夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

樹木葬への思い・・♪

2007-10-09 20:51:00 | 定年後の思い
私達夫婦は、子供に恵まれなかったので、一代限りとなる身である。

私の実家は仏教の曹洞宗であり、私の家から程遠くない寺の墓地があり、
少なくとも年に4回ばかり、墓参している。
先祖、祖父、父、母に感謝しながら、お線香を上げたりしているが、
特に私は宗教には無知な方であり、興味がないのである。

この温暖な緑に恵まれた美しい日本の大地に生を受けた私は、
宗教に頼る精神まで柔(やわ)でない、と日頃から思っているのである。

20年前頃、家内と旅先で偶然にその地の墓地で一角で野点が行われ、
抹茶を頂いた後、付近の散策した折、
その外れに松林の中で朽(く)ちた墓石が数多くあった。

多分、人の訪れなく、淡々と歳月が過ぎて、
多く墓石は地に横たわったり、傾いたりして、苔(こけ)むしていた。

私は死者は土に還るのが相応しいと思っているひとりであるので、
この情景が私共夫婦は深く心に残った・・。

10年前の頃だったか、北東北地方の寺で付近の里山で樹木葬を執(と)り行ってくれることを知り、
家内と色々と話し合った。

墓碑もなく、好きな樹木の下で私の骨が埋もれ、歳月と共に里山の土に還る、
隣の付近に家内が眠れれば、これに越したことはない、
こうした信条を家内に託している。

私が先にあの世に行った時、初七日以降は一切無用で、
残された家内は温泉滞在の時などで、気が向いた時に散歩がてら参拝すれば、
と言ったりしている。

家内に先立たれた場合は、
数年に一度程度、この地の付近の温泉地に連泊し、
少なくとも50歳以上の仲居さんにお酌して貰い、私は地酒を呑み、
家内の想い出を語(かた)れれば、これ以上の望みはない、
と思ったりしている。

古人から天命という言葉が伝えられているが、
はたして私共のこれからの命は、天上の神々に寄るものであるから、
こればかりに委(ゆだ)ねるほかはないのである。







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霧雨の朝を迎えて・・♪

2007-10-09 08:40:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、静寂の中、霧雨が降っている。

金木犀の香りがこの居間にも匂いがかすかに漂(ただよ)ってきている・・。

玉すだれ(タマスダレ)の白い花、秋海棠(シュカイドウ)の薄紅色、
そしてサフランの黄色い花が、群生し霧雨の中で、彩(いろど)っている。

紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実もここ数日で、
薄紫から紫色に染められている。

雑木の多い我が家の庭は、初秋に終りを告げて、秋へと移ろっている。

花梨(カリン)のたわわな実は色合いを深めているが、
昨夜の微風で黒土の上に三つばかり落下していた・・。

この世と同様に何等の形で選別されているのかしら、
そして少し振るい落とされた三つの実が可哀想に思え、
微苦笑したりしている。







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