夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の年金生活、最大のボーナスは・・♪ ②

2008-03-15 06:49:00 | 定年後の思い
私が入社した直後、現?E鮹里?E△伴㍊瓩鮗韻董?br>各商品を製造す?E?E卜拈椶靴疹ι粉浜腓如?E絛侈海靴拭ΑΑ?br>
会社の?E槁腓箸靴謄?E魁璽鰭腓琉?E任△辰燭♤?br>?E璽戰?E気粒飴颪陵彑舛覇販④掘?br>この新しい?E魁璽媛饉劼忙笋皸枡阿気擦蕕?E拭?br>
?E魁璽媛饉劼話羮㌻箸任△?E♤?br>私は上司の?E茲?EⅧ茲蠅了愼海硫爾農唆个掘?br>本社の営業本部の管理課で、コンピュータの?Eぜ圓箸覆辰拭?br>
数多くのサラリーマンと同様に上司を見習い激務を体験したので、
入社前の甘い?E圓覆匹論弖舛發覆∮?br>組織の中の?E箸靴堂瓩瓦靴燭里任△?E?br>
私は家内と?EГ掘詑潺泪鵐轡腑鵑韮嫁験茲靴晋紂?br>実家に近い処で?E遊討魴討燭♤?br>土地・建物などの住宅充ンが家計に重くなり、
家内のパート勤務の援軍を受けて、何とか30代を乗?E擇辰燭里任△?E?br>
私達夫婦は子供に恵ま?E覆㎠辰唇戮㎜?br>家計に余裕のない時でも、連休の合間に、小旅行を楽しんだりしていた。


私の業務は、会社の各業務の開発・運営に伴うコンピュータ?Eい任△辰燭里如?br>多忙な時は休?E發覆∮位?E砲覆?E海箸眇燭△辰拭?br>
私は上層部から指示を受け、成果がない様だったならば、
?E紡犲劼魍亳腓掘⊂覆箸眞亙侈海吠?E?E个気?E?E隼廚ぁ?br>3年ごとの霜寐見直しにも対処できたのであ?E?br>
このような形で1970、80年代を過ごした後、
私は情報部門から他の管理部門に異動したのは、50代からであった。


この頃にな?E肇?E魁璽媛饉劼蓮飴颪陵彑舛罵廚猟謬瓩靴靴覆蝓?br>各会社は霜寐見直しとなり、会社間の統廃合もあり、
組織の統廃合で大幅な人員?E困盥圓?E?E燭里燭㎠辰拭?br>
私の勤めた会社も同様に、早?E狄νザ⑺戮硫爾如?br>上司、同僚、後輩の?E瑤☎罰Δ㎠薺辰燭蠅掘?br>人事異動も盛んに行?E?E燭蠅靴拭?br>
私も50代のなかば、取引先の物流会社に出向を命じら?E?br>この中のひとつの物流センターに勤務した。


音楽商品であ?E達帖▲咼妊Ⅴ董璽廖■庁孱弔諒欖鼻⊇于拇隆浜?E蠅任△蝓?br>私のような管理5名で、若手の男性の契約、パート社員の10名前後、
そしてパートの女性が百名前後の職?E任△辰拭?br>
毎?E達帖■庁孱弔糧稜篥硬涼犬鳳犬?E里如?br>指?E屐?E后⇒貌?E╂瓩瓦判于拯未諒册阿〄磴靴い♤?br>こ?E紡弍気擦?E浜發劼箸弔任△辰拭?br>
私は本社から?E?E个気?E塒舛量鞠阿気魎兇犬燭♤?br>半年後から何とか?E漾∪彩海靴拭?br>
私は振りかえ?E函翕啼劼掘∈能蕕貿枌屬気?E振般撹腓汎瑛佑如?br>30年ぶりで管理?E靴気?E燭♤靄椶脇韻犬覆里如?br>鮭と同様に故郷の旋惜戻?E㎜△犯?E个鬚靴燭蠅靴討い拭?br>
この間も私の同僚、後輩の?E瑤?E阿梁犲劼力⇒?br>或いは葉書で挨拶状を頂いたりしてい?E罅?br>私は出向先で?E狄Δ魴泙┐燭里任△?E?br>
              《つづく》            
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私の年金生活、最大のボーナスは・・♪ ①

2008-03-14 16:33:00 | 定年後の思い
私は民間の中小業の会社を?E狄Ω紂?br>年金生活の4年生の身であ?E?br>
大学を中退し、映画・文学青年の真似事をし、
根拠のない自信の頼りに、ア?E丱ぅ箸鬚靴覆♢藹鬚靴討い拭?br>
このような社会の流?E寮茲里澆┐覆だ験茲魏瓩瓦靴討い燭里如?br>お彼岸の折、親戚の叔父さんより、
『今はよいが・・30過ぎた時、きちんと家艇栓持て?E痢ΑΑ戞?br>とやん?E蠅藩?さと)さ?E拭ΑΑ?br>
私は文藝雑?E凌型擁臀献灰鵐∮璽?E鳳腓靴討い燭♤?br>小説部門として、最終予選には何度も残?E此?br>自身の努力、そして才能のなさを嘆いてもいた。

私はあ?E▲咼献優校┿?E痢悒瀬ぅ筌皀鵐鼻戮良嬾燭如?br>『1週間で?E㎠?E灰鵐團紂璽拭戮鮗蠅房茲蝓?br>自宅で精読したが、全く?E㎠蕕覆㎠辰燭♤?br>この分愉析少なからず将来性あ?E△隼廚辰燭蠅靴討い拭?br>
そして情報部門の処理などは、待機す?E屬燭い斑里蝓?br>この間で私の習笹悚間にあてら?E?E△隼廚ぁ?br>コンピュータの?E膤惺擦妊愁侫肇ΕД慍覆魄?E曚紐悗鵑澄ΑΑ?br>
この頃、自宅のから程遠くない処に、
あ?E膣?E箸亮麈梢佑里ⅸ擦泙い♢△蝓△賄困┐鯑世董?br>何とか大?E箸肪翕啼劼任④燭里蓮⊂赦贈苅鞠僚佞如?br>私は25歳の遅?E深匆饋佑離好拭璽箸箸覆辰拭?br>
私は職?E廼Δ棒覆鬚靴燭里蓮⊃径瓦涼腸ぢ紊凌傭燭∮?br>この後、長らく業界の空気を共にした。

私は?E箸貌劼靴討泙發覆∮般海魎泙疆按?EⅣ亡?E反佑箸靴洞気┐蕕?E?br>組織の?E箸靴廿凌覆掘鼎ご?E圓覆匹六廚そ个慌?ひま)なく、
多忙な?E屬里呂犬泙蠅箸覆辰燭里任△?EΑΑ?br>
               《つづく》
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私が下駄を履く時、素足になり・・♪

2008-03-14 08:14:00 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であるが、
自宅に居(い)る時は、殆ど下駄(げた)を履(は)いている。

主庭に下り立つ時、玄関庭の軒下、郵便受け入箱、
ときには駅前までの遊歩道を散策する時も履いたりしている。


私が現役時代の30代のなかば頃、
数多くのサラリーマンと同様な多忙な期間が続いた折、
休日の時、気分転換として、下駄を買い求めたのであった。

平素はビジネス・シューズで長い勤務時間を過ごし、
自宅ではサンダルを履いていたが、
何かしら下駄は心身の波長に心地よく、この時以来愛用している。


晩秋の時節から桃の咲く頃までは、黒の足袋(たび)を穿(は)いて、
この季節以外は、素足で下駄を履いているのである。

東京郊外の調布市は、ここ1週間は桜の咲くような陽気に恵まれたので、
黒足袋を脱いで、素足となった。

私は主庭に下り立ち、春のような陽気につつまれた中、
白梅、しだれ紅梅、そして日本水仙を眺めながら、
煙草を喫ったりしている。

ときおり、微風が吹いたりすると、
風の匂いは甘く、そして素足を通り過ぎるが、これなりに心地よいのである。

尚、私の履いている下駄は、会津の高級な特選の桐下駄でなく、
程々の価格の下駄であり、三品を適度に履き分けている。


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ときには、簡素なサンドイッチさえも・・♪

2008-03-13 14:53:00 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に住む私は、
風もなく青空で桜が咲くような陽気の中、理容店(散髪屋)に行った。

家内は衣料整理の真っ最中であり、
昼食は簡単な品を帰宅の途中で買ってくる、
と私は出かけ間際に云ったのである・・。


いつも利用している理容店の主人とは、
床屋談義として、四季折々の樹木、草花の話題をしている。

今回の場合は、どこそこの桜がいつ位咲きそうだ、
去年のどこそこの桜が綺麗だった、
と他愛ない話をしたりした。


帰宅後、私は居間のテーブルで、テーブル・マットを敷いて、
ゴールドブレンドのコーヒーと煎茶を用意した後、
買ってきたコロッケの二種類、メンチカツ、そして食パンを置いた。

『XXちゃん・・用意したから、お昼にしょうよ・・』
と私は奥の和室で衣料整理している家内に、大きな声で呼び掛けた。

そして、私は台所に引き返し、ブルドック・ソースを取った後、
居間の窓際のテーブルの椅子に座った。

食パンにコロッケ、メンチカツをはさんだ簡素なサンドイッチになったが、
これなりに手軽で美味しいのである。

私達は主庭にある白梅、しだれ紅梅を眺めながら、
頂いているのである・・。


若き私達の30代の時、帝国ホテルで軽食として、
ビールを呑みながら、ローストビーフのクラブサンドを頂いたことがあるが、
これより美味しいかなぁ、と錯覚したくらいである。

気負いもなく平素の容姿で、30年以上寝食を共にした私達は、
積み重ねられた語り合いに深みが増してきたのかしら、
と思ったりしたのである。

尚、この簡素なサンドイッチは、
我家では家内の多忙の時などで、一ヶ月に1度ぐらい、
愛食している軽食のひとつである。
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私の定年退職前後の想いで・・♪

2008-03-13 07:34:00 | 定年後の思い
私は2004年(平成14年)の秋に民間会社を定年退職をした身であるが、
家内の父が入退院を繰り返して5年を過ぎた時期でもあった・・。

夏の終わり頃から、危篤のまえぶれ、と医師から、家内の母は伝えられ、
家内は入院先の千葉県にある大学病院に駆けつけた・・。

結果として、夜の徹夜の看病を家内の母と交代で看る為、
家内は遠方の大学病院に通いはじめた・・。

私は定年退職の直前の状況で、出向先に5年過ぎ勤めていた身であったので、
退職に伴う書類等、業務の引継ぎで何かしら多忙の身であった。
そして家内が大学病院に一日おきに夜を徹して通いはじめたので、
やむえず月末時点で出勤を止めて、残りの日々は有給休暇にして頂き、
家内の父の安否の状況を自宅でハラハラと見守っていた・・。

まもなく家内の父が死去し、お通夜、告別式、初七日が終った後、
私の定年退職日を迎えたが、家内は実家の母を心配し、通ったりしていた。

そして、家内との年金生活に備え、
これまでの貯金、退職金などを銀行、郵便局に、
家内と共に行き、明確に分散させたりしていた。
これと同時に、年金生活に入るため最寄の社会保険庁の事務所、
そして企業年金の事務所に通ったりしていた。

家内の父の四十九日で納骨の法事を終えた後、
家内の母と私達夫婦はお墓から1時間程度の温泉地に、
3泊4日で滞在した。

私は日中のひととき、付近の湖を散策していたが、
こんなにのんびりと過ごしてよいのかしら、
とサラリーマンの多忙だった長い歳月を振り返ったりしていた・・。

そして、定年退職記念の私達夫婦旅行の企画が幻となってしまったので、
いつの日にか、私達夫婦は記念旅行をしょうか、
と考えたりした。

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とりとめない、ひとときは・・♪

2008-03-12 18:41:00 | 定年後の思い
昼食後、庭に下り立ち、
ときおり微風が吹くと、白梅の花びらが舞いながら散りはじめているのを、
しばらくの間、煙草を喫いながら眺めたりしていた・・。

居間に戻り、今月号の『文藝春秋』を読んでいたら、
少し眠くなったので、寝室で布団にもぐり、
読んでいるうちに寝付いてしまった。

目覚めると、2時間ばかり昼寝となり、
少しぼんやりと白梅、紅梅の満開の花を見惚(みと)れていた・・。

そして、昨年の今頃は、とりとめなく思いだしたくなり、
私はパソコンでこのサイトを読み耽(ふけ)っていた。


私はその日に感じたこと、思考していることを心の発露として、
このサイトに綴っている。


我家の庭の樹木、草花の情景、
歯科医院に治療に通っていた折、遊歩道の光景、
こうした綴りが多い中、
3月27日【それぞれの新入社員は・・♪り】と題し、新入社員の私なりの応援歌を綴り、
3月23日【慈父のような存在だった城山三郎・氏・・!!】と題し、
私なりの哀悼を綴ったりしていた。

そして、心の節度を失くした大臣への風刺を、
3月14日【『ママ、大臣になると、高~いお水飲めるの・・?』】と題し、
綴っていたが、社会面まで問題となったこと取り上げたつもりであり、
読んで下さった方はお判り頂けたかしら、

このような、私なりに微苦笑しながら、
昨年の今頃を振り返ったりしている。
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私の年金生活、『吾唯足知』深まり・・♪

2008-03-12 09:16:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の4年生の身である。

古びた一軒屋で程ほどの広さのある小庭にある樹木、草花の四季折々の移ろいを眺め、
子供に恵まれなかった私達夫婦は2人だけで過ごしている。

我家は自動車も持てないので、昨今のガソリンの高騰も知らず、
携帯電話に関しては使えないので保有することなく、
社会からの時流から取り残されている、と時折思いながら苦笑している・・。


家内は中学生の頃から茶事を学んでいたので、
私は一軒屋を建てた時、気負って茶室も付け足したりした。

私は民間会社の中小業に勤めたサラリーマンであったので、程々の年収の中、
土地の購入、建築費等の住宅ローンは重く家計を占めたのである。

このように状況であつたので、
スーパー・マーケットさえも、ディスカント風の低価格店から高級店まで、
その時に応じて利用してきた。

私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした時期もあったので、
小説、随筆など本、ビデオ・DVDの映画作品は多少あり、
勤めた会社が音楽関係でカセット、CD、DVDも少し多いかな、
と思ったりしている。

日常の私は、こうした趣味と過ごすことが多く、
そして日々感じたりしていることを心の発露として、
文章に綴り、このサイト等に投稿している。

先程から、家内は洗濯の合間に、NHKの番組を観たりしているが、
10数年前に購入したワイド型のテレビであり、
ここ5年の普及した薄型のテレビの購入には、ためらって今日に至っている。

このように年金生活になると、
特に耐久商品と称される品の購入には、
気弱になり、私は、吾唯足知、と自身にいい聞かせている・・。

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私が年金生活で困窮した時・・♪

2008-03-11 18:12:00 | 定年後の思い
私は年金生活の四年生の身であり、
年金を頂き、日常の生活をやり繰りし、
国内旅行等の私達夫婦の共通趣味である国内旅行等に関しては、
程々の貯金を崩している。

限られた収入しかないので、
毎年、家内の収支の概算予定を話し合っている。
例えば、国内旅行は5回程度、予定の耐久購入品は当面なし、
と決めたりし、来年度は赤字が120万円前後で収(おさ)まる、
といった状態なのである。

一番困るのは思いがけない出費である。
私が今までの年金生活の中で、一番困り果てたのは、パソコンの故障であった。


定年退職の3年前に、定年後の生活に備えて、
パソコン、机、椅子などを新調して購入したのであるが、
一昨年の初秋、このパソコンが突然に故障した・・。

家内はパソコンに関しては無知であり、
耐久商品で、永久に壊れることがないと思っている人なのである。

私は最寄のパソコンを購入した量販店に、修理の依頼をしたが5日後、と云われ、
ブログ系のサイトに毎日数通投稿しているので、
困り果てたのである・・。

修理に来て頂いたが、故障の原因は、
心臓部のキャッシュ・メモリーとメイン・メモリーの一部に磨耗があり、
部品交換は技術料を含めると10万円前後、
と笑顔で云われ、私は更に困ったのである。

私はこの期間に、最新のパソコンの下調べをして折、
魅了されたパソコンが販売価格25万円にため息をしたのである。


現役時代の50代の頃は、冷蔵庫、クーラー新調しょう、
と家内に気軽に云ったりして、購入したりしていたが、
年金生活の私は、購入予定品目もなく、
家内にどう説得するかであった。

私は長らくサラリーマンをしていたので多少の悪知恵もあり、
家内が冷蔵庫、洗濯機をよく手入れをするタイプで、
過剰に掃除し過ぎ、やむえず新調した体験があったのを、
思い出したのである。

『XXちゃんさぁ・・冷蔵庫、洗濯機でも耐久商品といっても・・7年ぐらいで・・
我家は新しい物に代えているよね・・』
と私は優しく家内に云った。

そして、この機を逃さずに更に、
『パソコンなんか、ここ10数年で家庭に普及した程度だから・・
飛躍的に進歩しているし・・
前に買ったパソコンより遥(はる)かに廉(やす)くなっているの・・
この際、思い切って新しいのにしょう・・』
と私は少し懇願するように家内に云った。


結果として、データ強制移行料などで、
27万円弱で、魅了されたパソコンに新調し、
やはり最新のCPUは速い、と私は微笑んだりした。


尚、私は年金生活の身であるので、
冠婚葬祭以外の思いがけない出費は、何よりも嫌いで、
困るのが本音である。
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改めて、映画の『ビルマの竪琴』を観て・・♪

2008-03-11 14:35:00 | 定年後の思い
昨夜、NHKのBS2で市川 崑・監督の『ビルマの竪琴』(1956年版)を観たが、
この映画を鑑賞したのは50数年ぶりであったが、
胸が熱くなり、涙を流したりした。


私は昭和19年に農家で生を受け、
いじけた可愛げのない三男坊で幼年期を過ごした。

その後、父が死去し、祖父も亡くなったのは、小学校3年の晩春であり、
我家は没落しはじめた・・。

私は4年生の頃から、独りで映画館に通い、
東映の『笛吹童子』、『里見八犬伝』等の娯楽映画を満喫していた。

5年生の時、最寄の映画館で、この映画を観て、
私は心の底から感動して、感銘したのである。

これまでの文芸作品は、
幼児の時、母に連れられた『長崎の鐘』、
学校として皆で『二十四の瞳』で鑑賞していたが、
独りで観たいと作品を選定し、
いつものように軽い気持ちで観ていたのであった・・。

戦地で現地の人達と戦いが予測されたが、
『埴生の宿』で互いの日本語と英語が合唱となり、回避できたこと。

日本兵の死体の数々・・火葬した時、
私は死体の匂いがスクリーンから感じたり、
帰国前の収容所で共にした兵士の前で、
現地に留まる決意の上で、『仰げは尊し』を別離とし、ビルマの竪琴を弾くシーン・・。

このような思いのシーンが子供の私は、
心が打ち震え、感動し、涙を浮かべたりしていたのである・・。


私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした期間があり、
この監督の作品はある程度の作品を鑑賞し、少なからず影響を受けた。

心の中で思い出されるのは『炎上』(1958年)、『野火』(1959年)、
『鍵』(1959年)、『おとうと』(1960年)、『黒い十人の女』(1961年)、
『破戒』(1962年)、『私は二歳』(1962年)、『太平洋ひとりぼっち』(1963年)、
『東京オリンピック』(1965年)、『細雪』(1983年)などの作品である。

私が大学を中退を決意させた原因は、
映画監督としては、このお方もあこがれのひとりであったし、
脚本家としては橋本 忍を代表される方たちである。

振り返れば、この『ビルマの竪琴』が原点だったかしら、
と昨夜の鑑賞後、微苦笑しながら、純米酒を呑んだりした。
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私達夫婦の年金生活の実情は・・♪ ②

2008-03-11 09:35:00 | 定年後の思い
私は今朝の1時間半ばかり、
原稿用紙にして5枚前後の長さを綴っていたのであ?E♤?br>『送信』ボタンをクイックしたら、エラー・メッセージが表示さ?E拭?br>
【必要項目が入っていません。
バックボタンに戻って記入してください】


この【OCN Cafe】の新規笹椪の?E腓蓮?br>長すぎ?E絃蓮燭い録卦㌔了屬鵬燭㎠靴蘋⒁鵑♢△?E里㎠靴蕁?br>と少し李濱してい?EΑΑ?br>
以前も6回前後体験したが、?E未箸靴討狼磴〝磴∮悒⑤礇鵐札?E戮靴燭海箸♢△辰拭?br>
どなたか、ご教示を願え?E亶♢い任后?br>

私達の年金生活の実情は、
このサイトに殆ど私の心の発露を?E洪姪?E討靴討い?E里如?br>お読み頂け?E弌△弔燭覆て?E?E♢修蠅砲覆?E?E?br>と思いますので、標記は省略させて頂きます。

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私達夫婦の年金生活の実情は・・♪ ①

2008-03-10 16:18:00 | 定年後の思い
私は中小業の民間会社のサラリーマンを?E狄Δ掘?br>年金生活の4年生の身であ?E♤?br>生活の初めは多少の不安があった・・。


私は退職の5年前頃から、
退職後の生活をどのように過ごしたいか、
と家内と何度も話し合ったりしていた。

私の現役時代は数多くのサラリーマンと同様に多忙な?E屬魏瓩瓦掘?br>50代には業界全般が縮小となり、
私の勤めていた会社も?E好肇蕕覆匹圓?E?E拭?br>
先輩、同僚の?E瑤倭甦?E狄νザ⑺戮量召里發箸如?E阿紡狄Δ気擦蕕?E燭蝓?br>或いは人事異動が盛んに行?E?E燭蠅靴拭?br>
私の?E腓癲■毅安紊覆㎠个如⊆莪饉劼暴亳箸覆蝓?br>何とか?E魴泙┐?E海箸侏茲燭里任△?EΑΑ?br>
このような思いもあり、せめて退職後は自身の趣味で過ごしたく、
退職後からは年金生活とした。


?E未箸靴討蓮汎發話禹▲謄縫垢覆匹亮駝箸靴討い?E♤?br>お互いに趣味の時間は束縛せず、
ただ共通の趣味として、国内旅行をしょう、と決めたのであ?E?br>
私達夫婦は子供に恵ま?E?E海箸覆㎠辰燭里如?br>いず?E匈笋?E箸覆辰浸里海箸覆匹癲∀辰傾腓辰討い拭?br>
?E狄Ω紊泙任隆?E屬如鼎咾唇?E遊討鬟?E侫①璽爐靴燭蝓?br>小艇昔樹木は老いた時を配慮し、植木屋さんに樹高を短めにして貰い、
垣根、門扉などは?E靴靴拭?br>
年金生活の資金の原則は、年金で?E?E験茲鬚笋蠅蠅鬚掘?br>国内旅行等は程々の貯金を取?E靴討い?E?br>
              《つづく》
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小雨の降った後、陽射しが射しこみ・・♪

2008-03-10 10:59:00 | 定年後の思い
東京郊外の調布市では、朝の6時過ぎに小雨が降りだしてきた・・。

ここ数日は桜の咲く時節ような陽気に恵まれていたが、
この1週間、雨が降らない日々が続いたので、埃っぽい乾期であった。

週明けの通勤の方には、お気の毒であるが、
私としては待ち焦がれた雨である。

小雨の降り中、白梅、紅梅の満開の花びらは、
浮かび上がっているような情景を眺めたり、
日本水仙の花は小首をかしげたように雨を受け止めている。

常緑樹の枝葉は濡れ、
落葉樹の枝先は堅(かた)い莟(つぼみ)のように芽吹きを待ちわびている。

このような情景を玄関の軒下で、
煙草を喫いながら、しばらくの間、眺めたりしていた。


10時過ぎになると、空は明るくなり、
次第に陽射しが観えた後、庭に射しこんできた・・。

常緑樹の枝葉は濡れているが陽射しを受けると光を帯び、
落葉樹の枝は、数多くの雨粒がキラキラと光輝いたりしている。

小鳥の6羽がいつものように飛来し、白梅、紅梅の花にまといつき、
歓声を上げながら花びらの密を吸ったりしている。

私は朝のひとときから雨の匂い、黒土の匂いを感じ、
10時過ぎには花の匂い、ときおり微風が吹き、甘い風の匂いを享受し、
今、こうして陽射しにつつまれた庭の中で、ぼんやりとたたずんでいる。
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ときには、早朝に目覚めれば・・♪

2008-03-10 04:47:00 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であるが、
原則として定年退職後は日の出と共に起きだしている。

ときおり、早く起きだすことがあるが、
殆ど国内旅行に出かけたり、不馴れな旅先の宿で起きる場合もある。

私の住んでいる最寄駅の始発は、5時であり、
周遊観光の集合時間が東京駅は6時半、或いは羽田空港は7時、
この時間になると、自宅からタクシーとなったり、
或いは新宿まではタクシーで山手線の始発に乗ったりしている。

こうした国内避けたいのであるが、旅行の企画に魅力がある場合は、
誘惑に負けてしまい、
いそいその夜明け前に自宅を出たりする。

東京駅、羽田空港にしろ、早朝の情景は通勤時間より早めであるが、
人の多さに驚かされている。


私の現役時代は、業務の開発、運営で多忙期間には、
徹夜勤務も少なくとも何百回も体験したが、
30時間以上勤務すると、若かった40代でも、
本音のところ辛かったのである。

現役時代の勤務時間は9時始業し、夜は7時前後に終れれば、
理想的であったが、35年間勤めれば、
部署によりそれなりに業務に励むと
当然として出社、退社の時間が異なり、朝は睡眠不足が多かったが、
何とか気力でサラリーマンを卒業できたのである。


我が人生で一番楽なのは、観光ホテルの温泉滞在旅行で、
宿泊の部屋で夜の8時過ぎに寝付き、早朝4時に目覚め、
そして5時より入浴可能の一番風呂に入りことである。

こうした折、日常生活と最も違うので、このような贅沢をしてもよいのかしら、
と心の中で戸惑いを感じる時もある。







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我家の公共料金のあれこれ・・♪

2008-03-09 17:49:00 | 定年後の思い
東京郊外の調布市に古びた一軒屋に住む私は、
サラリーマンを定年退職後、年金生活の4年生である。

そして私達夫婦は子供に恵まれることがなかったので、
家内と2人だけの家庭である。

私は年金生活に入って初めて、
電気代、ガス代、水道代、電話代の金額を意識させられたのである・・。


電気に関しては東京電力の地区となるが、
夏季を中核とした時、クーラーの冷房となる。

私は現役時代から暑さに苦手なタイプであるので、
冷房に弱い家内と毎年、冷たい戦争を繰り返してきた。

結果として、27度を妥協として、設定気温にしている。

そして年末年始を含めた期間のひとときは、
炬燵(こたつ)は電気なので、多少使用量が増えるのである。


ガスに関しては東京ガスの縄張りであり、暖房はガス・ファンヒーターを利用し、
お風呂と台所なども使用している。

家内は寒がりなので、積極的に暖房をしているが、
銀行自動振込の請求額を見るたびに、ため息をしたりしている。


水道に関しては、調布市の水道局の管轄下であり、
20数年前頃、水道の検針員のお方が、
奥さん、何人家族ですか、と訊(たず)ねられたことがあった。

家内は洗濯、台所などで几帳面に洗うタイプなので、
2人住まいとしては多少大目らしいのである。


電話通信はNTT東日本を利用しているが、
携帯電話の使えない私達夫婦は、固定されたひかり電話を活用しているが、
以前の黒電話からすると、驚くほど廉(やす)いのである。

家内は千葉県の八千代台市に独り住まいの家内の母に、
殆ど毎晩、電話連絡をしているが、
我家の電話代は、たった千円札が2枚以内で、
年金生活の2人住まいの我家は、
電話通信費としては破格の廉(やす)さかしら、
と私達夫婦は微笑んでいる。

私が定年退職後、遅れせばながらインターネットを開設し、
まもなくして回線を光ファイバーに切り替えた時、
同時にひかり電話にした次第である。


このような生活を過ごしているが、
夏季は冷房で電気代が増え、冬季は暖房でガス代が増えるのである。

『世の中・・巧(うま)くできているね・・』
と私は家内に云った時、
『同時に両方が請求がきたら・・困るわ・・』
と嫌な顔をされたりした。

春、秋のひとときは、暖房、冷房は活躍しないので、
この季節が永遠に続けば、家計は更に安泰するが、
四季折々の樹木、草花の移ろい、そして食べ物がないのは、
情緒に乏しく、やはり淋しいのである。

このような状況で、年金生活を過ごしたりしている。

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ときには、『健康歳時記』を読めば・・♪

2008-03-09 11:39:00 | 定年後の思い
私は年金生活の4年生の身であり、
机上の右側に色々な歳時記、国語辞書などの本を置いている・・。

この中の一冊が、水野 肇・監修の『健康歳時記』(三宝出版)であるが、
私が現役時代の平成7年に、会社に訪問販売してきた時、
おつきあい程度の気持ちで購入したのであった。

現役時代は本棚に収納したままであったが、
定年退職後、改めて人生の再スタート時に机上に置き、
ときおり読んでいる。

この歳時記は、日毎に『からだの365日』、『お天気歳時記』、『暮らしのカレンダー』、
『自然の雑記帳』、『駅弁の旅』、『健康一日一諺』、『雑学の玉手箱』が掲載され、
健康の歳時記にふさわしい編集となっている。

例えば、本日の3月9日に於いては、
『からだの365日』は、免疫とアレルギーは同じ原理、
『お天気歳時記』は、フェーン現象、
『暮らしのカレンダー』は、デパートに初めてエスカレータが登場したのは、
三越本店で大正3年などと記載されたりしている。

『自然の雑記帳』は、メダカの生態の特集であり、
『駅弁の旅』は、山陽本線の三原駅のたこめしが紹介されている。

『健康一日一諺』は、心配は身の毒、と題して、
心配ごとや悩みごとがあると、気分が沈み、憂鬱になる。
これが昂じると思考力、決断力も低下し、仕事の能力もあがらない。

身体的にも不眠、頭重、肩こり、食欲不振、便秘などの症状が現れ、
典型的な鬱病を示すようになる。

ここまでくると「身の毒」などと呑気な事はいっていられない。
「心配の寿命の毒」である。

このように優しく解説されて、私は微苦笑しながら、
庭に下り立ち、煙草を喫ったりしている。

尚、『雑学の玉手箱』は、潜在意識とは、
命題に基づいて、フロイトの学説を解説されて折、
私は思わず襟を正して、精読したりしている。

たかが本の一冊であるが、されど中味の濃い心身の友でもある。

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