昨日の読売新聞の夕刊で、作家の三浦哲郎さんが、
芥川賞の選考委員を退任した、ニュースが載っていた。
読売新聞として、1984年から昨年の夏までの20年余の間の選考会での思い出、
退任を決意した経緯などをインタビューした。
聞き手は、山内則史・氏であった。
私は興味を持ち、精読した。
私はこの作家の作品は、十作品程度しか読んでいない不真面目な読者のひとりであるが、
ときには爽やかな苦味のある作品を表現される作家の印象が強く持っている。
色々と教示させられた箇所を転記させて頂きます。
・・僕は本来、選考委員なんていう役目の素質がないんだ。
人と争って、言葉で相手を圧倒するような事は出来ない。
こういうのに芥川賞を出してはいけないと、
テーブルを叩いて反対意見をいう勇気がないんですよ。
そういうのがなければ、選考会では駄目ですね。
川端康成っていう人は強かったなあ。
何も言わないで、
最後にポツッと
『これは駄目ですね』って言ったんでしょう?
今、そういうのはないんです。
一人ずつ順番に意見を言って。
あれは本当に嫌なんだ。
ここまで読んだ時、私は想い出した・・。
直木賞の選考委員会で、
向田邦子・女史を受賞させる経緯を・・。
山口 瞳・選考委員が水上 勉・選考委員の助言を受けて、強く推薦した経緯が、
山口 瞳・氏の随筆に綴られている。
このことは、省略する。
インタビューに戻ると、
僕が選考で重視したのは文章です。
文章が一番肝心なことで、
文章さえ良ければ、気持ちよく読める訳ですから。
作品の中に、作者は色々な思いをつぎ込みます。
それがより伝わって来る。
で、選考会で文章が大事だってことを、
力説するんだけれども、
段々効力がなくなってきた。
それは職人的な考え方ではないか、
という風潮が強くなった。
文章が大事という思いを、
編集者も作家も持たなくなってきた気がします。
何か別に大事なものがある。
例えば、時代性のようなことでしょうか。
その点、開高健は、わりに文章を重視する所がありました。
作品の中に、人をドキッとさせるような一行があればいいんだ、
その一行を表すのが新しい小説なんだ、
と言っていた時期もあったんです。
僕も、その通りだと思うな。
読者にとって忘れられない一行というのがあるわけです。
そういう一行で、ぴたっと文章を終わらせなければいけない、
と何時も思っている。
だから僕は、どうしても少数派の肩を持つことになる。
僕の推薦したものは、いっこうに受賞しない。
長々と引用させて頂いたが、
このように三浦哲郎・氏は、語っていた・・。
時代性重視の風潮に違和感を持ったので、辞任された、と語っているが、
この人の誠実な人柄が作品はもとより、このインタービューでも出ている・・。
私は日頃から、小説は活字を追いながら、
読者はそれぞれも想いを馳せるので、
文章が何よりの最優先と思っている。
私は古い文学青年のひとりとして、思いをあらたにした。
芥川賞の選考委員を退任した、ニュースが載っていた。
読売新聞として、1984年から昨年の夏までの20年余の間の選考会での思い出、
退任を決意した経緯などをインタビューした。
聞き手は、山内則史・氏であった。
私は興味を持ち、精読した。
私はこの作家の作品は、十作品程度しか読んでいない不真面目な読者のひとりであるが、
ときには爽やかな苦味のある作品を表現される作家の印象が強く持っている。
色々と教示させられた箇所を転記させて頂きます。
・・僕は本来、選考委員なんていう役目の素質がないんだ。
人と争って、言葉で相手を圧倒するような事は出来ない。
こういうのに芥川賞を出してはいけないと、
テーブルを叩いて反対意見をいう勇気がないんですよ。
そういうのがなければ、選考会では駄目ですね。
川端康成っていう人は強かったなあ。
何も言わないで、
最後にポツッと
『これは駄目ですね』って言ったんでしょう?
今、そういうのはないんです。
一人ずつ順番に意見を言って。
あれは本当に嫌なんだ。
ここまで読んだ時、私は想い出した・・。
直木賞の選考委員会で、
向田邦子・女史を受賞させる経緯を・・。
山口 瞳・選考委員が水上 勉・選考委員の助言を受けて、強く推薦した経緯が、
山口 瞳・氏の随筆に綴られている。
このことは、省略する。
インタビューに戻ると、
僕が選考で重視したのは文章です。
文章が一番肝心なことで、
文章さえ良ければ、気持ちよく読める訳ですから。
作品の中に、作者は色々な思いをつぎ込みます。
それがより伝わって来る。
で、選考会で文章が大事だってことを、
力説するんだけれども、
段々効力がなくなってきた。
それは職人的な考え方ではないか、
という風潮が強くなった。
文章が大事という思いを、
編集者も作家も持たなくなってきた気がします。
何か別に大事なものがある。
例えば、時代性のようなことでしょうか。
その点、開高健は、わりに文章を重視する所がありました。
作品の中に、人をドキッとさせるような一行があればいいんだ、
その一行を表すのが新しい小説なんだ、
と言っていた時期もあったんです。
僕も、その通りだと思うな。
読者にとって忘れられない一行というのがあるわけです。
そういう一行で、ぴたっと文章を終わらせなければいけない、
と何時も思っている。
だから僕は、どうしても少数派の肩を持つことになる。
僕の推薦したものは、いっこうに受賞しない。
長々と引用させて頂いたが、
このように三浦哲郎・氏は、語っていた・・。
時代性重視の風潮に違和感を持ったので、辞任された、と語っているが、
この人の誠実な人柄が作品はもとより、このインタービューでも出ている・・。
私は日頃から、小説は活字を追いながら、
読者はそれぞれも想いを馳せるので、
文章が何よりの最優先と思っている。
私は古い文学青年のひとりとして、思いをあらたにした。