夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『最上川の船下り』は、東アジアの観光客にも大好評、と私は聞きながら、微笑んで・・。

2011-02-23 14:25:47 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過ぎし2月13日より山形県の銀山温泉に4日ばかり滞在した後、
『最上川の船下り』を25年ぶりに乗船した・・。 

初めて『最上川の船下り』をした時は、1986(昭和61)年の2月下旬で、
私達夫婦は初めての団体観光ツアーに参加して、冬の時節に周遊したりした。


私達は、今回の旅の二ヶ月前の頃から、
『最上川の船下り』に関して、【最上峡芭蕉ライン観光(株)】のホームページを見たりしていた。

この『舟下り』、『施設案内』などを見たり、
あの当時よりも豪華な設備となった、と私は家内に云ったりしていた。

http://www.blf.co.jp/
☆【最上峡芭蕉ライン観光(株)】ホームページ☆


私達は舟下り乗船場の前の大きな建物の戸澤藩船番所に入り、
私は売店の一角にある日本酒のコーナーで、何か良き四合瓶はないかしら、と探した・・。
結果として、『純米吟醸酒 最上川』(小屋酒造)として、
サブタイトルには、『北国浪漫(きたぐにろまん)と明記され、
私は美味しいそうな純米酒で、心身の波長に合いそうな予感がした。


この後、この戸澤藩船番所で、担当カメラマンが私達夫婦の記念撮影し、
60代ぐらいの男性の案内人兼船頭さんに引率されて、舟下り乗船場への階段を下りて向ったが、
若い20代の男女、そして私達夫婦だけが乗船客だった。

船内は炬燵が四つばかり設置されて、定員25名と明記されていたので、
私は思わず微苦笑したりした。

案内して下さる船頭さんが、船首の最前列に座り、
炬燵の最前列に私達、最後方の炬燵には若い20代の男女、そして船尾に舵取りの男性で、
この舟は出航した。


私は炬燵の上のテーブルに、『純米吟醸酒 最上川』と頂いたプラスチックのぐい呑みを置き、
身も心もゆだねるように、川沿い、そして山里の雪景色を観ながら、呑みだしたのであるが、
偶然に私の心身の波長に合う日本酒のひとつとなり、
めぐり逢えた『純米吟醸酒 最上川』に、ひたすら感謝したりしていた。

この後、渋さナンバーワンとして有名な案内人兼船頭さんが、

♪私しゃ真室川の 梅の花 コーオリャ
 あなたまた このまちの鶯よ
 花の咲くのを 待ちかねて コーオリャ
 蕾のうちから 通って来る

と『真室川音頭』の歌を唄いだしたので、私も家内も最初から手拍子して、
私は聴き惚れていたのである。

この後、この有名な案内人兼船頭さんが、
『この『最上川の船下り』は、日本の各地からお越し頂いて・・感謝していますが・・
韓国、台湾、中国の方たちにも・・多くの方がご乗船頂き、嬉しく思っている次第です・・
昨年の秋、台湾の団体のお客様が・・山形空港や庄内空港に直行便のチャータ機でお越し頂きました』
とにこやかな笑顔で私達に教えてくれた。

この後、『おしん』に関する歌を唄ってくれた。

確か27年前頃、NHKのテレビ・ドラマの『おしん』が歴代第一位の驚異的な視聴率となり、
この中で少女のおしんが出稼ぎに行く時、最上川を筏(いかだ)に乗ったおしんが、
祖母、父、母らに別れシーンに於いて、最上川の情景は圧倒的に多くの人々に感動をもたらした。

このドラマは、その後、各国で放送されて、特に発展途上国の人々に勇気と感動を与えたのは、
周知の事実である。

このような思いで私は聴いたりしていたが、私は農家の児として育てられ、
小学生の半(なか)ばに、大黒柱の父、そして祖父に病死され、
我が家は没落し、生活に困窮した体験があったので、
『おしん』に関する歌を改めて聴き、私は涙がこぼれそうになったりした。


この後、この有名な案内人兼船頭さんは、最上川に関する小唄を、
日本語を中核に、韓国語、中国語もまじえて唄たわれたので、
私は微笑みながら、切磋琢磨し努力して覚えられた、と感心させられ、
思わず案内人兼船頭さんの顔を見たりした。

そして、確かに韓国、台湾、中国の観光客にすれば、
この最上川の四季折々の光景は、そして周囲の情景も本国にない圧倒的な美しい情景であり、
その上、周辺の温泉、宿・・なども感激させられるのは、自国の私は何となく理解できる。

私は国内旅行の旅先で、層雲峡、箱根などで、韓国、台湾、中国の観光客に出会った時、
カメラのスイッチを押したり、付近に観光案内書があった時は手渡したり、
片言の英語の単語をならべながら、微笑みながら接したりしてきた・・。

無力な私のささやかなインターナショナル・コミニケーションかしらと思いながら、
本来であれば、そのお方の自国の言葉で重ねるのが最良であるが、
つたない私は無念ながら、英語の単語さえ思い浮かばない時もあり、ただ微笑の時もある。

このような思いを馳せながら、私は下船した。


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