夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『50代からのいい言葉、いい人生』、この人生は人それぞれ海より深く、空より果てしなく広い、と私は思い深めて・・。

2016-12-21 15:02:25 | ささやかな古稀からの思い
ここ数日、私はPHP研究所から発刊されている『PHP』2月増刊号で、
『50代からのいい言葉、いい人生』と題された特別増刊号を読んだりしている。

一昨日、いつもように家内から依頼された品を求めに、スーパーに行った買物メール老ボーイの私は、
2階にある日常雑貨フロアーで、洗剤を買い求めた後、雑誌コナーに立ち寄った。

ときおり私は本屋で買いそびれた総合月刊誌『文藝春秋』、『新潮45』などを買い求めたりしているが、
何気なしに見たりしていると、『50代からのいい言葉、いい人生』と大きな字で明記された本に、
瞬時に魅了され、手に取ったりした・・。
                 

そして目次を開き、少し見たりした後、買い求めることとした。

佐藤愛子さんの『巻頭インタビュー この世で起こることは、すべて修行』、
そして曽野綾子さんの『いい人生を生きるヒント 自分をよく知り、長所を伸ばす 』
或いは玉村豊男さんの『今日よりよい明日はない』などの心を発露された思いを学びたく、
読んだりしている。

私は少なくとも人生を深く生きている御方に、秘かに敬愛を重ねたりしている・・。


私は音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、                           
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えてきたが、
最後の5年半は、この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となったりした。

そして各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤め、
何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、定年を迎えることができたので、
敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。
                           
このようにつたない定年までの半生を過ごし、せめて残されたセカンドライフは、
多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
             

こうした中、私は読書好きで、単行本、新書本、文庫本の書籍に於いては、
年金生活を始めた中で、特に塩野七生、阿川弘之、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、
高峰秀子、松山善三、櫻井よしこ、徳岡孝夫、中西輝政の各氏の作品を中核に購読している・・。

雑誌の月刊総合雑誌としては、『文藝春秋』は47年ばかり購読し、毎月秘かに逢える心の友のひとりとなっている。
そして『中央公論』、『新潮45』は特集に魅せられた時は、購読したりしている。

年金生活を始める直前に家内の父が病死され、家内の母は我が家から遠方で独り住まいとなってしまった。

こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行き始めた・・。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしているが、
当初は私は少し戸惑ったりした。

こうした時、敬愛している作家の曽野綾子さんの随筆を読んだりしていた・・。
             

私は遅ればせながら曽野綾子さん・著作の『近ごろ好きな言葉 ~夜明けの新聞の匂い』(新潮文庫)を読み、
多々教示を受けたが、この中のひとつに定年後の男性の生活者としての在り方について、
明記されていたので、私は微苦笑させられながら、読んだひとりである。

本書の初出は、総合月刊雑誌の『新潮45』で、この内容は『暗がりの夫族』と題された一部であり、
掲載されたのは、1995年(平成7年)8月6日である。

《・・(略)・・私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。
私は毎年恒例になっているイスラエル旅行にでかけたが、
その年は大学の同級生の一人がボランティアに来てくれた。

旅の途中で、彼女は、今、真剣に夫に家事をしこもうと思っている、と言った。
もうこの年になると、どちらが先にどうなるかわからない。
死なないまでも、長期入院ということになったら、家に残った方が、一人で生活しなければならない。
             

彼女の家ではまず子供たちが、お父さんにエプロンを贈った。
長いこと社長業をしていたような人で、台所に入ったらどういうことになるか想像がつかない。
優しい子供たちは、何とかそれをユーモラスな出発として励ますことができないかと考えたようだった。

私は彼女の賢明さに打たれた。
もういいの悪いのという選択をしている時間がない。
明日にも、夫婦は一人で生きて行く必要が生じるかもしれない。
配偶者が入院したらその日から、或いは死亡したらその夜から、誰がご飯を作るのだ。
                        

息子や娘たちは皆忙しい年齢である。
離れて住んでいるケースの方が多いだろう。
嫁にご飯を作りに来いなどと呼びつけられると思ったら、それは大変な時代錯誤というものだ。
(略)
私たちの世代の夫族の中で、どれほど生活者として無能な人がいるか、
長い間、私たちはそれこそ笑いの種にして来たのである。

妻がでかけようとすると「何時に帰る?」と聞く。
愛しているから、妻が誰と会うのか、どこへ行くのが心配なのではない。
心配の種は「俺の夕飯はどうなるのだ」ということだけだ。

大学を出ている癖に、夕飯を作る能力も、出前を取る才覚もないから、
奥さんが少し遅れて帰ってみると、電気もつけない薄暗がりの中でじっと座っている。

と言って皆笑うのである。
これはどうしても侮蔑の笑いてしかない。

暗がりの夫族の中には、東京大学の出身者、ことに法学部の卒業生も多かったので、
私たちは自分たちの出身校が秀才校でもないのを棚に挙げて、改めて幼稚な優越感を覚えることにした。
(略)
どうして秀才の夫たちは、ああも能がないのか。
今どきは、炊いたご飯そのものだって、「大盛りですか、普通ですか」という感じで
マーケットで売っているではないか。

デパートや商店街のおかず売り場で、適当に焼魚と野菜の煮ものでも買えば、
それほど栄養が偏(かたよ)るということもなくて済むのに、それができないのである。
             

昭和初年代の夫族の中に、おかずも自分の靴下も買ったことのない人は結構いるのは、
彼の母の責任だろうかそれとも妻の責任だろうか。

台所に入っても、お湯の沸かし方一つ手順がわからないからうろうろしている。
薬罐(やかん)がどこにあるかも知らないのだ。
洗濯機のボタンを押したこともないし、炊飯器の目盛りの読み方など、わかるわけもないから、
ご飯ぐらい炊けるでしょう、などと言われると、恐怖で不機嫌になる。
(略)
しかし彼らが、人間としたら、生存の資格に欠けていることには間違いがないのである。
つまり自分はご飯の心配もしなくて生きることが当然と思うのは、
実はとんでもない不遜な男かもしれない。

それは「お前作る人、俺は食べる立場」みたいな男女の性差別を容認し、
自分はそういう仕事をしなくて当然の、もっと高級な人間だと思い上がっている証拠なのだ、
と私もこのごろ悪意に解釈することにした。・・》
注)329ページ~332ページから抜粋。原文にあえて改行を多くした。
                       

本書は曽野綾子さんの定年後の男性の生活者としての命題のひとつのテーマであるが、
この作品は1995年(平成7年)8月に公表され、
《 私たちの同級生の配偶者たちが、もうほとんど定年になる年になった。・・》
と綴られて、私たちの世代より15歳前後、ご年配の人たちとなる。

曽野綾子さんご自身は、聖心女子大学を1954年〈昭和29年〉に卒業された方であるが、
あの当時に女子大学を通うことができたのは、若き女性のほんの一部であり、
クラスの同級生の多くは、中央官庁、大企業のエリート、そして中小業の会社を創業された成功者、
或いは老舗の商店などに嫁がれた方が多いと思われる。

こうした嫁ぎ先のご主人が、第一線を退かれて、関係先の要職を務めて、第二の人生を歩み、家庭人となった現状・・。
このようの中で、一部の人は現役時代の栄誉も、食事のことで困惑する状況を的確に表現されているが、
私たちの世代、そして私のような中小業で奮闘した身となれば、苦笑してしまう。

しかし、私の場合も、まさかの予期せぬ出来事で、家内に先立たれて、本当に『おひとりさま』になることもあるので、
単純に笑ってばかりは、いられない時もある。

これ以降、私は何かと『夫族の中で、生活者として無能な人がいて・・』と銘言を学び、
家内が里帰りした時、『おひとりさま』となった私は、叱咤激励されながら原動力となり、過ごしてきた。
                        

今回、『50代からのいい言葉、いい人生』、それぞれの分野で、ご活躍されている御方の心を発露された思いを読みながら、
そうですよねぇ・・と同意しながら微笑んだり、私にとって未知のことを多々教えられたりして、
この人生は人それぞれ海より深く、空より果てしなく広い・・と改めて私は思い深めたりしている。

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