先程、ときおり愛読しているネットの【 NEWSポストセブン 】を見たりした中で、
『 アルツハイマー型認知症、元来の性格や人間性は変わらない 』と題された見出しを見てしまった。
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の74歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに幸運にも、入院する大病には遭遇せずに今日に至っている。
こうした中、平素の買物の担当者の私は、家内から依頼された品を買い求めた後は、
帰宅後も私は独りで外出して、自宅から3キロ以内の周辺にある住宅街、遊歩道、小公園などを
歩き廻り、幼年期に農家の児だった為か、山川草木を愛(め)でながら、季節のうつろいを享受している。
こうした根底のひとつとして、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。
そして過ぎし医学ネットで『認知症にならないための脳の7つの習慣』に於いて、
散歩をする、新聞を声を出して読む、料理をする、社会と交わる、電車やバスに乗る、
毎日日記をつける、恋をする、などの七か条を学んだりしてきた。
しかしながら不運にも、どちらかが認知症になってしまったら、私たち夫婦は家内とふたりだけの家庭であり、
いずれにしても介護する方は、あなたは誰なの・・このような表情で応対されると、気力が萎えてしまう、
と思いめぐらす時もある。
このような深情を秘めている私は、
標題の《・・アルツハイマー型認知症、元来の性格や人間性は変わらない・・》、
どのような状況なのですか・・と真摯に思いながら、こっそりと読んでしまった・・。
この記事は、『女性セブン』の2018年10月25日号に掲載された記事のひとつであり、
『女性セブン』の編集部の女性が体験してきたことも発露され、
関連のネットの【 NEWSポストセブン 】に2018年10月15日に配信され、
無断であるが転載させて頂く。
《・・アルツハイマー型認知症 元来の性格や人間性は変わらない
親が認知症になると、本人だけでなく家族の困惑も大きい。
もの忘れや生活上の失敗など、目に見える変化はどうしても気になるし、
接し方に戸惑ってイライラが募り、思わず声を荒らげてしまうこともある。
悲しく切なく、親とはいえ、遠い存在に思えてしまうのも、正直な気持ちだ。
50代。同年代の間でも“親が認知症に”という人が多い。
そう遠くない将来には、当事者になる可能性もある。
だからこそもっと身近なこととして知りたい。
認知症診療の第一人者、東京慈恵会医科大学教授の繁田雅弘さんに、
日本人にいちばん多いアルツハイマー型認知症について聞いた。
◆昔のイメージから大きく変わってきた認知症
「認知症というと、いまだに“何もわからなくなる”というイメージが根強いのでしょうか?
認知症の理解が、そこを出発点にすることが、そもそも間違っているんですよ」と、繁田さんは言う。
記者の母(83歳)は、78歳時の認知症診断当時も、大混乱していた。
人生最大のストレスともいわれる配偶者(父)の急死が重なったこともあるが、
それまで見たことのない表情、言動、そして認知症の典型的なもの忘れ、妄想が次々に現れ、
私自身も混乱し、とても意思の疎通はできなかった。
母は、もう私の知る母ではない。
まさに“何もわからない異人”に思えた。
「確かに昔は、認知症になると、“もうどうしようもない”、“本人はどうせわからない”といった認識で、
閉じ込めるような医療だった時代もありました。
でもここ30年くらいの間に、認知症に関する研究が急速に進み、いろいろなことがわかってきたのです。
【アルツハイマー型認知症には、進行ステージが】
まず、アルツハイマー型認知症は、人格が変化する病気ではありません。
脳の機能低下により、徐々にできないことが出てきて生活上の失敗が増え、
そのことで不安になって、一見人が変わったように反応することもありますが、
その奥にある元来の性格や人間性は変わらない。
大切にしたいことや悲しいこと、嫌いなことも元来のままです。
家族こそ、そのことを忘れてはいけません」
そしてアルツハイマー型認知症の場合は、
かなり進行してからも、理解力や判断力は維持されることが多いという。
「たとえば映画や音楽鑑賞、読書など、鑑賞したことの記憶は、失われるかもしれませんが、
その瞬間、瞬間を理解し、楽しむことはできます。
高度の認知症で、言葉を失ったように見える人でも、
こちらからたくさん話しかけ続けていると、
ふと表情が変わったり笑みを浮かべたりすることもある。
決して“わからなくなって”はいないのです」
何より驚かされるのは、認知症研究が進む今、一人ひとりの認知症の進行が、
緩やかになる傾向にあるのだという。
「10年前と比べれば、スピードは半分、
20~30年前の3分の1ほどになったと言ってもいい。
認知症になっても、軽度や中等度でいる時期が2倍、3倍と延びているので、
早い段階から医療が介入すれば、高度まで進行する人は、減ってきています。
少しの支援や介助で、普通の生活やひとり暮らしもできる軽度のままで、
天寿をまっとうする人が多くなっています」・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
記事を読み終わった後、今回の『アルツハイマー型認知症には、進行ステージが7段階】の状況がある
ことを真摯に学んだりした・・。
こうした中、特に《・・脳の機能低下により、徐々にできないことが出てきて生活上の失敗が増え、
そのことで不安になって、一見人が変わったように反応することもありますが、
その奥にある元来の性格や人間性は変わらない。
大切にしたいことや悲しいこと、嫌いなことも元来のままです。
家族こそ、そのことを忘れてはいけません・・》
こうしたことを学び、いつの日にか私が認知症に遭遇した時に、
困苦しながらも、救いとして多少なりとも安堵感を感じる思いになったりした・・。
私は4年前の70歳を過ぎた頃から、記憶が劣化している、と気付き、
独り微苦笑する時もある・・。
たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じることを幾たびか体験している。
今回学んだ『 アルツハイマー型認知症の進行ステージ7段階 』を再確認すれば、
【2】の『正常老化』の❝物の置忘れ、物忘れが起きる❞に該当するかしら、と微苦笑してしまった。
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖におしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
そして私は、遊歩道、公園などを散策していると、見知らぬ男性、
女性グループの御方たちと、話しかけられたり、或いは話しかけたりして、談笑し、
殆ど毎日過ごしている。
或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらくねぇ・・、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビールか水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。
ときおり国内旅行は私たち夫婦の共通趣味のひとつで、幾たびか遊学を重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、話しかけて談笑したりしている。
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
このように私は、何かとプラス思考の単細胞の身なので、もしかしたら認知症に遭遇せずに、
いつの日にか、あの世に旅立つことができるかしら、と微笑む時もある。