2月12日
私たち夫婦は、紋別の市内に3連泊した後は、
次の宿泊地はサロマ湖にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に移動する為、
『エクスプレスバス』と称せられた移動に利便性のある観光路線バスを利用し、
やがてサロマ湖の東岸にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に13時に到着した。
確か20数年前の頃の私は、サロマ湖の東岸にある『サロマ湖東急リゾート』のような処で、
数日のんびりと滞在することが夢のひとつであった。
しかしながらこの当時の私は、民間会社の中小業に勤めるサラリーマンであり、
多くの人と同様に多忙であり、とても静寂な地のリゾートホテルで数日のんびりと滞在することが、
叶(かな)わないことであった。
今回の旅路は、家内は紋別で3連泊して、流氷観光船に幾たびか乗船し流氷を満喫したい、
私は静寂なサロマ湖畔のリゾートホテルで3連泊したい、
このような発想が根源であった。
そして過ぎし年、サロマ湖の東岸にある『サロマ湖東急リゾート』は、
北海道の有力観光グループの鶴雅(つるが)グループに経営権は委譲されたが、
いつの日にか宿泊したい、あこがれを秘めた処でもあった。
予約した旅行代理店から、この『サロマ湖鶴雅リゾート』パンフレットを頂いた表紙には、
《、なにもない静寂
なにもしない贅沢 (略)》
このようなフレーズが綴られ、私が念願していた思いと、ピツタリと微笑んだりした。
チエックインは午後3時過ぎであったので、予定通り家内と未知の周辺を散策したりした。
そして湖岸を少し眺めたりした。
やがてホテルの裏側は道路があり、奥地は山林となっていた。
この道路沿いを10分ぐらい歩き、左折した道路の前方には大きな橋があり、小さな漁港が視えたりした。
そして彼方にはワツカ原生花園にように思えたりした。
やがてホテルに帰還すると、早めの午後2時にチェックインして頂いた後、
指定された部屋は、昼下がりの陽射しで眩しく、
窓辺からの前方は湖面は氷結した上に、粉雪が積雪していた・・。
やがて夕暮れ時には、落日の光景を窓辺の椅子から、私たちは鑑賞したりした。
2月13日
サロマ湖の東岸にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に初めて宿泊した私たち夫婦は、
私は朝の5時半過ぎに目覚めて、やがて窓辺のカーテンを少し開いた。
窓辺からの前方は湖面は氷結した上に、粉雪が積雪し、彼方の対岸は霧のようにぼんやりとしていた・・。
もとよりサロマ湖は、琵琶湖、そして霞ヶ浦に次いで3番目の大きな湖(みずうみ)であり、
北海道としては第一の広さとなっている。
広大なオーホーツク海とは細長い砂州によって境界となっているが、
二つばかりの小さな湾口を通じて、周囲72キロの広さオーホーツク海につながっている稀な湖(みずうみ)となっている。
そしてサロマ湖はこうした稀な形状の為か、カキ、ホタテ、ノリなどが養殖され、
湖岸に生息するサンゴソウは天然記念物として名高い。
数多くの訪れた人たちからは、サロマ湖の落日は美しく、
北国の清澄な空気を茜色(あかねいろ)に染めながら、金色の太陽が光を弱めて水平線に落ちてゆく、
情景が絶賛されてきた。
このようなことを思い浮かべたりしたが、冬のおだやかな晴れた朝、ものみな静寂・・、
と微苦笑したりした。
この後、私は10時過ぎに独りで湖岸を散策したりした・・。
やがて昼下がりになると、窓辺の左前方の空は暗くなり、右前方の空は明るさを残していた・・。
私は、まもなく雪雲(ゆきぐも)が到来して、粉雪が降るかしら、と思ったりした。
この後、まもなくして上空は暗さを増す中、風が吹き粉雪(こなゆき)が舞い降りてきた・・。
このような情景を眺めていた私は、館内の売店に行き、雪見酒とした。
私はぼんやりと茶碗酒を呑みながら、
雪が降りそうな暗い空は、確か雪気(ゆきげ)と称したよなぁ、と思いだしたり、
粉雪(こなゆき)は粉のように細かくさらさらと降る雪だった、
昨今の若き男女はパウダースノーとおしゃれに命名していたよなぁ、
とせんなきことを思い重ねたりしていた。
しかしながら、この後の旅先で私たち夫婦は、粉雪(こなゆき)に風が強く吹けば、
視界は遮(さえぎ)られて翻弄され、困苦することは、この時は予感もできなかった。
2月14日
サロマ湖の東岸にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に滞在している夫婦は、
昨日の午後時過ぎより、粉雪(こなゆき)が舞い降り、やがて風も伴い視界も悪くなった・・。
こうした時の私たち夫婦は、指定された部屋でのんびり過ごしたり、
朝、昼下がり、夕方などは大浴場、露天風呂に行ったりし、
ときには館内の遊びの広場と称せられた体育館のような処で、
10数年ぶりに卓球の真似事をしたりした。
こうした中で私は独りで館内のロビーに、12日より滞在する中で、幾たびか通ったりした。
私は年金生活11年生であるが、午前中に買物専任者の責務を終えると、
やはり独りで自宅周辺3キロ範囲にある遊歩道、小公園などを歩き廻ったりしている。
この後の大半は居間で過ごしたりすることが多く、
何かと随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。
ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。
或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、聴いたりしている。
このような生活をしている私は、旅先の『サロマ湖鶴雅リゾート』のロビーに瞬時に魅せられた・・。
チェックインの時に気付いたのであるが、ロビーの一面に大きなスピーカーが置かれていたので、
スピーカーの名門のJBLの美しいフォルムと名高く、アンティークな大きなパラコンが置かれていたことに、驚いた。
そして私は、オーディオファンの誰しもが知っているマッキントッシュの構成で、
それぞれの音楽が奏(かな)でられていたことに魅せられた・・。
たまたま私は、現役サラリーマン時代はあるレコード会社に35年近く勤めた為か、
知人にはオーディオファンの方も多く、私は勤めて6年間の頃まではオーディオの初級まで熱意したが、
この後は家のローンの返済であえなく敗退し、昨今はCDラジカセで聴いたりしている身となっている。
そして所有しているレコード、CDを知れば、本と同様にそのお方の思考が解ると思っている私は、
私はこの突出したオーディオ装置の壁面の一面のソフトを拝見したりした。
この後、フロントのスタッフから、このオーディオ装置は、
このリゾートホテルを含め道内に多くの観光ホテルを経営している鶴雅(つるが)グループのオーナが、
ご自身のあふれる熱意で購入された、と教えて頂き、良きご趣味ですねぇ、と私は微笑みながら言ったりした。
このロビーには、大きな薪ストーブが設置され、幾たびか薪が燃やされている状況を私は見たりした。
もとより館内は大型の冷暖房完備しているが、特に薪の爆(はぜ)る音は、羨望させられたり、
この世の最上な贅沢なひとときを享受したりした。
そしてロビーには幾つかの彫刻作品が置かれていた。
私は彫刻の世界は全く無知であるが、この中のひとつに瞬時魅了させられた・・。
うつむく少女、と私は勝手に名づけてしまったが、近寄って見たら『少女』と命名され、
私は微苦笑させられたりした。
2月15日
私たち夫婦はサロマ湖の東岸にある『サロマ湖鶴雅リゾート』に3連泊した朝、
次の宿泊地の網走湖の湖畔にある観光ホテル『網走湖荘』に向かう準備を終えた。
そして朝食前に館内にある売店で、大きな旅行ケースを宅配便で自宅に送付する為に手続きをしたりした。
次の網走までは、私たちがこのサロマ湖まで来た『エクスプレスバス』を活用すれば、
『サロマ湖鶴雅リゾート』13時45分・発に乗車し、やがて網走の『おーろらターミナル』14時35分・着で、
わずか50分たらず近い道のりである。
しかしながら私たちは早めに網走に行って、網走湖の湖畔にある『網走湖荘』の付近で、
冬のイベントのひとつの『あったか網走』で、熱気球などに乗って体験したい為に、
当初よりコースを改定していた。
『サロマ湖鶴雅リゾート』よりホテルの送迎車でJRの『北見』駅まで行き、
その後は10時45分・発の各駅列車で『網走』駅に11時46分・着、
そして駅前より網走湖荘』まで路線バスで行く、予定を立てていた。
やがて8時半過ぎにチェックアウトをして、お世話になったホテルに別れを告げた。
そしてホテルのご厚意の送迎車に私たち夫婦は乗車し、たまたま同乗したは若き20代のご夫婦であった。
湖畔は粉雪(こなゆき)が降り続け、ときおり風も伴い視界も悪くなった・・。
まもなく9時にホテルを出発し、同乗した若きご夫婦と談笑する中、
北見市にお住まいで、平素は自動車を利用しているが、このような暴風雪は怖くて・・
と若き男性は私たちに言ったりした。
送迎車を運転して下さる方は、50代年配の男性で、大半は除雪されていた道路を疾走してくれたが、
路肩に除雪された粉雪がうず高く小山となり、この除雪された粉雪は風が吹くと舞い上がり、
前方の道路の視界を遮(さえぎ)ったりする。
或いは付近の平地の積雪している粉雪も、風で舞い上がり、道路の視界を遮(さえぎ)ったりしている。
私は運転して下さる方は、『暴風雪のようで、運転するも大変ですね』
と言ったりした。
『このような悪天候は慣れていますが・・怖いは道路に人が突然に出てくることです・・視界ゼロに近いですから』
と運転して下さる方は、私に言ったりした。
私たち夫婦は北海道の冬の旅路は幾たびもしてきたが、このような長く視界ゼロのような状況は、
初めて経験した。
やがて運転して下さる方の技量で、予定通り10時にJRの『北見』駅前に到着した。
そしてそれぞれお互いに、お気を付けて・・と別れを告げたりした。
『北見』駅の待合所の告知には、石北本線の各駅列車は全面運休、と表示されたりした。
もとより石北本線は道内の北の中心地の旭川市、そしてオホーツク海の玄関口の網走市を結ぶ幹線である。
私たちが乗車する10時45分・発~網走駅・11時36分・着も、もとより運休となり、
『札幌』発、『旭川』経由『網走』まで疾走する『特急オホーツク』列車だけが運行となっていた。
そして私たちは、『北見』11時57分・発の『特急オホーツク』で、『網走』12時46分・着、
このように切り替えた。
そして私は構内、待合所をうろついたりして、『特急オホーツク』の到着を待ちわびた。
☆駅構内にあったボスターを記念に撮ったりした☆
やがて20分近く遅れて、『特急オホーツク』は、『北見』に到着した。
この少し前に改札となり、私は『北見』駅のプラットフォームを撮ったりした。
そして『特急オホーツク』は入ってきたが、前面は積雪がビッシリと付着していたので、
特に『旭川』から山間部の多く、更に暴風雪の中を奮闘した結果だった、と私は理解できたりした。
やがて『特急オホーツク』は、粉雪が降り続け、ときおり強風が吹く中、『美瑛(びえい)』そして『女満別』を停車した時、
運転席の前はワイパーが暴風雪で故障しまして、修理でお時間を下さい、
このような意味合いが車内放送に流れたりした。
『この特急は『札幌』を7時半近く発車して、悪天候の中、よくぞ力走してくれているょ・・
ワイパーだって・・壊れてもおかしくない暴風雪だもん・・』
と私は特急オホーツクの健闘をたたえて、家内に言ったりした。
やがて『特急オホーツク』は、遅延しながらも『網走』駅に到着した。
『網走』駅の構内は、数多く人出の中を私たち夫婦は通り抜けた後、
駅前の路線バス乗り場、或いはタクシー乗り場を探したりした。
しかしながら積雪があり、粉雪が降り続け、ときおり強風が吹く中、
一般自動車、路線バス、そしてタクシーも混乱している状況であった。
やむなくタクシー乗り場で待機していたが、肝心のタクシーが積雪15センチ前後の中、
スリップして動けず、私の前にタクシー待ちをしていた男性の掛け声で、
私たち男性6名がスリップしたタクシーの後部を、数分に及び何とか押し出したりした・・。
やがて私たち夫婦は、何とかタクシーに乗れて、
積雪20センチ前後の中、網走湖の湖畔にある観光ホテルの『網走湖荘』に到着したのは午後2時過ぎであった。
結果としては、サロマ湖から網走まで近くて、遠い5時間の長い道のりとなってしまったねぇ、
と私は苦笑しながら家内に言ったりした。
しかしながら暴風雪に翻弄された私たち夫婦だったが、この後の翌日は更に大きく影響されるのである。
2月16日
私たち夫婦は昨日の15日には、網走駅前より暴風雪の中で何とかタクシーに乗れて、
積雪20センチ前後の中、網走湖の湖畔にある観光ホテルの『網走湖荘』に到着したのは午後2時過ぎであった。
やがてチェックイン後、予想したより大きな部屋に通されて、
私は煎茶を淹れながら、サロマ湖からの道のりには予想外のことが多くて、疲れたょ、と家内に言ったりした。
そして私は、家内の座っている前に煎茶の入った茶碗を置き、
『XXちゃんの楽しみにしていた『あったか網走』のイベントも中止になり・・熱気球も乗れなくて・・』
と私は家内に言ったりした。
家内は煎茶を飲みながら、このような悪天候になってしまって・・やむえないわ、と私に言いながら、
お互いに微苦笑したりした。
翌日の16日の朝の6時過ぎ、私は部屋の窓辺のカーテンを開けると、
網走湖は粉雪が降る中、風が吹き、粉雪は舞うような視界をさえぎったりしていた・・。
やがて8時半過ぎに、チェックアウトした時、予約していた9時発の網走行の送迎バス・・大丈夫ですよねぇ、
とフロントの方に私は確認したりしたが、明確な返答はなく、私は少し不安を増した。
私たち夫婦の予定は、このホテルからの9時発の網走行の送迎バスで、市内の道の駅『流氷街道網走』まで行き、
この館に併設されている流氷観光砕氷船の『おーろら号』11時・発のクルーズを1時間ほど乗船した後、
この道の駅『流氷街道網走』12時20分・発の路線バスで女満別空港に13時・着を予定している。
そして女満別空港15時・発の日本航空1188便に搭乗して、羽田空港16時55分・着を予約していた。
やがてホテルの9時発の網走行の送迎バスは、30分近く遅れて乗車でき、
市内の道の駅『流氷街道網走』に到着したのは10時少し前であった。
そして併設されている『おーろら号』の乗船売り場で、『おーろら号』は欠航と知った。
この後、観光案内所を見つけて、女満別空港・発の航空状況を確認して頂いた・・。
まもなく女満別空港の昨日は欠航便が多く、キャンセン待ちなどで130名前後の方たちが、
空港の待合所で一晩過ごされ待機されていた、と知ったりした。
そして私たちが搭乗する便が『欠航』が確定している、と教示されて、
私たちは困惑した。
私たちは幾たびに旅路をしてきた中で、搭乗予約している航空便が『欠航』は、初めて体験であり、
やはり女満別空港の日本航空の受付センターで、振替の依頼をしょう、と公衆電話で幾たびもしたが、
問い合わせが殺到しているらしく、連絡ができなかった。
その上に、女満別空港までの路線バスも『運休』と知り、
とりあえず館内の休息場でコーヒーを飲んだり、女満別空港の日本航空の受付センターに電話連絡したり、
或いは港から海を眺めたりしていた。
やがて女満別空港行きの路線バスは、運行を始められ、
私たちは乗車して、何とか女満別空港の日本航空の受付センターに着いたは13時半過ぎであった。
そして家内は受付センターで予約していた搭乗券(J席)を提出し、欠航の振替の依頼をした・・。
やがて満席続きで、搭乗できそうなプランは、2日後、と提示された。
私はこの後、網走湖畔の観光ホテルに連泊しても、必ず確約ができなければ・・、
と受付センターの方に言ったりした。
やがて数分した後、旭川空港・発の明日の午後便でしたら、確約できます、と私たちは説明を受けた。
この女満別空港のJR最寄駅の『美瑛』駅に行き、やがて特急オホーツク号で『旭川』駅・着。
たとえば『美瑛』13時55分・発の場合は、『旭川』17時12分・着。
或いは『美瑛』14時44分・発の場合は、『旭川』18時04分・着。
このような意味合い表を頂き、やむえなく了承した。
そして旭川空港・発の明日の午後便の仮搭乗券を受け取り、
迅速に私たちは未知のJRの『美瑛』駅までタクシーに乗車した。
私は車内で、旭川の市内ホテルに一泊して、明日の昼まで旭川空港に着けば、夕方には羽田に帰れるょ、
と家内を慰めるように言ったりした。
タクシーは積雪のある道を疾走し、ときおり粉雪が舞う中、やがてJRの『美瑛』駅に到着した。
しかしながら駅の構内の告知板では、『全面運休』と表示されていた。
家内は驚きながら窓口の担当者に、特急も運休ですか、と訊(たず)ねたりした。
そして窓口の担当者は、お詫びの言葉を重ねたりした。
やむなく私たちは女満別空港まで引き返すこととしたが、駅前にはタクシーが一台もなく、
私は公衆電話でタクシー会社に依頼した。
結果として女満別空港とJRの『美瑛』駅をタクシーで往還し、
往復料金として6000円なってしまい、苦笑させられた。
やがて日本航空の受付センターに私たちは舞い戻ると、
先ほどの受付センターの麗(うるわ)しき女性が、恐縮した表情で待ち構えていた。
『あれからまもなくしまして、JRの石北本線は全面運休と知りまして・・大変ご迷惑をお掛け致しまして・・
遅ればせながら本日の20時20発の最終便に、何とか2名様が確保できまして・・』
とこのような意味合いの言葉を言いながら、家内に指定された搭乗券(J席))を手渡したりした。
この後、私は当初予定していた15時発が、20時20分になってしまったが、
予約していた通りの少しゆったりと座れるJ席で良かったじゃない、と家内に言ったりした。
この後、空港内の食事処で、遅い昼食を注文できたのは14時半過ぎであった。
やがて待合所の椅子に座ったのは、15時過ぎであり、この後5時間近く待たされ、
私は本を読んだりしたり、ペットボトルの煎茶を飲んだり、
或いは愛煙家の私は喫煙室に行ったりしていた、
家内は空港内の名店で買物をしたりしていたが、
やはり5時間は余りにも長く、ときおりお互いに微苦笑したりしていた。
こうした中で、もしも新千歳空港で長らく待機するだったら、
入浴、休息できるクワハウスを利用し、安楽なひとときが過ごせたのに、
と私はユーモアを含めて家内に言ったりして笑わせたりした。
或いは私は大きく掲げられた運航状況の告知電子版を観たりした。
そして私たちが搭乗する便が、確か空港測定中、という表示が消えず、私は不安を増したりした。
私は濃霧で離発着できない、或いは粉雪が暴風雪となり滑走路などで離発着できない状況を思い馳せたりし、
何かと平素はプラス思考の私は、ここ二日間の出来事を思い浮かべれば、弱気になったりした。
やがて私たちが搭乗する航空機は、予定時20時20分を30分ばかり遅れて女満別空港を離陸した。
そして羽田空港に23時近くに着陸し、やがて私たちは疲れ果てていたので、
タクシーに自宅に向かった。
ときおり旅路の帰路にはタクシーを利用することもあったが、
こうした帰路は環状7号より世田谷街道から帰宅したりしている。
今回は旭川のホテルに泊まったつもりで、都心の夜景見物を兼ねて、
首都高速を通ってもらい、やがて我が家に着いたのは24時の真夜中であった。
このような昨年の冬の私たち夫婦の遊学した旅路であったが、今年は家内は家内の母の介護に伴い、何かと多忙となり、
冬の私たち夫婦の旅路が定まることなく、私はうつろな思いで、のんびりと何処か旅行に行けるのは、いつごろになるかしら、
と苦笑したりしている。
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