かに快適だった。
だがほとんど写真を撮っていなかったことが悔やまれる。
さて、調べないでおいたままなのはこれだ。
窓からの景色がとても素敵だったのだ。
教会と本来は無機質なアパート。
このアパートの落書きについては前に書いたことがある。
その後ろにある教会をスルーしていたのだ。
名前は聖ウルスラ教会。
この写真だとあまり大きく見えない。
グーグルさんから画像を借りる。
左下に落書きアパートがある。そして教会の名前は聖ウルスラ教会とわかった。
旅で撮った写真の中に、このように名前を知らないままの場所がたくさんあるだろう。
それを検証するのも旅の楽しみである。
そう、ケルン大聖堂の南側の建物にあった。
エデンホテルの屋根だ。
白い建物の屋根の角に立っている。
朝の散歩をしていてふと気づいたのだ。
あんな高い所に誰かたっている。
何しているんだろう。
大きな体だなあと思いながら近づく。
写真はレタッチしているので少し明るいが、実際にはもう少し暗くて分からない。
近くまで来た。
再びカメラを向ける。
こ、これは・・・
帰国してから明るくして見たら、石を貼り合わせてできた人形のようだ。
何を意味しているか分からない。
地元の人に聞いても分かるだろうかという代物と思った。
でも、それも面白い。
またまた、ケルン大聖堂がらみである。
大聖堂の中を見て回り、今度は外側を見ることにした。
何か通路があるぞ。
建物の外に何かの入り口がある。
こういうのを見ると引き寄せられてしまうゆきたんくである。
あっ、大聖堂の下には聖人の墓があるのかな・・・
なんと思うことがあるのだ。
何に入って納得。
なんと、中に駐車場があったのだ。
そろもかなり広い・・・
祭壇前の出来事だ。
祭壇って何だ?
でしょうね。
教会にあるのです。
これです。
祭壇
ケルン大聖堂の中を歩いていた。
ゆきたんく得意の朝散歩である。
大聖堂の扉がいくつか開いていて、何人もの一般人(教会の人に対して)が歩いていた。
写真を撮りながら歩いていた。
この祭壇ではないが、近くの他の祭壇の間前でカメラを向けた。
丁度神父様が通りかかり、優しい声で
「No phot」と言われた。
あまりにも優しいその声に思わず「はい(何で日本語なんだ)」と言ってしまったゆきたんくである。
神父様は微笑んでおられた。
忘れられない思い出となった。
ケルン大聖堂の日加瀬氏にはローマ・ゲルマン博物館が建つ。
その手前に御影石の柱が建つ。
正面がケルン大聖堂。右側に博物館が見える。
博物館前に立つ石塔
ライオンズクラブからケルン市への寄付1984年ということか。
で、この石塔の意味は・・・
ゆきたんくの故郷は東京都品川区だ。
お隣の港区へは自転車暴走族で東京タワーに行ったり、大田区へも自転車暴走族で平和島界隈には出かけていた。
友人からのお誘いである。
太田区のOTAふれあいフェスタ2017で、甘納豆店販売コーナーが設けられるという話だ。
大田区蒲田在住で甘納豆店店主である高校の先輩が任されたコーナーである。
場所は平和島。
おぉ、若い頃(12歳から13歳…笑)を思い出す。当時はこんな立派な建物はなかった。
平和観音。
先輩の店を手伝ったり、水のエリアにある「ごちそうストリート」で旨いものを物色したりする。
価格が安いのが魅力である。
ほんの一部を除いて、同じメニューは同じ価格で出している。
安心して目移りができる。
そして何といっても空気が懐かしい。
ご馳走。
ボートでのデモンストレーション。
食後は再び先輩の店を手伝う。
実家が自営業だったゆきたんくにとって、店の受付はよく任されていた。
少しは店のたしになったようだ。
旧友や先輩、後輩との再会の場となった催し物はありがたい。
今や校舎が取り壊された、旧東京都立秋川高等学校のプチ同窓会のようなものである。
楽しかった。
さて、沖縄シリーズ最終章である。
お題は「石巌富」。
最初は、住所表示だと思っていた。
街中
糸数アブチラガマの近くで。
ひめゆり会館の前で
あちこちにあるので住所表示でないことは分かった。
とうとうひめゆり会館の前で駐車場の整理をしている男性に聞いた。
「石厳冨」と書いて「いしがんどう」と読むのだという。
そうしたら魔よけだという。
魔よけはシーサーだとばかり思っていたらそうではなかった。
そして中国や、台湾、シンガポール、日本では沖縄を中心に周辺諸島、鹿児島県に多い。
ゆきたんくの故郷、東京都品川区にも一つあるんだそうな。
ゆきたんくは戦争遺跡おたくである。
地元の千葉、となりの東京では戦争遺跡はいつのまにか姿をけしていることがある。
ここ沖縄は積極的に残そうとしているように思える。
過去は、そう歴史を変えることは不可能なのだから真正面から見つめましょう。
見つめる機会を増やしましょう。
本来は教育がその役割を担わなければいけないのだけれどね。
ここ沖縄では様々な平和学習が催されている。
今回の訪問では「壕」を素材として平和学習が展開されているのを知った。
その他にもあるのだろうけれど、一つ間口を見つけたのでそれをしっかりと潰してから次に行こうと思う。
首里城城壁。これは世界遺産である。 沖縄戦の戦争遺跡だ。
復元首里城。これは世界遺産ではない。
このように大きなものは観光地として、その約割れを果たすことだろう。
そしてそれに関係のある歴史については、社会科で詳しく学習するべきだろう。
消え行く戦争遺跡は、先人の残した教育施設でもあるのだ。
戦時中に兵隊や民間人の避難場所や野戦病院となった壕、この首里城の下に造られた第32軍司令部壕など時間をかけて見て周りたいものがたくさんある。
「沖縄の戦争遺跡」という本を注文した。
中身は
1.日本軍の配備と沖縄戦
2.戦争遺跡にみる沖縄戦(吉浜忍)
3.中部の戦争遺跡
4.南部の戦争遺跡
5.北部の戦争遺跡
6.離島の戦争遺跡
7.戦争遺跡の保存・活用
8.展示資料目録・参考文献
と整理されている。
避けて通りたい項目もあるのだが、これはこれでオールインワン。
1~6があるから7が現実味を帯びてくるのだ。
今回の旅では、4の南部の戦争遺跡の一部、そしてそれに伴う沖縄戦について少し見えてきたに過ぎない。
このような文献が、日本の各地でまとめられそれこそ図書館に「戦争遺跡」のコーナーができればと思う。
もちろんゆきたんくが知らないだけで、すでにこのような文献があるのかもしれない。
ゆきたんくの地元千葉では、「千葉県の戦争遺跡をあるく」という本がある。
そして戦争遺跡探訪の糧になっている。