私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜から小雨となり、先ほど雨上がりとなったので、
いつものように素足で下駄を履いて、庭のテラスに下り立った。
曇り空の中、樹木の枝葉は雨粒をたたえて、清々しい潤(うるお)いのある情景となっている。
若葉の色合いは、萌黄色からこの二週間ばかりで黄緑色から新緑色に染められ、
私はさりげない日ごとに移つろう枝葉を眺めたりしてきた。
我が家の垣根の一面は、紅(あか)めモチ、金木犀などの常緑樹が、
新芽から新たな朱色、新緑の葉を伸ばしているが、
四季折々に彩(いろど)ってくれた古き緑葉は、少し疲れたせいか選手交代よ、
といいいたげに地表に落下していた。
そして歩道が一面が隣接した所に古き緑葉が散乱していたので、
私は竹の立ち箒(タチボウキ)で30分ばかりで掃き清めたりした。
そして門扉から玄関までの石段も掃き清めた後、
煙草を喫いながら、玄関庭の長らく朱紅色の花が咲いている藪椿(ヤブツバキ)、
日増しに枝葉を伸ばしているモミジの三本を眺めたりした。
こうした中で、黄緑色の葉の中で、ピンクのたわわな小花を咲いている花梨(カリン)、
芽吹きを始めている紫式部(ムラサキシキブ)や高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)の幼い葉を見たり、
群生させた可憐な純白した花びらの鈴蘭水仙(ススラン・スイセン)が咲いているのに、
見惚れたりした。
私は日中のひととき、買い物を終えた後、近くの野川の遊歩道を歩いたり、
小公園を歩き廻ることが多い。
この時節を迎えると、野川の遊歩道の下方の川沿いには、
黄色い帯のように長く続いている菜の花、
そして並ぶように白と薄紫の大根の花のような白と薄紫色の花色が帯状になっているのを
菜の花のかぐわしい香りに心を寄せたりしてきた。
或いは小公園を歩いたりすると、
新緑となった欅(ケヤキ)、コナラ、クヌギなどの大きな雑木を見つめたり、
ときおり微風が吹き、小枝の若葉も揺れ、私は微笑んだりしたりした。
そして道路際にある朱紅色や紅色の躑躅(ツツジ)、皐月(サツキ)は早くも咲き始めたり、
純白の耳飾りのような可愛らしい花のドウタン・ツツジも咲き始め、
その付近には菖蒲(あやめ)の群生は新芽が赤味を帯びている中、
華麗な白い花が咲いているのを眺めたりすると、
まもなく大型連休の時節になる、と教示されたりした。
そして萌木色した葉の中で純白の花水木(ハナミズキ)の樹に、
私は足を止めて、長らく見つめたりした・・。
帰宅すれば、煎茶を飲んだりした後、ぼんやりと主庭を眺めれば、
大きな莟〈つぼみ〉の紫木蓮(し・モクレン)は満開となり、
陽当たりの少ない所にある藪椿(ヤブ・ツバキ)の朱紅色、紅色、濃い紅色の花びらが、
彩(いろど)っている。
そして少しばかり大きなモミジは、日増しごとに枝葉を伸ばす中、
無花果(イチジク)は芽吹きを迎え、幼き葉から葉を広げ、新た若葉となっている。
この間、常緑樹の金木犀(キンモクセイ)の新芽も伸びだし、
垣根がわりの紅(あか)めモチは、朱紅色の新芽が勢いよく伸び、
その後は眩(まぱゆ)く朱紅色の若葉に変貌し、彩(いろど)りとなっている。
こうした中、群生させた黄色と純白のラッパ水仙、鈴蘭水仙(ススラン・スイセン)が咲き、
唐糸草(カライトソウ)、稲穂のような小判草(コバンソウ)が地表から芽をだいして、
日増し毎に成長し、今や20センチばかりとなっている。
このような情景を眺めたりしていると、
私は定年退職後、その直後から年金生活をして8年目を迎えているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
今年も雑木は芽吹いてくれて、幼い葉を広げ、
やがて萌黄色、黄緑色から新緑色に染められる時節に、
限りなく、心の濾過を託すように魅せられている。
そして数多くの稲穂のような小判草(コバンソウ)の草花が、
微風を受けると揺れているのを微苦笑しながら、見惚れたりしている。
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昨夜から小雨となり、先ほど雨上がりとなったので、
いつものように素足で下駄を履いて、庭のテラスに下り立った。
曇り空の中、樹木の枝葉は雨粒をたたえて、清々しい潤(うるお)いのある情景となっている。
若葉の色合いは、萌黄色からこの二週間ばかりで黄緑色から新緑色に染められ、
私はさりげない日ごとに移つろう枝葉を眺めたりしてきた。
我が家の垣根の一面は、紅(あか)めモチ、金木犀などの常緑樹が、
新芽から新たな朱色、新緑の葉を伸ばしているが、
四季折々に彩(いろど)ってくれた古き緑葉は、少し疲れたせいか選手交代よ、
といいいたげに地表に落下していた。
そして歩道が一面が隣接した所に古き緑葉が散乱していたので、
私は竹の立ち箒(タチボウキ)で30分ばかりで掃き清めたりした。
そして門扉から玄関までの石段も掃き清めた後、
煙草を喫いながら、玄関庭の長らく朱紅色の花が咲いている藪椿(ヤブツバキ)、
日増しに枝葉を伸ばしているモミジの三本を眺めたりした。
こうした中で、黄緑色の葉の中で、ピンクのたわわな小花を咲いている花梨(カリン)、
芽吹きを始めている紫式部(ムラサキシキブ)や高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)の幼い葉を見たり、
群生させた可憐な純白した花びらの鈴蘭水仙(ススラン・スイセン)が咲いているのに、
見惚れたりした。
私は日中のひととき、買い物を終えた後、近くの野川の遊歩道を歩いたり、
小公園を歩き廻ることが多い。
この時節を迎えると、野川の遊歩道の下方の川沿いには、
黄色い帯のように長く続いている菜の花、
そして並ぶように白と薄紫の大根の花のような白と薄紫色の花色が帯状になっているのを
菜の花のかぐわしい香りに心を寄せたりしてきた。
或いは小公園を歩いたりすると、
新緑となった欅(ケヤキ)、コナラ、クヌギなどの大きな雑木を見つめたり、
ときおり微風が吹き、小枝の若葉も揺れ、私は微笑んだりしたりした。
そして道路際にある朱紅色や紅色の躑躅(ツツジ)、皐月(サツキ)は早くも咲き始めたり、
純白の耳飾りのような可愛らしい花のドウタン・ツツジも咲き始め、
その付近には菖蒲(あやめ)の群生は新芽が赤味を帯びている中、
華麗な白い花が咲いているのを眺めたりすると、
まもなく大型連休の時節になる、と教示されたりした。
そして萌木色した葉の中で純白の花水木(ハナミズキ)の樹に、
私は足を止めて、長らく見つめたりした・・。
帰宅すれば、煎茶を飲んだりした後、ぼんやりと主庭を眺めれば、
大きな莟〈つぼみ〉の紫木蓮(し・モクレン)は満開となり、
陽当たりの少ない所にある藪椿(ヤブ・ツバキ)の朱紅色、紅色、濃い紅色の花びらが、
彩(いろど)っている。
そして少しばかり大きなモミジは、日増しごとに枝葉を伸ばす中、
無花果(イチジク)は芽吹きを迎え、幼き葉から葉を広げ、新た若葉となっている。
この間、常緑樹の金木犀(キンモクセイ)の新芽も伸びだし、
垣根がわりの紅(あか)めモチは、朱紅色の新芽が勢いよく伸び、
その後は眩(まぱゆ)く朱紅色の若葉に変貌し、彩(いろど)りとなっている。
こうした中、群生させた黄色と純白のラッパ水仙、鈴蘭水仙(ススラン・スイセン)が咲き、
唐糸草(カライトソウ)、稲穂のような小判草(コバンソウ)が地表から芽をだいして、
日増し毎に成長し、今や20センチばかりとなっている。
このような情景を眺めたりしていると、
私は定年退職後、その直後から年金生活をして8年目を迎えているが、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだった為か、
今年も雑木は芽吹いてくれて、幼い葉を広げ、
やがて萌黄色、黄緑色から新緑色に染められる時節に、
限りなく、心の濾過を託すように魅せられている。
そして数多くの稲穂のような小判草(コバンソウ)の草花が、
微風を受けると揺れているのを微苦笑しながら、見惚れたりしている。
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今日ブログ訪問して
懐かしいなぁ
ながいことこの色合いだった。
確かに題名はかわりましたが、
そんなことを感じてきました。
若葉の季節で温かいですね。
今日は雨ですけど。
ではまた。