夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「読書週間」に伴い、私が旅行先で最も魅了された読書室は・・。

2013-10-27 17:37:33 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝、カレンダーを見ると、確か本日より「読書週間」が始まったはずだ、と微笑んだりした。

もとより「読書週間」は、1947(昭和22)年に
「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という目的により開始され、
翌年から「文化の日」をはさんだ2週間となり、やがて国民的行事として定着している。


私は遅ればせながら1960(昭和35)年の春に高校に入学してまもなく、
突然に読書に目覚めた・・。

私が読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時の感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。

この時から小説、随筆、ノンフェクション、月刊雑誌などを乱読してきた。

私は中小業の民間会社に35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職後、
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまない映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

そして年金生活の今でも本屋で、単行本、新書本、文庫本のコーナーを見たりして数冊買い求めたり、
ときには雑誌コーナーで月刊誌、季刊誌、臨時特別号を眺めた後、魅了された時は購入している。
そして、結果として手ぶらとなった時は、古本屋に行ったりして、読みたい本を探し求めて、
早や50数年過ぎている・・。
          
こうした中で定年後の年金生活の中で、単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は長らく愛読し、
毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は購読している。
或いは季刊誌としては、『文藝春秋SPECIAL』を購読しているが、
今や季節をめぐる毎の秘かな恋人のように愛読している。

私が読書をする場所は、我が家の居間でソファーに座ったり読むことが多いが、
寝室の布団に横たわって読んだりする時もある。
          

私たち夫婦は共通趣味のひとつとして、国内旅行であるが、
年金生活を丸9年が過ぎる中、リゾート・ホテル、観光ホテル、旅館に滞在して、
周辺を眺めながら歩き廻ることが多い。

こうした時、滞在先の館内、指定された部屋で、数冊の本を持参して私は読むことが多い。
そしてこれまでの旅先で、読書に最適、と最も魅了された所を思い馳せたりした・・。


過ぎし昨年の2012年5月初旬に於いて、
ある有力な通販の旅行会社より、越後湯沢のある源泉掛け流しの老舗旅館『雪国の宿 高半』で、
3泊4日のプランがあり、
東京駅から越後湯沢駅を上越新幹線で往復し、この間ご自由に周遊して下さい、
と旅程であった。

そして私たち夫婦は、越後湯沢の街並みを毎日ひたすら5時間前後、歩き廻ったりした。
こうした中で帰館すれば風呂に入ったりしたが、この後は私は館内に設置された図書室で、
本棚から数冊読んだりした。
          
この場所は、たまたま私が利用されて頂いた時は、静寂でくつろぎながら読書ができた所で、
          
未だに鮮明に残影しているので、私にとっては最も魅了された所となっている。

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人は誰しも、心身が衰えると、やがて・・。

2013-10-27 10:14:35 | 定年後の思い
◎よく転ぶようになった
◎呂律(ろれつ)がまわらなくなり、指先がふるえて文字が書けなくなった
◎自分が書いた文字が自分で読めない
◎自分が言っている言葉が自分で理解できない

私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
早朝に目覚めた私は、ぼんやりと枕元に積んである本の中で、
総合月刊雑誌の『文藝春秋』(11月号)を手に取り、
読み残した寄稿文はないかしら、とページを捲(めく)っていた・・。

そしてこの雑誌には、各著名人が寄稿された随筆が幾重化あることで名高いが、
この中のひとつには、放送タレントとご自身が称している永 六輔(えい・ろくすけ)さんが、
『再びラジオに戻る日まで』と題した寄稿文があった。


もとより永 六輔さんは、1933年(昭和8年)生まれで、80歳になられ、
かっては放送作家、作詞家をなされたりした後、ラジオ番組パーソナリティ、タレント、そして随筆家である。
そして私は、永 六輔さんはひとつ先の時代を思考され嗅覚の鋭い多分野の表現者、
と長年に多々教示されているひとりである。

何かしらご病気をされた、と私は昨今、何かの雑誌で読んだりしてきた・・。
この程度ぐらいしか、私は永 六輔さんについて知らない。
          
今回の寄稿文の初めには、《46年間、続けてきた毎日のラジオ番組「誰かとどこかで」が
この9月一杯で終わった。・・》
と明記されて、《・・パーキンソン病と決まって治ることのない難病・・》なり、
上記に抜粋させて頂いた状況が表示されて、現在はリハビリに熱中している、
このようなことを克明に寄稿文に記されている。


この後、私は人は誰しも長寿を過ごすと、もとより心身が衰え、やがて難病に遭遇することもある、
と改めて学んだりした・・。

私は古希(こき)の一年前の齢ばかり重ねた身であり、
平素は自宅の3キロぐらいの周辺をひたすら歩き、季節の移ろいを享受している。
この根底のひとつには、痴呆症、或いは寝たりの不自由な身が怖くて、歩き廻ったりしている。

いずれいつの年には、この世に告別しなけれはならないが、
こうしたことは天上の神々の采配により決定されると確信しているので、
それまでの間は、せめて自身が自覚できる言動で、過ごしたいと願っている。

しかしながら、誰しもこの先のことは判ることがない、
と私は今回の永 六輔さんの寄稿文を読み終わった後、漠然としながらも思案させられたのである。

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