私は東京郊外の調布市に住む69歳の身であるが、
民間会社の中小業に35年近く勤めて定年退職したのは、2004(平成16)年10月20日であった。
そして定年退職後、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして年金生活は早くも丸9年が過ぎて、本日より10年生に進級となり、
過ぎ去り歳月は、実に早いなぁ、と微苦笑を重ねたりした。
こうした中、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
午前中のひととき、いつものように平素の買物専任者の私は、
スーパーに家内からの依頼品を買い求めた後、
自宅の周辺を歩く季節のうつろいを享受したりした。
今年の夏は猛暑の日々が多く、何かと暑さに苦手な私は困苦することが多く、
暑さ寒さは彼岸まで、と古来の人々の格言を信頼してきたが、
過ぎは12日には、真夏日の31度の暑さに、どうしたなのょ、と天上の気候の神々の采配に、
戸惑ったりした。
そして台風が襲来して、伊豆七島のひとつ大島に、記録的な豪雨で土砂大災害となり、
多くの人が亡くなわれ、私も茫然とした。
私たち夫婦はこの大島にある樹木園に、樹木葬を執り行って土に還る、
このようなことを秘かに念願している身なので、更に動揺を増したりした。
こうした中で、季節は初秋から秋到来となり、朝夕は少し肌寒く、
私はスリー・シーズンの長袖のスポーツシャツを着たりして、自宅の周辺3キロ範囲を
ひたすら歩いたりしている。
私の住む地域は、毎年11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染めはじめ、
23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染めら錦繍(きんしゅう)の情景となる。
やがて葉が舞い散る中で公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せ、
そして周囲に黄色い絨毯を重なるようになるのが12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。
このような季節の移ろうので、ここ一週間は早くも色合いを恥ずかしそうに染め始めている樹も見られ、
何かと愚図の私でも、忙しく周辺を歩き廻り、見惚れたりしている。
昼食後、私の机の脇机の引き出しから、1冊のノートを取りだした。
私が定年退職の前の1年半の頃に購入したノートであった。
この当時の私は、リストラ烈風の中、出向となり遠方の勤務先に勤めていた・・。
そして通勤の往還は、小田急線の成城学園前と本厚木の間、45分前後を利用していた。
帰路の時は、出来うる限り、乗車の駅始発の電車に乗っていたので、ほぼ座れた。
この時に電車の中で、本を読んだり、或いはノートに色々とメモったりした。
この中のひとつとして、平成15年1月30日『退職後の日常生活の目標』、
と題したメモ書きがあり、読んだりした。
☆パソコン
Eメールの送受信
エッセイ(文学的に日常、旅の寸評)
音楽と映画
インターネットの検索
ただし、散歩を兼ねて、図書館に行くこと
写真の整理
☆日曜菜園
草むしり、植木の手入れをした上で、1メートル × 2メートルの菜園を作り、
ピーマン、チソ、ダイコン、ニンジン、ショウガ、ネギ等
このような日常生活の目標メモが記載されていた。
こうして退職後の年金生活10年生に進級する今、微苦笑してしまった。
定年前の3年前にパソコンを改めて買い求めたし、机、椅子、脇机も新調して、
定年後の年金生活に備えていた私は、
遅ればせながら定年の数か月前にインターネット回線を自宅に導入した。
そして年金生活を始めたら、電子メールと称されているEメールの送受信で、
知人、関係者などで交流をしょうと思ったりした。
その上、秘かにホームページを開設して、未知の方と心の交流ができれば最良と思案していた。
現実としては、定年後まもなくブログの世界を知り、
これだったら誰でも発信できるし、心の節度さえあれば、どのような分野のことも綴れる、
と確信して、私はパソコンの故障、国内旅行で自宅不在以外は、毎日投稿してきた。
このように昨今の私は、Eメールは殆ど利用していないく、
ネットのニュース、専門誌のサイト、国内旅行の関係サイトを検索しているのが現状である。
図書館を利用と思ってた私は、やはり本屋に寄り、
単行本、新書本、文庫本、雑誌を見たりして、魅せられた本を購入することが、
高校時代から習性であったので、文愛人のひとりの私は買い求めたりしている。
写真の整理に関しては、定年退職の記念としてデジカメを買い求めて、
バソコンのハードディスクにそれぞれファイル名を付けて、管理しているが、
それ以前の長き時代のフィルムで撮った写真の整理が課題であった。
フィルムを読み取りデジタルに変換する専用機を購入して、
時系列に整理しょうと思っていた私は、面倒さも感じ断念した。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかった為が、
私の独身時代、家内の独身時代、そして私たちが結婚してから私の定年まで、
家内と共にアルバムを改めて整理し、総計18冊となったりした。
何よりも変ったのは、菜園の予定であった。
この当時の8年前の頃から、雑誌の『サライ』を定期購読して、
ある号で野菜の成長、花、色合いが載っていた。
そして作家・曽野綾子さんの随筆の新書本のひとつに、
ご自宅の庭でも野菜を育成していると私は読んだりしてきたので、
生育のうつろいを眺めて、育成するのも良いと思案していた。
結果としては、小庭が更に手狭となり、小鳥が定期便のように飛来してくるので、断念した。
私は定年前に予定したこのようなささやかな事が、現実の年金生活を過ごしている今、
差異があったなぁ、微苦笑している。
こうした中で、小庭に私の定年退職の記念樹として植えた樹も大きく育っている。
つたない半生を歩んできた私が、せめて定年退職時の記念樹と思いながら、
ときおり四季折々ながめることが多い樹である。
記念樹といっても園芸店、或いは植木の即売店などで買い求めた樹ではなく、
小庭には小鳥が定期便のように飛来してくるので、
たまたま小鳥が飛び立つときに、小鳥からのささやかな贈り物のひとつであった。
この種が幼い樹となり、やがて私は移植して、私は体力が衰える中で、けなげに成長し、
私は微苦笑を重ねることが多い。
そして私は満69歳の身であるが、来年は70代となり、
60代を卒業して、いよいよ古希(こき)か、と溜息しながら、呟(つぶや)くこともある昨今である。
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民間会社の中小業に35年近く勤めて定年退職したのは、2004(平成16)年10月20日であった。
そして定年退職後、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして年金生活は早くも丸9年が過ぎて、本日より10年生に進級となり、
過ぎ去り歳月は、実に早いなぁ、と微苦笑を重ねたりした。
こうした中、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
午前中のひととき、いつものように平素の買物専任者の私は、
スーパーに家内からの依頼品を買い求めた後、
自宅の周辺を歩く季節のうつろいを享受したりした。
今年の夏は猛暑の日々が多く、何かと暑さに苦手な私は困苦することが多く、
暑さ寒さは彼岸まで、と古来の人々の格言を信頼してきたが、
過ぎは12日には、真夏日の31度の暑さに、どうしたなのょ、と天上の気候の神々の采配に、
戸惑ったりした。
そして台風が襲来して、伊豆七島のひとつ大島に、記録的な豪雨で土砂大災害となり、
多くの人が亡くなわれ、私も茫然とした。
私たち夫婦はこの大島にある樹木園に、樹木葬を執り行って土に還る、
このようなことを秘かに念願している身なので、更に動揺を増したりした。
こうした中で、季節は初秋から秋到来となり、朝夕は少し肌寒く、
私はスリー・シーズンの長袖のスポーツシャツを着たりして、自宅の周辺3キロ範囲を
ひたすら歩いたりしている。
私の住む地域は、毎年11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染めはじめ、
23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染めら錦繍(きんしゅう)の情景となる。
やがて葉が舞い散る中で公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が彩(いろど)りを見せ、
そして周囲に黄色い絨毯を重なるようになるのが12月の『師走(しわす)』の初旬となっている。
このような季節の移ろうので、ここ一週間は早くも色合いを恥ずかしそうに染め始めている樹も見られ、
何かと愚図の私でも、忙しく周辺を歩き廻り、見惚れたりしている。
昼食後、私の机の脇机の引き出しから、1冊のノートを取りだした。
私が定年退職の前の1年半の頃に購入したノートであった。
この当時の私は、リストラ烈風の中、出向となり遠方の勤務先に勤めていた・・。
そして通勤の往還は、小田急線の成城学園前と本厚木の間、45分前後を利用していた。
帰路の時は、出来うる限り、乗車の駅始発の電車に乗っていたので、ほぼ座れた。
この時に電車の中で、本を読んだり、或いはノートに色々とメモったりした。
この中のひとつとして、平成15年1月30日『退職後の日常生活の目標』、
と題したメモ書きがあり、読んだりした。
☆パソコン
Eメールの送受信
エッセイ(文学的に日常、旅の寸評)
音楽と映画
インターネットの検索
ただし、散歩を兼ねて、図書館に行くこと
写真の整理
☆日曜菜園
草むしり、植木の手入れをした上で、1メートル × 2メートルの菜園を作り、
ピーマン、チソ、ダイコン、ニンジン、ショウガ、ネギ等
このような日常生活の目標メモが記載されていた。
こうして退職後の年金生活10年生に進級する今、微苦笑してしまった。
定年前の3年前にパソコンを改めて買い求めたし、机、椅子、脇机も新調して、
定年後の年金生活に備えていた私は、
遅ればせながら定年の数か月前にインターネット回線を自宅に導入した。
そして年金生活を始めたら、電子メールと称されているEメールの送受信で、
知人、関係者などで交流をしょうと思ったりした。
その上、秘かにホームページを開設して、未知の方と心の交流ができれば最良と思案していた。
現実としては、定年後まもなくブログの世界を知り、
これだったら誰でも発信できるし、心の節度さえあれば、どのような分野のことも綴れる、
と確信して、私はパソコンの故障、国内旅行で自宅不在以外は、毎日投稿してきた。
このように昨今の私は、Eメールは殆ど利用していないく、
ネットのニュース、専門誌のサイト、国内旅行の関係サイトを検索しているのが現状である。
図書館を利用と思ってた私は、やはり本屋に寄り、
単行本、新書本、文庫本、雑誌を見たりして、魅せられた本を購入することが、
高校時代から習性であったので、文愛人のひとりの私は買い求めたりしている。
写真の整理に関しては、定年退職の記念としてデジカメを買い求めて、
バソコンのハードディスクにそれぞれファイル名を付けて、管理しているが、
それ以前の長き時代のフィルムで撮った写真の整理が課題であった。
フィルムを読み取りデジタルに変換する専用機を購入して、
時系列に整理しょうと思っていた私は、面倒さも感じ断念した。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかった為が、
私の独身時代、家内の独身時代、そして私たちが結婚してから私の定年まで、
家内と共にアルバムを改めて整理し、総計18冊となったりした。
何よりも変ったのは、菜園の予定であった。
この当時の8年前の頃から、雑誌の『サライ』を定期購読して、
ある号で野菜の成長、花、色合いが載っていた。
そして作家・曽野綾子さんの随筆の新書本のひとつに、
ご自宅の庭でも野菜を育成していると私は読んだりしてきたので、
生育のうつろいを眺めて、育成するのも良いと思案していた。
結果としては、小庭が更に手狭となり、小鳥が定期便のように飛来してくるので、断念した。
私は定年前に予定したこのようなささやかな事が、現実の年金生活を過ごしている今、
差異があったなぁ、微苦笑している。
こうした中で、小庭に私の定年退職の記念樹として植えた樹も大きく育っている。
つたない半生を歩んできた私が、せめて定年退職時の記念樹と思いながら、
ときおり四季折々ながめることが多い樹である。
記念樹といっても園芸店、或いは植木の即売店などで買い求めた樹ではなく、
小庭には小鳥が定期便のように飛来してくるので、
たまたま小鳥が飛び立つときに、小鳥からのささやかな贈り物のひとつであった。
この種が幼い樹となり、やがて私は移植して、私は体力が衰える中で、けなげに成長し、
私は微苦笑を重ねることが多い。
そして私は満69歳の身であるが、来年は70代となり、
60代を卒業して、いよいよ古希(こき)か、と溜息しながら、呟(つぶや)くこともある昨今である。
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