夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

五木寛之さん、御自身の90歳の深情、78歳の私は学び、多々教示させられて・・。

2022-10-04 14:10:28 | 喜寿の頃からの思い
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、

わずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩いたりしている。

そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。

しかしながら、私は体力の衰えを75歳の頃から実感させられたり、
物忘れも多くなり、やはり老化が増したのかしら、
と微苦笑したりしてきた・・。




そして帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

このような年金生活を過ごしている中、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。



過ぎし日、高齢者の世代に精通されているファイナンシャルプランナーの長野 郁子さんが、
適言されていたことを思い馳せたりした・・。

《・・仕事をやめた自立期の高齢者は、手元のお金の多寡はあっても、
好きに使える時間だけは、タップリある。

何時に起きても、何時に寝ても、誰にも文句はいわれない。
こんな勝手気ままで自由な暮らしを10年、20年過ごしていると、
それを手放すのは本当につらい。


若い人は、自立期の高齢者の生活をよく知らないし、
高齢者の自由な生活を過小評価している。・・ 》

こうしたことを私は学び、そうですよねぇ・・と微笑んだりしている。


こうした中、私は過ぎし9月27日に満78歳となり、


そして、この後は余生で、10年足らずで、あの世に旅立つだろう・・
と漠然としながらも思い深めたりした。

ここ二週間、私は思案していることがある。



私は月刊総合雑誌の『文藝春秋』の50数年の購読者のひとりであるが、
たまたま10月特別号を読んでいたら、思索させられた記事があったりした。

作家・五木寛之さんが、『2022年のうらやましい死に方』、
と題されて寄稿されていた。

《・・略・・今月で90歳になる私自身の実感としてですが、
80歳を超えるともう十分に生きたというか、
次第に死への不安や怯えはなくなってきました。

いつこの世から消えようが構わないという感覚になる。

学校の教室から「一足早く退席します」と出ていく、
そんな軽い気持ちでまるで緊迫感がない。・・略・・

注)記事の原文(ページ234より一部、引用)に、あえて改行を多くした。




この記事を読みながら、もとより私としては、80代の未知の世界に、
不安さを秘めていたが、多々教示を受けたりした。

これからの日々、たとえ身体の衰えを増してても、
一歩、一歩進んでいけば、光明のある80代を迎えられるかしら、

思案したりしている・・。
コメント (4)
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