私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に、家内の父に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で、家内の母は独り住まいの生活をされて、早や13年目となっている・・。
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ11年の恒例となっていた。
こうした中、家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。
やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。
やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
たまたま過ぎし6日より4泊5日で、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている関係で、
ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
このような私は『おひとりさま』の生活となった当初は、漠然としながらも、
私たち夫婦のささやかな年金生活は、いつまでも続くことは叶わなく、
無念ながら、どちらかが、いつの年には片割れとなり『おひとりさま』となると思いめぐらしたりした。
こうした状況を思案させられた時、私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。
しかしながら、この世はまさかの予期せぬ出来事があり、万一、家内に先立たれて、
私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることも考えられるので、
特別予行演習かしら、と思いながら私は叱咤激励をして過ごしている。
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活13年生となっている。
私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら殆ど毎日のように歩いている。
こうした中で家内は少なくとも料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後の年金生活に於いては、日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物の責務を終えた後、私は高校生より都心で学び、その後も大半は都心の空気を共有してきた為か、
人出の多い都心は、定年後の年金生活で苦手となり、我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園を
ひたすら歩いたりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/83/1302873737c763268bb6004362e462de.jpg)
こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら記憶のかたみとして撮ったりしている。
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。
このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。
そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、お互いの趣味の時は大切にしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a1/36c1e352cc6a24049603b1cd02a92b3c.jpg)
こうした私が『おひとりさま』になる生活は、何かと単細胞の性格の為、余り変化はない。
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしているので、
恥ずかしながら、いつまでも初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行っているのが、実態となっている。
朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉の内側に置いたりした。
ここ一か月に『おひとりさま』の生活になってしまった時は、
台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、煎茶とインスタント・コーヒーを飲んだりする。
前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
やがてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。
この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰かシャケの瓶づめとしてきた。
私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で独り呟(つぶや)いたりしている。
この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、冷(さ)ました後、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
やがて朝食後、休むと後がつらいで、台所で鼻歌をかぼそい声で唄いながら、
瞬間湯沸かし器の温水と水道水を調節しながら、皿洗いなどをして、水遊びをした。
やがて昼食は、小さな塩フランスパンを三つばかり食べながら、インスタント・コーヒーを飲んだりした。
そして夕食は、前菜として冷凍ブロッコリーを電子レンジで温めた後、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、盛大に食べたりした。
こうした中、二日に一回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、煎茶を飲みながら食べたりしてきた。
しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、ウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、
テレビのニュース、或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って、こっそりと呟(つぶや)いたりした。
そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、埃は多少あっても生活には困らないよなぁ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、掃除機を曳(ひ)いて、各部屋を廻り、孤軍奮闘したりした。
夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。
平素は朝食と夕食は殆ど定時で、私は家内と談笑しながら頂いているが、
私が『おひとりさま』の生活をしていると、自由気ままな食事時間となったりし、
更に読書、そして映画を鑑賞、或いは音楽を聴いたりしていると、深夜までなることが多い。
しかしながら朝は7時までは、起床することを厳守している。
こうした中、寝ぼけ眼(まなこ)で、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して、
心の中で呟(つぶや)いたりしている。
たとえ独りぼっちの『おひとりさま』でも、これ以上フシダラな生活は、
心身良くないと思い、布団から這い出ていることも、多くなったりしている。
私は平素は亡き母の遺伝を受けて、男の癖におしゃべりで、何かと家内とは談笑を重ねているが、
『おひとりさま』の生活をしていると、話し相手がいなく寂しいのが、本音である。
そして平素も買物とか散策で出逢ったり、或いは自治会の回覧板を廻す時、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑しているが、
『おひとりさま』を過ごすと、少し長話になったりし、後で独り微苦笑したりしている。
或いは散策をいつもようにしている中、遊歩道、公園などで見知らぬ方たちと、
話しかけられたり、ときには話しかけたりし、談笑したりしているが、
平素より何故かしら長話になったりしている。
このように、ときおり独りぼっちの『おひとりさま』になる私は、
早や13年目かょ、独り微苦笑したりしている・・。
もとより家内は、家内の母宅で孤軍奮闘し労苦が多く、
私はノンビリと独りぼっちの『おひとりさま』を過ごしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/55/ec390f795c2ed15f938b5b1d637239ae.jpg)
私は年金生活を始めた当初は、家内の母の影響で、特に昨年より私が『おひとりさま』の生活が増えてきたことに、
予測がつかなかったことは本心である。
しかしながら人生は、予測できないまさかの出来事が多々あると私は知人から学んだりしてきたので、
これもひとつ人生だよねぇ、と微苦笑したりしている・・。
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私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に、家内の父に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で、家内の母は独り住まいの生活をされて、早や13年目となっている・・。
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ11年の恒例となっていた。
こうした中、家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a3/e9ebdee2e236b4a97bc30789e98210ec.jpg)
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。
やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。
そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。
やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。
そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
たまたま過ぎし6日より4泊5日で、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている関係で、
ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/ed/a2d2d31889d41f2054add4088738b846.jpg)
このような私は『おひとりさま』の生活となった当初は、漠然としながらも、
私たち夫婦のささやかな年金生活は、いつまでも続くことは叶わなく、
無念ながら、どちらかが、いつの年には片割れとなり『おひとりさま』となると思いめぐらしたりした。
こうした状況を思案させられた時、私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。
しかしながら、この世はまさかの予期せぬ出来事があり、万一、家内に先立たれて、
私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることも考えられるので、
特別予行演習かしら、と思いながら私は叱咤激励をして過ごしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/b9/76ff1d8f10c35c710a30d6f145ed6a32.jpg)
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活13年生となっている。
私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。
こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。
何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら殆ど毎日のように歩いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/32/dd192185c1436dc543e7ccf2afeb3f07.jpg)
こうした中で家内は少なくとも料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後の年金生活に於いては、日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物の責務を終えた後、私は高校生より都心で学び、その後も大半は都心の空気を共有してきた為か、
人出の多い都心は、定年後の年金生活で苦手となり、我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園を
ひたすら歩いたりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/83/1302873737c763268bb6004362e462de.jpg)
こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら記憶のかたみとして撮ったりしている。
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。
このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。
そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、お互いの趣味の時は大切にしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/a1/36c1e352cc6a24049603b1cd02a92b3c.jpg)
こうした私が『おひとりさま』になる生活は、何かと単細胞の性格の為、余り変化はない。
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしているので、
恥ずかしながら、いつまでも初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行っているのが、実態となっている。
朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉の内側に置いたりした。
ここ一か月に『おひとりさま』の生活になってしまった時は、
台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、煎茶とインスタント・コーヒーを飲んだりする。
前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
やがてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。
この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰かシャケの瓶づめとしてきた。
私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で独り呟(つぶや)いたりしている。
この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、冷(さ)ました後、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/10/5c17a5f1eb4026e60e7fe092d0797d75.jpg)
やがて朝食後、休むと後がつらいで、台所で鼻歌をかぼそい声で唄いながら、
瞬間湯沸かし器の温水と水道水を調節しながら、皿洗いなどをして、水遊びをした。
やがて昼食は、小さな塩フランスパンを三つばかり食べながら、インスタント・コーヒーを飲んだりした。
そして夕食は、前菜として冷凍ブロッコリーを電子レンジで温めた後、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、盛大に食べたりした。
こうした中、二日に一回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、煎茶を飲みながら食べたりしてきた。
しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、ウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、
テレビのニュース、或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って、こっそりと呟(つぶや)いたりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/ed/24f8802dcf43f180c22c978fd891e435.jpg)
そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、埃は多少あっても生活には困らないよなぁ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、掃除機を曳(ひ)いて、各部屋を廻り、孤軍奮闘したりした。
夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。
平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。
平素は朝食と夕食は殆ど定時で、私は家内と談笑しながら頂いているが、
私が『おひとりさま』の生活をしていると、自由気ままな食事時間となったりし、
更に読書、そして映画を鑑賞、或いは音楽を聴いたりしていると、深夜までなることが多い。
しかしながら朝は7時までは、起床することを厳守している。
こうした中、寝ぼけ眼(まなこ)で、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して、
心の中で呟(つぶや)いたりしている。
たとえ独りぼっちの『おひとりさま』でも、これ以上フシダラな生活は、
心身良くないと思い、布団から這い出ていることも、多くなったりしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/77/07df27277e84624d47db630760b33dca.jpg)
私は平素は亡き母の遺伝を受けて、男の癖におしゃべりで、何かと家内とは談笑を重ねているが、
『おひとりさま』の生活をしていると、話し相手がいなく寂しいのが、本音である。
そして平素も買物とか散策で出逢ったり、或いは自治会の回覧板を廻す時、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑しているが、
『おひとりさま』を過ごすと、少し長話になったりし、後で独り微苦笑したりしている。
或いは散策をいつもようにしている中、遊歩道、公園などで見知らぬ方たちと、
話しかけられたり、ときには話しかけたりし、談笑したりしているが、
平素より何故かしら長話になったりしている。
このように、ときおり独りぼっちの『おひとりさま』になる私は、
早や13年目かょ、独り微苦笑したりしている・・。
もとより家内は、家内の母宅で孤軍奮闘し労苦が多く、
私はノンビリと独りぼっちの『おひとりさま』を過ごしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/55/ec390f795c2ed15f938b5b1d637239ae.jpg)
私は年金生活を始めた当初は、家内の母の影響で、特に昨年より私が『おひとりさま』の生活が増えてきたことに、
予測がつかなかったことは本心である。
しかしながら人生は、予測できないまさかの出来事が多々あると私は知人から学んだりしてきたので、
これもひとつ人生だよねぇ、と微苦笑したりしている・・。
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