夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

この時節を迎えると、私は『赤い羽根』を眩(まぶ)しく感じたりし・・。

2013-10-01 13:33:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
昨夜の9時過ぎに、玄関の軒下で月を眺めていた時、くしゃみを4度ばかりしたので、
やむなく居間に戻り、微苦笑をしたりした。

過ぎし『秋分の日』の前の彼岸入りの頃から、やはり古人からの寒さ暑さ彼岸までの伝承の通り、
朝夕は初秋の風の匂いを感じ、日中は残暑の名残の陽射しを感じながら、
何かと暑さの苦手な私は、微笑んだりしていた。
こうした中で、日中は半袖のスポーツシャツで買物、散策をしてきたが、
朝夕は肌寒く感じてきたので、少し風邪気味かしら、と思ったりした。

私としては異例であるが、この後は寝室に行き、布団にもぐってしまった・・。
世の中に何かと疎(うと)い私でも、社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、現状のままあると、
少なくとも毎年一兆円の国の負担が増している、と伝えられている。

もとより高齢者が使う費用は、現在の日本に於いては、
その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

私は高齢者のひとりであるので、せめて風邪などで病院で治療を避けたく、
早く寝れる安楽な身なので、風邪薬も飲まず、寝てしまえば風邪などは治(なお)ると思い、
布団の中で、本を15分ぐらい読んでいるうちに寝付いた。
          

今朝、ぼんやりと6時過ぎに目覚めた後、カレンダーを眺め、『長月』の9月のカレンダーにさよならすると、
新たな『神無月』の10月のカレンダーを見ながら、
待ち詫びていました、と秋の季節の好きな私は、心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして10月からは確か『衣替え』かしらと思ったり、
本日は『都民の日』だった、と思いだされたりした。

私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に、結婚前後の5年を除き、
都民のひとりとして早や63年過ごしている。

もとより『都民の日』は、私が小学2年の1952〈昭和27〉年9月27日、
私の誕生日に《・・東京都民がこぞって一日の慰楽をともにすることにより、
その自治意識を昴揚し、東京都の発展と都民の福祉増進を図るために、都民の日を設ける。・・》
と条例制定されて、翌年から毎年10月1日は『都民の日』と施行されている。
          

このようなことをぼんやりと思い馳せたりした後、
NHKのテレビニュースを視聴していると、男性キャスターのスーツの襟に、
赤い羽根が付けられていたので、赤い羽根の『共同募金』の時節が到来した、と教示させられた。

この後、私はぼんやりと現役時代のサラリーマンの奮闘していた頃、
この日より3日ぐらい 『赤い羽根』を付けていたことを想いだしたりした・・。

今から25年前頃、私は出勤でいつものように家の近くから路線バスに乗り、
最寄駅の小田急線の『成城学園前』駅前に行った。

そして駅の改札に近い所で、
『お願いしま~す・・ご協力下さ~い・・』
と左右でそれぞれ一列に並んで、ご婦人と小学生の男女が30名前後いた。

私はご婦人のひとりに近づき、
百円玉を2つばかり募金箱に入れて、スーツの社章(会社のバッチ)の近くに付けてもらった。
わずかに芳(かぐわ)しい香りが40歳前後の女性から漂(ただよ)い、
少しときめきを感じたりした。
そして、やはり女性は、40過ぎてから魅力が増す、と余計なことを感じたりした。
          

その翌年だったと記憶しているが、この日いつものように並んいたが
私はこの中の小学生の女の子に、偶然に目があってしまったのである。

私は近づき財布の中を見たら、五百円玉しかなく、募金箱にいれたが、
女の子にたどたどしく赤い羽根を付けてもらった。

『有難うございまし~た。・・気を付けて、行ってらしゃい・・』
と私が立ち去る時に、この女の子は言った。
ちょっとお茶目な女の子であったが、母親の確かな情操教育を受け、さりげない感性のある子で、
私なりに好感を覚えたのである。

その後、プラットフォームで胸元を見ると、
赤い羽根はちょっと曲がって付けられいたのに気付いたが、
私は微苦笑したりしていた。


このような『赤い羽根』に関しては、数多くの思いでもあるが、
定年退職後の年金生活の私は、買い物とか本屋などに用事がない限り、駅前に出ないのが多くなっている。

果たして今も駅前で、
『お願いしま~す・・ご協力下さ~い・・』
女性や児童が真摯な声で叫ばれているのかは、解からないのである。
          

私の住む街も、自治会に於いて、
共同募金の一環として、協力通知書が回覧され、2週間前の頃に担当のお方が徴収で来宅された。
私はこの日の3日前に、現役時代の赤い羽根の共同募金箱に入れた額より少し多めに指定された袋に入れ、
手渡しの用意をしていたので、さりげなく明るい笑顔で手渡したりした。

このような私の心情の根底には、小学生の時に大黒柱の父、祖父が病死されて、
生家は一時貧乏な生活を体験してきたので、
せめて年金生活の中でも、たとえ一食抜いても共同募金には、ささやかながら協力している。

このような心情を秘めた私でも、ここ数年は何故かしら、
この時節を迎えると、可愛らしい赤い羽根を眩(まぶ)しく感じたりしている・・。

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