夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

90歳過ぎて「幸せになる人」「不幸になる人」の分岐点を学び、71歳の私は微苦笑を重ねて・・。

2016-01-16 14:33:32 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
昨夜、私が愛読している講談社の基幹サイトのひとつの【現代ビジネス 】を開き、
こうした中で、【 90過ぎて「幸せになる人」「不幸になる人」~分岐点はココにある 
              人生100年時代、あなたはどちらになるのか 】と見出しを見たりした。

私はとても90歳までは生きられないと思いながら、万一90歳まで生かされたなら、
どのような生活が待ち構えているか、と夢想を重ねながらも、クリックして、 精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊現代』2015年1月16日・23日合併号に掲載されて、
【現代ビジネス 】に1月15日に配信された記事のひとつであり、無断ながら大半を転載させて頂く。
          
《・・「100歳まで生きる」ことが、当然の世の中がいよいよ現実味を帯びてきた。
長生きすれば幸せ―そんな甘い考えは通用しない。
90歳を過ぎて幸せになれるかどうかを左右するものは何か。
             

☆健康、カネ、そして―

「ばあちゃんたちの幸せの秘訣は、『いくつになっても、女であることを忘れない』ということではないでしょうか。
皆が集まれば、昔の恋愛やちょっとエッチな話なんかで、盛り上がるなんてこともしばしば。

以前、仕事のために、ばあちゃんたちと一緒のホテルに宿泊して、就寝前に急遽ミーティングを行った時も、
ばあちゃんたちは寝間着姿ではありましたが、きちんと化粧をして部屋から出てくるんです。
90歳を過ぎても、やっぱり男性を意識している。そういう姿は輝いて見えますね」

沖縄本島より南西に400km、八重山諸島のなかの小浜島で暮らす80歳から97歳までの女性たちによる
アイドルユニット「小浜島ばあちゃん合唱団」、通称「KBG84」のプロデューサー、つちだきくお氏はこう語る。

また91歳ながら、現役の風鈴職人であり、江戸川区伝統工芸会の終身名誉会長も務める篠原儀治さんもこう話す。
「この歳になったら隠居するのが普通だけど、それじゃあ人生つまらない。
今の私の仕事は、弟子たちが修業に励んでいるのを見守ってやること。
彼らの成長ぶりを間近で見れるのが幸せなんですよ」

篠原さんは毎朝5時に起きては、丸一日風鈴づくりの現場で弟子たちの指導にあたっている。
睡眠時間はたったの4~5時間。
身体への負担は計り知れないが、それでも幸せをかみしめる。
             

日本の平均寿命は年々上がっており、今や男性が80.50歳、女性が86.83歳。
計算上は、夫婦揃って60歳を迎えた場合、約40%の確率でどちらかが90歳まで生きることになる。
さらに、約20%の確率で95歳まで生きるのだ。
まさに「人生100年時代」の到来、90歳超えはごく当たり前となってきた。

「90歳を超えるような人の幸福度を考えた場合、何が一番大事かと言えば、当たり前ですが健康面でしょう。
健康に生活できれば、おカネはかからないし、介護施設や老人ホームも必要ない。
たとえ貯金が尽きてきて、限られた年金だけの懐具合でも、
自宅で生活を続けることができ、子供や親族に迷惑をかけない、自立した生活を送れます」

こう話すのは、高齢者の住まい選びで豊富な実績をもつ「シニアの暮らし研究所」代表の岡本弘子氏。
幸福への近道は、やはり健康を維持することにある。
だが現実的には、もっと大切なものがあると同氏は指摘する。

「そうは言っても、90歳という年齢になれば、どうしたって病気にもかかるし、介護が必要になる時もくる。
そんな局面で頼りになってくるのは、結局おカネ、そして面倒を見てくれる人です。
だから、おカネと頼りになる人が充足している人は、90歳を迎えても幸せでいられます。
一方で、どちらも無いという方は、不幸にならざるをえません。

もちろん、人が幸せか否かを、はっきりと線引きすることは難しい。
しかし、体調面や貯蓄額を鑑みて、このまま歳を重ねていけば、幸せになるはずだった人が、
思いがけず不条理な境遇となって、終末を迎えることは十分あり得ることなのです」


では具体的にはどうすれば、「超高齢」となった時に、幸せを維持することができるのか。
あるいは60~70代にも届こうとして、もはや悲惨な終末しか待ち受けていない、
とあきらめるような身の上であっても、90代で大逆転の幸せをつかむことができるものなのか。
             

☆月収20万円が分かれ目

そこで本誌は、複数人の90歳前後の方に取材。
彼らが今幸せなのかどうかを専門家に、あくまで客観的に判定してもらった。
 *
すでに息子も一人立ちした状態にある70代夫婦。
Aさんはサラリーマンとして会社を定年まで勤め上げ、年収は約600万円だった。妻は結婚するまで働いていた。
お互いの基礎年金が約6万円、厚生年金は夫が10万円、妻が6万円。
月額の年金収入は28万円となっていた。住まいは持ち家であり、すでにローンも払い込み済みだ。

しかし、90代に差し掛かったタイミングで妻が亡くなり、年金収入は16万円に大幅減してしまう。
ただ、生保と契約していた終身型の年金保険の受給を、あえて遅らせて80歳より開始。
そうすると月3万円が加算されるので、合計収入は以前よりも9万円少ない、19万円となる。

このケースを前出の岡本氏が解説する。

「90歳以上の世帯では、配偶者の方も亡くなり、子供たちが同居してくれるとは限らない。
結果、一人暮らしになる場合が、ほとんどだと思います。
そうした場合、経済的な幸せの分岐点は、ずばり月20万円の収入です。

Aさんのように老齢年金や厚生年金による年金収入などで月20万円近く貰えていれば、一人暮らしでも余裕が生まれます。
慎ましく自炊を心がければ、生活費も抑えることができます」

これなら、週1の割合で通院しても、医療費は月10万円もかからないため、積立貯蓄も可能になる。
また仮に介護を受ける必要が出た場合にも、やはり月20万円のラインが、一つの目安になると同氏は続ける。

「贅沢ではなくても、平均以上のサービスを受けられる老人ホームに入ろうとすれば、最低でも月15万円はかかります。
その点で言えば、Aさんは比較的余裕があります。
加えて多額な老人ホームの入居金も、この方のように持ち家があれば、それを売却して頭金にできるのも大きいですね。
また自宅での介護を選択するにしても、いくつかの介護サービスを使った生活ができます」

さて、いつどのような健康状態になるのか予測もつかなくなるのが自明な90代。
その時その時の身体の具合に応じて、介護やケアサービスについては選択の幅を広く持つことが、
健康面での幸せの条件にもつながってくる。
             

☆幸せが逃げる人のパターン

「なんだ、結局のところ、おカネがたくさんあれば、90歳になっても幸せになれるのか」
そう安直に結論づけてはいけない。
多くの高齢者のカウンセリングを行う心理カウンセラーのきくちみよこ氏は、自らの経験を踏まえて忠告する。
 *
都内で暮らしていた70代のCさん夫婦。
息子や孫とも近い場所で暮らしており、月30万円以上の年金収入と十分な貯蓄がある。
夫婦で頻繁にディナーへ出かけ、年に2~3度の国内旅行は欠かさない。

幸せな90歳を迎えるには、十分過ぎる環境にあったはずだが、
この後、妻に先立たれてしまったCさんは、予期もしない不幸な晩年を迎えることになってしまうのだ。

この夫婦、仲があまりに良かったことが、かえって災いしてしまった。
90歳を過ぎようという時に、Cさんは突然、最愛の妻を亡くしてしまう。

その結果、妻の死による喪失感と、あまりに長くなった老後生活に対する漠とした不安からか、
周囲に強くあたるように、変貌してしまったのだ。

「息子さんたちが会いに来ても、悪口や愚痴ばかり言い始めるようになったのです。
そのせいで家族は次第に疎遠になり、一層募る寂しさを今度は、友人たちにしつこく訴え続けたために、
余計に周囲から人が離れていったのです。

いよいよ介護が必要になったと気付いた時には、家族から同居を拒否されてしまうという不幸な境遇に陥ったわけです」(きくち氏)

会社勤めをコツコツと長く続けてきた人や、家事や子育てに一人で専念してきた人たち、とりわけ実直な人ほど、
「私は一生懸命頑張ってきたんだ」と自らを誇示する場合が多い。

そうした人が、いざ年を取って、急に孤独な立場になった時、周囲への不満を感じやすくなるようだ。
その不満をつい口に出してしまおうものなら、どんなにおカネがあっても、不幸になってしまう可能性がある。
             

「私の知る限り、90歳以上で幸せに生きている方は『私がここにいるのは、周りの方々のおかげです』
という他人を思いやる気持ちを持っています。
ある方は人の役に立ちたいと積極的にボランティアに参加したり、周囲の人と勉強会を開いたりしていますよ」(きくち氏)

冒頭で幸せな90代として紹介したKBG84。
彼女たちの幸せの源にも、人とのつながりがある。

「都会では、長年連れ添ったパートナーを失った途端に、家に引きこもりがちになって
孤立してしまうご高齢の方も多いと聞きます。
その点、この小浜島は良い意味で昭和の日本のように、隣人との距離感が近い。
KBG84のばあちゃんたちも、その多くが一人暮らしですが、それでも幸せそうなのは、
こうした島民たちの結び付きがあるからだと思います」(前出のつちだ氏)

健康を維持することは、容易ではなくても、おカネをうまくやり繰りし、人間関係を再構築することは
60、70歳になってもまだ間に合う。

人生100年時代、90歳を超えた時、不幸になってしまわないためにも、今から準備しておくにこしたことはない。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
             

私は民間会社の苦楽の多い中小業のある会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、あえなく出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。

そして私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
ときおり敗残者のように感じることも多く、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、定年退職後から年金生活を始めた・・。
          
家内は私より5歳ばかり若く、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

そして世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と言われたりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。

年金生活を始めた当初は、定年の5年前の頃から、定年後の60代の10年間だけは五体満足に生かしてくれ、
その後の70代以降の残された歳月は、余生であると漠然ながらと思ったりしてきた。

こうした思いの底には、私の父は私が小学2年3学期になると、黄疸〈おうだん〉で長らく自宅治療をしていたが、
肝臓が悪化して、42歳の若さで病死されたこともあったりしたが、
何よりも私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、先輩の65歳、69歳で亡くなったことであった。
                       

私は年金生活を始めた当初でも、お酒は好き、タバコも喫うし、これといってスポーツもしなし、
散策する程度であるので、家内より先にあの世に行く、と漠然としながらも思っている。

このようなダラシナイ私は、私の葬儀、お墓、そして家内の独りの老後で程ほどに生活できそうな状況のことも、
話し合ったりしている。

こうした思いのある私は、定年退職後まもなく公正証書の作成できる処に出向き、
残された家内の生活が困苦しないように、私の遺言書を作成したりした。

そして自宅を処分して、2DKのマンションを購入して、残された人生を過ごされれば、
と私は家内に言ったりしている。
  
しかしながら、こうしたことは天上の神々の采配に寄るものであり、
家内に先立たれることもあり、私が独りぽっちとなることも、一年に幾たびか、
おひとりさまの生活を思いめぐらすこともある。
                       

最初の起因は、私が定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に家内の父が病死され、
家内の母は独り住まいとなった。

そして家内の母はこ自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で年に4回ぐらい母宅に泊りがけで行っている。
       
こうした中で、もとより家内は、家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
この間は私は『おひとりさま』の独りぼっちの生活となっている。

こうした時の私の心構えは、何かとプラス思考の多い私は、
万一、いつの日にか私を残して家内に先立たれた場合、
私は『おひとりさま』となってしまうので、特別演習かしら、と思いながら、
大幅に手抜きした料理、掃除、洗濯をしたりして過ごしてきた・・。

しかしながら決定的だったことは、私が64歳の時、知人のひとりが奥様を病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは通夜に参列し哀悼をしながらも、動顛してしまった。

そして私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に、心痛な思いで深く学んだりした。
                          

私は71歳の身となり、家内は66歳となり、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

そして70代の心針初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
       
こうした中で、私は母の遺伝を受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、何かと家内と談笑したり、
ご近所の奥様、ご主人さまと話し合ったりすることが多い。

或いは、知的好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

私たち夫婦は年金生活を過ごして、早や12年目になっているが、
幸いにもお互いに大病に遭遇せず、過ごしてきた。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないことが多く、
私たち夫婦は38年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えて、
ここ10年は安楽の日々を過ごしてきた。

そして今こうして過ごしている私たち夫婦は、最良の日々かしら、と私は感じたりしている。

これからの日々は、体力の衰えを増すことを実感しながら、
やがていつの日にか、どちらかが不運にも大病になったり、最悪の場合は死別して、おひとりさまとなったりする。

こうしたことは自助努力も必要であるが、こればかりは天上の神々の采配に寄る。
                        

しかしながら、こればかりは天上の神々の采配にゆだねられているが、
まして、この世の中は、先のことは何が起きるか解からないので、
小心者の私は一年に何回かは、家内に先立だれ『独りぼっち』になってしまうことを考えたりしている。

私は家内と日頃から、子供がいない一代限りの為か、葬儀、お墓のことも何度も話し合ったりしている。
葬儀は兄妹などの親族関係だけの家族葬とした後、お墓は樹木園に埋葬し、
それぞれ好きな落葉樹の下で土に還る、
そして四十九日が過ぎたら、その時の心情でお墓参りをすればよい、とお互いに確認し合っている。
          

私は家内が亡くなった時は、世の中はこのようなこともあるの、
と茫然(ぼうぜん)としながら四十九日を終えて、樹木園に行き、埋葬をすると思われる。

そして家内に先立たれた時、こうした古ぼけた家でも小庭の手入れも含めて維持管理するのは、
苦楽が伴なうので住めないだろう、と私は改めて感じたりした。

やむなく小庭のある古惚けた一軒屋を処分し、都立の大きな公園が隣接した場所で、
小さな2DKのマンションに転居すると思われる。

そしてスーパーと本屋に徒歩10分前後で行けた上で、
大学総合病院に公共の交通機関の利便性のある場所を選定するだろう。
                        

この前提として、もとより住まいが狭くなるので、
やむなく本の大半は処分し、500冊前後に厳選した上、
映画作品のDVD、そして音楽のCD、DVDは程々に多いがすべて移動する。

こうした独り身の『おひとりさま』になった時の私の日常生活は、
付近の公園で四季折々の情景を眺めながら散策したり、
スーパーでお惣菜コーナーの売り場で買い求めたり、本屋に寄ったりして、数冊を購入する。

過ぎし年、新聞の折り込み広告で、マンションの売却のひとつに、
私がこよなく散策している公園、遊歩道に隣接地帯のマンションのひとつが掲載されていた。

広い敷地の中で、数多く樹木もあり、広場もゆったりとして数10棟が10年前頃に分譲を始めた。
この中は殆ど広い3LDが多い中、小さい2DKの中古分譲があった。
                                           
何かしら12畳と6畳の二部屋に、バルコニーが有り、もとより台所、バス、トイレ付であった。
私は『おひとりさま』になった時は、こうしたスペースが最適かしら、と思案させられたりした・・。

12畳は居間として、少し大きめのテープルを置き、壁一面に本と映画・音楽の棚で、
テープルにはバソコンを置き、窓辺のバルコニー越しにマンション敷地内の大きな樹木が数多く観える・・。
                          
そして食事もこのテーブルを使い、四季折々の常緑樹、落葉樹の情景を眺める。

6畳はベットの下には収納棚に下着と靴下、壁側は衣服棚・・このように思い馳せたりした。
そして付近の区立の小公園を散策代わりに、毎日のように歩く。
                                               
                                              
こうした中で、週たった一度だけ定期便のような居酒屋に行き、
中年の仲居さんと談笑し、からかわれながら、純米酒を二合ばかり呑むだろう。

こうした中でも、私は家内の位牌の代わりに、
定期入れに愛用した革のケースに、家内のスナップを入れて、いつも持ち歩くと思われる。

こうした日常生活を過ごすと思われるが、
私は国内旅行も好きなので、少なくとも年に4回ぐらいは2泊3日前後で、各地を訪れるだろう。

劇作家のチェーホフの遺(のこ)された、
《・・男と交際しない女は次第に色褪せる、女と交際しない男は阿呆になる・・》
と人生の哲学のような名言は、
どうしたらよいの、と私は考えたりするだろう。

やむなく、私は宿泊先の仲居さんで、お酌をして下さる方たちと、
やさしくふるまいながら語りあうと想像される・・。

そして、その夜は枕元に革ケースを置いて、
人生はいつまで続くの・・、と天上の人となった家内に呟(つぶや)きながら、眠るだろう。
                        

このように小心者の私は思いめぐらす時がある。


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