家内と共に遅い昼食を頂いた後、
家内は独りで台所でラジオを掛けながら、皿洗いなどをしていた時、
ラジオからひとつの歌が聴こえてきた・・。
私は居間で雨の降りしきる庭の樹木を眺めていたのであるが、
ラジオから流れる歌に聴きはじめた・・。
♪人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
【『風』 作詞・北山 修 作曲・端田宣彦 】
私は年金生活の63歳の身であるが、
ときおり、この歌を聴くたびに、この歌がヒットした昭和44年の頃を思い出す・・。
この頃の私は、大学を中退し、映画青年、文学青年の真似事をした後、
コンピュータの専門学校で学んでいた時期である。
何とか技術を習得した上で、民間会社に中途入社をしょうとした時であった。
この歌が街に流れていたのを何気なし最初に聴いた時は、
うまく人生を切取った歌と感心しながらも、
作詞、作曲の両氏が20代の前半で私と同世代あったことに、
驚いたのである。
♪ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 人生につまずいて
人は誰も 夢破れ振りかえる
その後、私は昭和45年に何とか企業に中途入社するのであるが、
この歌に関して、遅ればせながら知った時である。
昭和43年に、北山 修、端田宣典、加藤和彦の3人で
作られた『帰って来たヨッパライ』の空前の大ヒットをしたが、
端田宣彦が作曲として、この歌以前の19歳の時に初めて作曲された歌が『風』であった。
そして、この歌の後に、北山 修が作詞されて、
はしだのりひことシューベルツのグループで、世に出され、大ヒットした。
人生に於ける40代の半ばで、過去の人生を表現された作品は数多くみられるが、
20代の前半で作詞、作曲をされた両氏は、
天才という賞賛の言葉がが相応しい、と思ったりした。
この私なりの評価は、40年近く過ぎた今でも、
決して変わらないのである。
家内は独りで台所でラジオを掛けながら、皿洗いなどをしていた時、
ラジオからひとつの歌が聴こえてきた・・。
私は居間で雨の降りしきる庭の樹木を眺めていたのであるが、
ラジオから流れる歌に聴きはじめた・・。
♪人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
【『風』 作詞・北山 修 作曲・端田宣彦 】
私は年金生活の63歳の身であるが、
ときおり、この歌を聴くたびに、この歌がヒットした昭和44年の頃を思い出す・・。
この頃の私は、大学を中退し、映画青年、文学青年の真似事をした後、
コンピュータの専門学校で学んでいた時期である。
何とか技術を習得した上で、民間会社に中途入社をしょうとした時であった。
この歌が街に流れていたのを何気なし最初に聴いた時は、
うまく人生を切取った歌と感心しながらも、
作詞、作曲の両氏が20代の前半で私と同世代あったことに、
驚いたのである。
♪ちょっぴり淋しくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 人生につまずいて
人は誰も 夢破れ振りかえる
その後、私は昭和45年に何とか企業に中途入社するのであるが、
この歌に関して、遅ればせながら知った時である。
昭和43年に、北山 修、端田宣典、加藤和彦の3人で
作られた『帰って来たヨッパライ』の空前の大ヒットをしたが、
端田宣彦が作曲として、この歌以前の19歳の時に初めて作曲された歌が『風』であった。
そして、この歌の後に、北山 修が作詞されて、
はしだのりひことシューベルツのグループで、世に出され、大ヒットした。
人生に於ける40代の半ばで、過去の人生を表現された作品は数多くみられるが、
20代の前半で作詞、作曲をされた両氏は、
天才という賞賛の言葉がが相応しい、と思ったりした。
この私なりの評価は、40年近く過ぎた今でも、
決して変わらないのである。