夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

愚痴ばかり言う「残念な人」との正しい接し方、愚痴に殆ど無縁な私でも学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2016-12-13 15:36:38 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 愚痴ばかり言う「残念な人」との正しい接し方
      ~時間泥棒との接し方に気を付けよう~ 】と題された記事を見た。

私は愚痴は日本男児として恥ずかしいと思ったりしてきたので、公言してきたことは殆ど無縁であるが、
どういうことなのかしら、と思いながら、精読してしまった。

この記事は、定例連載『ミセス・パンプキンの人生相談室』のひとつで、
『東洋経済オンライン 』に2016年08月16日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・時間泥棒との接し方に気を付けよう  ~時間泥棒との接し方に気を付けよう~ 
             

~相談~

実母の愚痴攻勢に悩んでいます。
両親は社会人の妹2人と4人暮らしです。

私は結婚して、実家から電車で30分の所で幼児2人を育て、現在育児休業中です。
母は月に2~3度我が家にやって来ては、実家の愚痴をこぼして帰りますが、
実家では妹たちに、私の愚痴を言っているそうです。

大半は父についてですが、父や妹たちのことを小バカにし、
上から目線の愚痴ばかりで、最近ではゲンナリしています。

たとえば妹が父と楽しそうに話すだけで、
彼女が父の味方だと機嫌を悪くし、おカネがないのは、すべて父のせいです。

母は夫の前でも、平気で父に向かって、ネチネチとイヤミを言います。
自分が正しいと思っているので、言葉に容赦がありません。

夫は苦笑いしていますが、実家にいた頃は、
私も母が正しく、父が悪いと思っていたほどですので、これも不愉快です。

離婚しないのは、食べていけなくなるからだそうで、父がとても不憫です。


最近では子どもたちへの悪影響を心配するようになりました。
それでしばらく会わないようにすると、母のほうから子どもたちに会いたいと
大量のお土産を携えて突然家に押し掛けてきたり、保育園の退園時に出待ちをするので、効果ありません。

このまま愚痴を聞き続けるべきでしょうか、短所を指摘し、私の意見をぶつけていくべきでしょうか。
みんなが幸せになるには、私はどうしたらいいのでしょうか?

有希(仮名)
             

~ミセス・パンプキンさんの回答~

お母様に単刀直入に、お願いと注意をするべきです。
家族への不満は、直接本人に言うべきで、
聞かされる方は、それが事実であれ被害妄想であれ、本当に聞きづらいこと。

直接話しにくくて、間接に伝えて欲しいことだけは、聞く耳を持っていること。
これは姉妹3人で申し合わせていることなどです。


☆愚痴ることで同情を求めている人は多い

愚痴や他人の悪口しか、話題にできない人がいます。
直接本人にぶつけて、その不満を解決する意思や勇気のない愚痴です。
多くは他者をけなすことで、自分がいかに正しいかをほのめかしています。

その人の生きている世間がとても狭くて、その中で自分がいちばん大切に扱われたい願望が強い人に、
この傾向があります。

たとえば母親なら、あっちの子どもの愚痴をこっちの子どもに言い、
返す刀で、こっちの子どもの悪口を、あっちの子どもに言います。

その内容も教育的な観点ではなくて、自分に対して、いかに優しくないかなどの愚痴そのものです。
ときにはあらぬおヒレをつけて、お互いが憎しみ合うような告げ口もします。

それで子ども同士がいがみ合おうと、それぞれから自分がよくしてもらうことが目的ですから、
それはお構いなしです。

結局は自分の値打ちと信用を落としているだけで、
そして私の母に言わせれば、自分の指を自分で噛んでいるようなものなのですが、
このような人は案外多く、私の周囲にもいっぱいいます。

これを放っておくとどうなるかを、次にお話したいと思います。
             

ここで恥を忍んで、私の3人いる姉の中の2人の悪口を、言うことにします。
世間知らずな末っ子の私が、いつのまにか姉たちと、対等に世間話ができる年齢になったときのことです。

姉たちの一番の話題が、20年以上も前に鬼籍に入った姉たちの姑の悪口であることを知りました。
自分がいかに苦労したかや、それを強いた姑がいかに悪いかを、延々と繰り返し愚痴るのです。

それを昨日のことのように生々しく、泣いたり怒ったりしながら、飽かずに話す迫力に驚きました。
相手は亡くなっているのですから、新しいネタはありません。

時効もなく、初めて話すように、同じ話を繰り返します。
姉たちはそれを繰り返すことで、不幸を反復しているに過ぎない情けない人に、見えました。
亡くなった人に、まだ支配されています。

それで私は、姉たちに言いました。
その姑さんの話は、私の前でいっさいしないでほしい。
何回も聞いたし、面白くないし、参考になる話でもない

(実際はこのコラムを書かせていただくうえで大いに参考になっていますが、
当時はこんなに、将来コラムを書くうえで役立つ話だとはわかりませんでした)。
             

そして「いつも姉たちが帰った後はあと味が悪く、姉たちが時間泥棒に見える」とまで言ったのです。

一人の姉は、次から次と話題は変えますが、勿論全部30回は聞いている姑の悪口です。
「聞いた」と言えば止めますが、すぐに戻ります。
それでも注意する前と後では、随分違いました。

この姉は情が深く、人柄が良いだけに、この一点はとても残念な欠点です。
年を追うごとに、ほかの思考回路は壊れ、壊れて欲しかったこの悪い回路だけが、
残ったような生き方をしています。

そういえばこのタイプのある友人と、とても美しいバンクーバーの海のクルーズ船に
乗っていたときの思い出があります。

船内のよい席に座り、絶景に歓声を上げる私の横で、
何やら涙を流して、もう一人の連れとしみじみ話しています。
何十回と聞いた、昔に意地悪された人の悪口でした。

「時間とおカネをかけて、こんなにすばらしいところに来て、話題がそれ?」とあきれますと、
「その人の話をして涙を流すのが、自分の一番のストレス発散なのだ」と言って、さらに泣かれました。

ちょっと長くなりましたが、もうお気づきですね。
愚痴っぽい人は、愚痴の対象そのものより、愚痴ること自体が、生き甲斐と化します。
付き合わされる人の迷惑など考えません。

皆がその湿っぽい話に、興味があると信じています。
どこかで誰かが止めないと、年を追うごとにひどくなります。
そして周囲から、人が遠ざかっていくのです。
             

☆欠点を指摘するのは、身内の務め

もう一人のちょっとだけ賢いほうの姉は私の注文に、
「それなら話すことは、1つもなくなる。あんたは難しいこと言う子やな」と言いながら、
姑の話題になりかけては、自分でブレーキをかけました。

効果は絶大で、生涯その姉は、私の前では姑の話を持ち出さず、
しかもそれ以外の話題でも、十分に姉は楽しかったらしく、最後まで私宅に来るのを楽しみにした人でした。

他人なら、嫌な人には近寄らなければ、済む話ですが、身内だとそうはいきません。
しかも放っておくと、他人に迷惑をかけることになるのですから、
欠点を指摘するのは、身内の責任とも言えます。
これには年代の序列は、関係ありません。


有希様のお母様の場合は、誰もその役目を果たしてはいませんね。
すでに社会人になった姉妹3人で(一緒でなくとも)、娘たちの陰口は、3人に筒抜けであること。

これからは直接に言えないことは、陰で言わないこと。
離婚すれば食べられなくなるから、離婚しない理由だけでも、お父様に感謝しなければならないこと。

娘や娘婿の前で、お父様をけなさないこと。
喧嘩は2人だけで、やってほしいことなどをはっきりと伝えるべきです。

即効性がなくとも、あなたたちの強い意思で繰り返し伝えていけば、
絶対に何らかの効果はあると思います。
それが一番、お母様のためなのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は1944年(昭和19年)の秋に、 私が今住んでいる近くに生家もあり、
農家の三男坊として生を受けた。

私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

やがて小学2年に父が病死されるが、生前の時、兄ふたり、そして私には、
男の児でも愚痴を人前で言うことは恥ずかしいことだ、と厳しく育てられたりした。

私が遅ればせながら25歳から、中小業の民間会社に勤め始めて、何かと悪戦苦闘が続く中、
十回位に一度ぐらい、懇親会の二次会で弱音を吐いたりした・・。

やがて愚痴は、人様から聞き苦しいと悟り、自分の敵は自分だ、と業務に邁進してきた。

母は私が53歳の時に病死されたが、何かと私は母と談笑したりした。
母は私たち兄妹を成人させるまで、人一倍苦労した方で、
ときおり私は母から、こうした昔話を聞いたりした。

そして私は『お母さん・・しかしながら人前では、言わない方が良いょ』
と私は言ったりした。

『判っているわょ・・』
と母は私に微苦笑したりした。
             

私は35年近く中小業の民間会社に勤め、最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となってしまった、
つたないサラリーマン航路を過ごしたりした。

こうした中で、先輩、後輩の中でも、何かと愚痴話が多い御方には、やむえなく私は遠ざかることがあったりした。

或いは私の親戚でも、何かと愚痴話が多い叔母のひとりには、私は信身なれず、
なるべく接触しないように、振舞ったりしてきた。


今回の人生相談を読み終わった後、私たち夫婦は子供に恵まれず、もとより娘もいない身であるが、
こうした母の自己中心のしぐさ、言葉には、私は苦手だなぁ、と瞬時に感じたりした。

或いは私が娘婿の立場だった時は、微妙な接し方をしながら、困苦させられるょなぁ、と感じ深めたりした。

そして何よりも、何かと小心者の私は、この父に同情してしまい、微苦笑したりした。

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