私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、我が家の年末年始は、遠方にひとり住まいの家内の母に我が家に来宅してもらい、
年末年始の期間は我が家で共に新年を迎えることは、早や12年を迎えている・・。
今回も昨年の12月28日、家内の妹に引率されながら家内の母は、
定例の病院でリハビリ、やがて我が家の最寄駅まで来て頂いて、
料理をしていた家内が最寄駅に出向き、家内の妹から引き継いで、我が家に何とか到着し、
新年の3日の朝まで、我が家は3人で談笑を重ねながら過ごしてきた。
そして家内は家内の母宅まで送り届けて、我が家の年末年始の表面上の行事は終えた。
しかしながら、この後は膝(ひざ)と腰を悪化している家内の母に備えていた、家内の母が6泊7日で滞在した部屋、
居間、浴室などを家内が奮闘して、後かたずをしたりした。
そして『七草がゆ』の7日は、何かと慌ただしく平素の朝食を私たち夫婦を頂いたりした。
やがて世の中で働いて下さる諸兄諸姉の多くが、3連休となる9日から11日まで、
家内は年末年始の疲れが出て、風邪がひどい状況となった・・。
こうした中、私の母の命日が近づくと、私たち夫婦と私の妹の2人で、
この時節に4人でお墓参りをしているのが、恒例となっている。
そして今回は11日となったが、家内は結果、風邪で頭痛と寒む化を感じているので、
『今回の会合・・休んで暖かして静養すれば・・ボクが二人前に振舞うから・・』
と私は微苦笑しながら家内に言い、家内はためらいながらも、結果として初めて欠席とした。
私たち夫婦は結婚して39年を迎えているが、家内は風邪などを含めて、床に伏していることはなかったが、
昨年は家内の母は膝(ひざ)と腰を悪化し、幾たびか家内は家内の母宅に滞在して介護したり、
或いは病院に数10回ぐらい付き添ったりしてきたので、疲れが出たと思われる。
このような関係で、遅ればせながら12月度の家計簿の締めを昨日の午後のひととき、
私たちは行なったりした。
平年だと4日前後で、12月度、そして連動しさせた昨年度の年次決算の真似事をしたが、
やむえないなぁ、と私たちは微苦笑したりした。
今朝、私たちは朝食を頂き一時間を過ぎた頃、
家内は新聞の折込みに入っていた最寄りのスーパーにチラシを取りだして、
家内が赤のサインペンで丸印を付けたりする。
まもなく、この赤丸が我が家の本日の必須の購入品とし、
あとは私が店頭の商品で魅了された品を買い求めてくるのが、我が家の鉄則となっている。
この後、家内から、
『本日は・・これだけお願い・・』
と家内は最寄のスーパー2店のチラシを私は手渡しながら、私に言ったりしている。
私は現役サラリーマン時代の緊張感から解放されて、早や11年が過ぎいるが、
体力の衰えも感じている中、せめてボケてはいけないと思い、
『はい! 了解致しました!』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく返事をしている。
このような我が家の平素の買物パターンで、私は独りで指定された駅前のスーパー、専門店に行ったり、
或いは最寄のスーパーに行くこともある。
しかしながら本日は、家内から、
『この前の買物・・とろけるチーズとお願いしたのに、大きなスライスチーズでした・・
ボケるのは、少し早いんじゃない!』
と家内は苦笑しながら、私に言ったりした。
『そうだったよねぇ・・気を付けます!
ボケるのは、10年早いよねぇ・・』
と私は家内に詫びながら、明るく応(こた)えたりした
私は2004年(平成16年)の秋に定年後の年金生活を始めて以来、
平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。
我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
やがて私は買物に出かける為に着替えが終わった後、
『郵便局とXX銀行・・昨年の12月中旬より通帳を記載していなかったから、
ついでに寄って、通帳記入してくるねぇ』
と私は家内に言ったりした。
私はスポーツシャツにフリースを着て、防寒着のフィードシャケット、
そしてストレッチパンズの長ズボン、ウォーキング・シューズを履き、身を整えて颯爽として出かけた。
やがてXX銀行、近くにある郵便局で、私たちそれぞれ通帳を記載した後、
『無念ながら、それぞれ通帳の一千万円も満たない貯金も・・年金生活を過ごせば、確実に減るばかりだものなぁ・・』
と苦笑しながら心の中で、こっそりと呟(つぶや)いたりした。
この後、スーパーで節分用の豆を見かけて、三種類ばかり衝動買いをしたりした。
そしてまもなく2月3日を迎えれば、『節分の日』を思い馳せて、
月日の余りにも早く過ぎて行く、と深く感じたりした。
やがて足早に自宅に向かって歩いている時、
遅ればせながら我が家も、平常体制になったなぁ、と老ボーイの私は微苦笑をしたりした。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
家内は私より5歳若く、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、我が家の年末年始は、遠方にひとり住まいの家内の母に我が家に来宅してもらい、
年末年始の期間は我が家で共に新年を迎えることは、早や12年を迎えている・・。
今回も昨年の12月28日、家内の妹に引率されながら家内の母は、
定例の病院でリハビリ、やがて我が家の最寄駅まで来て頂いて、
料理をしていた家内が最寄駅に出向き、家内の妹から引き継いで、我が家に何とか到着し、
新年の3日の朝まで、我が家は3人で談笑を重ねながら過ごしてきた。
そして家内は家内の母宅まで送り届けて、我が家の年末年始の表面上の行事は終えた。
しかしながら、この後は膝(ひざ)と腰を悪化している家内の母に備えていた、家内の母が6泊7日で滞在した部屋、
居間、浴室などを家内が奮闘して、後かたずをしたりした。
そして『七草がゆ』の7日は、何かと慌ただしく平素の朝食を私たち夫婦を頂いたりした。
やがて世の中で働いて下さる諸兄諸姉の多くが、3連休となる9日から11日まで、
家内は年末年始の疲れが出て、風邪がひどい状況となった・・。
こうした中、私の母の命日が近づくと、私たち夫婦と私の妹の2人で、
この時節に4人でお墓参りをしているのが、恒例となっている。
そして今回は11日となったが、家内は結果、風邪で頭痛と寒む化を感じているので、
『今回の会合・・休んで暖かして静養すれば・・ボクが二人前に振舞うから・・』
と私は微苦笑しながら家内に言い、家内はためらいながらも、結果として初めて欠席とした。
私たち夫婦は結婚して39年を迎えているが、家内は風邪などを含めて、床に伏していることはなかったが、
昨年は家内の母は膝(ひざ)と腰を悪化し、幾たびか家内は家内の母宅に滞在して介護したり、
或いは病院に数10回ぐらい付き添ったりしてきたので、疲れが出たと思われる。
このような関係で、遅ればせながら12月度の家計簿の締めを昨日の午後のひととき、
私たちは行なったりした。
平年だと4日前後で、12月度、そして連動しさせた昨年度の年次決算の真似事をしたが、
やむえないなぁ、と私たちは微苦笑したりした。
今朝、私たちは朝食を頂き一時間を過ぎた頃、
家内は新聞の折込みに入っていた最寄りのスーパーにチラシを取りだして、
家内が赤のサインペンで丸印を付けたりする。
まもなく、この赤丸が我が家の本日の必須の購入品とし、
あとは私が店頭の商品で魅了された品を買い求めてくるのが、我が家の鉄則となっている。
この後、家内から、
『本日は・・これだけお願い・・』
と家内は最寄のスーパー2店のチラシを私は手渡しながら、私に言ったりしている。
私は現役サラリーマン時代の緊張感から解放されて、早や11年が過ぎいるが、
体力の衰えも感じている中、せめてボケてはいけないと思い、
『はい! 了解致しました!』
と私は若き自衛官の諸兄に負けないように、明るく返事をしている。
このような我が家の平素の買物パターンで、私は独りで指定された駅前のスーパー、専門店に行ったり、
或いは最寄のスーパーに行くこともある。
しかしながら本日は、家内から、
『この前の買物・・とろけるチーズとお願いしたのに、大きなスライスチーズでした・・
ボケるのは、少し早いんじゃない!』
と家内は苦笑しながら、私に言ったりした。
『そうだったよねぇ・・気を付けます!
ボケるのは、10年早いよねぇ・・』
と私は家内に詫びながら、明るく応(こた)えたりした
私は2004年(平成16年)の秋に定年後の年金生活を始めて以来、
平素の買物は自主的に専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。
我が家は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれも路線バスの利便性は良いが、年金生活を始めてから原則として散歩も兼ねて、
路線バスを利用することなく、ひたすら歩いたりして、季節のうつろいを享受している。
やがて私は買物に出かける為に着替えが終わった後、
『郵便局とXX銀行・・昨年の12月中旬より通帳を記載していなかったから、
ついでに寄って、通帳記入してくるねぇ』
と私は家内に言ったりした。
私はスポーツシャツにフリースを着て、防寒着のフィードシャケット、
そしてストレッチパンズの長ズボン、ウォーキング・シューズを履き、身を整えて颯爽として出かけた。
やがてXX銀行、近くにある郵便局で、私たちそれぞれ通帳を記載した後、
『無念ながら、それぞれ通帳の一千万円も満たない貯金も・・年金生活を過ごせば、確実に減るばかりだものなぁ・・』
と苦笑しながら心の中で、こっそりと呟(つぶや)いたりした。
この後、スーパーで節分用の豆を見かけて、三種類ばかり衝動買いをしたりした。
そしてまもなく2月3日を迎えれば、『節分の日』を思い馳せて、
月日の余りにも早く過ぎて行く、と深く感じたりした。
やがて足早に自宅に向かって歩いている時、
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