夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

健やかな睡眠のカギを握る「メジャースリープ」、高齢者の私は学び、やがて過ぎし年に思いを馳せて・・。

2016-12-16 11:28:11 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
昨夜、初めて見るネットの『Webナショジオ』を見たりしていた中で、
【 健やかな睡眠のカギを握る「メジャースリープ」とは 】と題された記事を見た。

もとより睡眠は健康の源(みなもと)と信愛しているが、
「メジャースリープ」って・・どういうことですか、と思いながら精読してしまった。

この記事は、国立精神・神経医療研究センターの睡眠のスペシャリストである三島和夫部長にインタビューされて、
Webナショジオの編集部が纏(まと)められた記事であり、無断であるが大半を転載させて頂く。

《・・毎年3月18日は睡眠の日。
これは正しい知識の普及や睡眠健康への意識を高めることを目的に、
睡眠健康推進機構が定めたもので、9月3日とあわせて年2回ある。

ちなみに、9月3日にした理由は「ぐっすり」の語呂合わせから。
3月18日は世界睡眠医療協会が定めた3月第3金曜日の「世界睡眠デー」に合わせている。

それでは、健康的な睡眠とは、どんな睡眠なのだろうか。
国立精神・神経医療研究センターの睡眠のスペシャリスト、三島和夫部長に聞いてみた。
             

三島さんによれば、睡眠の2大要素は、どれだけ眠るかという「睡眠時間」と、
いつ眠るのかという「睡眠のリズム」とのこと。

だが、睡眠時間も睡眠リズムも、実は人それぞれ。
なので、この点に関しては一概には言えないものの、すべての人にあてはまることもある。
そのひとつが「メジャースリープ」の維持だ。

「健康な睡眠では、90分おきに、レム睡眠が表れます。

レム睡眠は、主に体を休めるものですが、それ以外のノンレム睡眠では、
はじめのほうに、特に脳をしっかり休める深い睡眠が出て、後半になるにつれて浅くなります。
このような睡眠の一連の構造は『メジャースリープ』と呼ばれています」

たとえば、メジャースリープが乱れる原因のひとつに、長い昼寝がある。
夜、普通に眠る人の場合、日中に30分以上眠ると、かなりの確率で深い睡眠が表れてしまい、
その結果、夜の深い睡眠が激減して、メジャースリープが崩れてしまう。

するとどうなるか。
「脳は深い睡眠の間に、よく冷えるため、分断されると、冷却の効率が悪くなって、しっかり休めません。
また、深い睡眠の間に出る成長ホルモンも、減ってしまいます。

成長ホルモンは、大人になってからも、細胞の修復やたんぱく質の合成などに関わる大切なホルモンなので、
健康のためにはメジャースリープを維持することが、とても大切なわけです」
             

また、成長ホルモンは、肌の修復にも関わっている。
そのため、夜10時から深夜2時までを「ゴールデンタイム」などと呼び、
美肌のためには、この時間に眠るのが大事と紹介されることがあるが、これは完全な誤解だそうだ。

「成長ホルモンが肌の修復に関わっているので、その点では正しいのですが、
深い睡眠は、眠りはじめの3時間ぐらいまでに出るのであって、何時から何時という時計の時刻で決まってはいません」

メジャースリープを崩さないための三島さんのアドバイスは
「こま切れの睡眠はNG」。
睡眠不足で、やむをえず昼寝をするとしても、目が覚めてから8時間までに、30分以内がおすすめとのこと。

「睡眠は乱射しないで、大砲のようにドーンと撃つのが大事です。
なるべくまとめてとってください」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

このように私は多々教示され、やがて過ぎし私が若き日の23歳の頃が思いだされた・・。

この当時の私は契約社員の警備員などをしながら、生活費の確保と空き時間を活用して、
文学青年のような真似事をしていた。

都心のある大型スーパーの勤務地に派遣されて、2人で48時間の交代勤務をした体験がある。

たとえば私が朝の9時に出勤し、相手方と1時間ばかりお互いに確認した後、
相手方は退社し、私は警備室で朝の10時から翌日の朝の9時まで責務の時間となる。

この間、毎一時間ごとに10分前後で巡回をすれば、
残りの時間の警備室で、自在の勤務体制となるので、私は文学修行の時間帯とした。

このような勤務をしていると、明け方の3時頃が眠くなり、
少し10分ぐらいウトウトする程度で、日の出の前の夜明けを待ち焦(こ)がれたりした。

こうして勤務サイクルをしていると、何よりも困苦したのは、
相手方が冠婚葬祭で休暇となり、私は2日分の48時間を勤務し、眠れない過酷な勤務となったことである。

この当時の中小業の警備会社は、大半の自由な時間なことがあるが、
このようなハードな勤務体制があったりし、さすがに私は若さを誇っていても身体が順応できず、
私は10ヶ月ばかり勤めた後、退社した。
                        

やがて文学青年の真似事があえなく敗退した後、やむなく何とかして民間会社に中途入社したい為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校のソフト科に、1年間ばかり学んだりした。

そして何とか民間会社に中途入社して、やがて正社員として奮闘していた。
こうした中で、情報畑でコンピュータを活用し、運営・開発をしていた業務を20数年したりした。

こうした中、業務は数年ごとにシステムの改定をしたり、全面改定の開発業務になると、
深夜、休日出勤などで奮闘したりした。

或いは徹夜勤務をして、連続勤務30時間前後は幾たびもしたが、
もとより確かな先の見える正社員であり、達成感の悦びが加わり、奮戦したりした。
          
やがて1998年(平成10年)の少し前の年からリストラ烈風となり、
まもなく私も1999年(平成11年)2月に出向となり、                                   
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした・・。
 
やがて私は出向先の物流会社の勤務に馴染み、この当時は朝の起床は4時45分で、
少しばかりの遠方の神奈川県・厚木市の郊外にある物流センターに行き、
帰宅は早くても夜の9時過ぎであり、これ以降は定年退職時の2004年(平成16年)秋まで続いた。

こうした中で、50代後半で睡眠時間を削り、体力勝負は勘弁してほしい、と心の中で呟(つぶや)くこともあったりした。
                         

定年退職後、多々の理由で年金生活を始めたが、ダラシなく生活をするは、よくないと思いながら、
日の出と共に起床するように2年ばかり実行してきたが、この後は制約を設定せずに、自由な起床時間としている。

そして平素の睡眠に関しては、現役時代のサラリーマン時代には、ストレスがあったりしたが、
年金生活をすると悩みも激少し、たとえ震度3ぐらいでも目覚めることなく、少なくとも6時半は連続熟睡している。

ここ数週間は、朝の7時前後に目覚め、夜は11時半頃に布団にもぐってしまうことが多い。

ここ10数年、この世は健康第一と、食べ物、薬などが大いにもてはやされている・・。
もとより超高齢化の社会なので、長寿の命題でこのような風潮となっているが、ときおり私は苦笑する・・。

私は健康の源(みなもと)は、程ほどの食べ物を頂き、栄養補給剤の薬に頼らず、
何よりも熟睡こそ肝要で、そして生きがいのある言動をしていれば、
たとえ齢を重ね体力が衰えても、心身は溌溂(はつらつ)と信愛したりしている。

私は何かと読書好きで、ときおり深夜まで読むと、昼下がりに眠くなり、
昼寝を30分ぐらいしてしまうこともある。

或いは風邪気味の時は、病院などに行かず、早めに布団にもぐり、
本を読み、そして睡眠時間を多めにしている。
             

こうしたことは、もとより年金生活の自在の身だからできることなので、
この世で一番贅沢なこと思い、微苦笑しながら甘受してきた。

そして私は定年まで、多くサラリーマンと同様に、睡眠時間を削り奮闘することが多かったが、
年金生活をしていると、殆ど6時半以上は連続熟睡しているので、眠れる田舎の老ボーイかしら、
と微笑んだりしている。

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おひとりさま用のクリスマスケーキが登場、ときおり『おひとりさま』になる老ボーイの私は、微苦笑を重ねて・・。

2016-12-15 14:24:09 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読しているの『東京ウォーカー』を見たりしていた中で、
【 ローソンからおひとりさま用のクリスマスケーキが登場 】と題された記事を見た。

私は齢ばかり重ねても、好奇心は衰えず、こっそりと精読してしまった。

この記事は、『東京ウォーカー』で2016年12月13日に配信され、
無断であるが大半を転載させて頂く。

《・・ローソンからおひとりさま用のクリスマスケーキが登場

ローソンから気軽に買える一人用サイズのクリスマスケーキ「赤いクリスマスケーキ(ベリームース&チョコレートガナッシュ)」(320円)
          

ローソンは、フランス産チョコを使用した1人用サイズのクリスマスケーキ2種類を新発売。
「赤いクリスマスケーキ(ベリームース&チョコレートガナッシュ)」(320円)と
「白いクリスマスケーキ(ホワイトチョコレート&プラリネクリーム)」(320円)を
12月13日(火)より全国の店舗で販売する。※「ナチュラルローソン」「ローソンストア100」を除く

「赤いクリスマスケーキ(ベリームース&チョコレートガナッシュ)」は、
フランス産のチョコを使用したガナッシュをショコラムースとスポンジケーキで包み、
真っ赤なグラサージュで美しく仕上げている。
ベリーの甘酸っぱさとチョコのほろ苦い味わいが楽しめる。

「白いクリスマスケーキ(ホワイトチョコレート&プラリネクリーム)」は、
コクのあるフランス産のホワイトチョコレートを使用したムースに、
ナッツが香るプラリネクリームと、ほんのりオレンジが香るスポンジケーキを合わせた一品。
ふわふわのホワイトチョコレートムースに、ナッツのコクと食感がアクセントになっている。

ホールケーキは買いにくいという人や、家族みんなで1人ずつ好みの味を楽しみたい人にもおすすめだ。
気軽に本格的な味わいが楽しめるローソンの1人用クリスマスケーキで、ひと足先にクリスマス気分を楽しもう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
          

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であるが、
独り住まい家内の母は、『要介護1』となってしまい、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

こうした関係で、ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。

そして24日は『クリスマス・イブ』の日には、たまたま独りぼっちの『おひとりさま』で、
迎えたならば、私の生家は仏教の曹洞宗であり、キリスト教には関係はないが、
やはり私は世間の風潮には弱く、やはり少しやるせない日となるよなぁ、と苦笑したりした。
          

やがて私は、私たち夫婦が結婚前の交際していた遥か遠い日の42年前の頃、
思い馳せたりして微苦笑したりした・・。

この当時は、銀座とか私が勤務していた所在地の六本木の喫茶店で待ち合わせをして、
私は少し背伸びをして、高級な食事処を誘って、
ワインなどを呑みながら、イタリア料理かフランス料理、或いはインド料理などを頂いていた。

そして確か41年前の頃は、クリスマス・イブの時は、銀座の4丁目に近い喫茶店で待ち合わせをしていた。
私は退社後、少し待ち合わせ時間に遅れそうになり、日比谷線の『六本木』から『銀座』までの地下鉄の電車の中で、
この日には走行が特に遅く感じ、もどかしい心情となり、下車後の地上までの階段を駆け上り、喫茶店に行ったりした・・。

この当時の1975年(昭和50年)の頃は、もとより携帯電話もない時代で、
待たされる方は、待ちわびる状態となり、駆け付ける方も何かと連絡する方法はない時代であったので、
お互いに信頼だけで結ばれていた時代でもあった・・。
          
           ☆☆ これ以降の掲載したすべての写真、年金生活のクリスマスシーズン、旅先でたわむれに撮った ☆☆

その後、結婚してからは、私は退社後に付近の専門店で、一週間前の頃から思案していたプレゼント品を購入し、
封筒状のクリスマス・カードにささやなな一文を認〈したた〉めたりした。

そして幾たびか待ち合わせをしていた洋菓子店の六本木『クローバー』の二階の喫茶店があるが、
この一階に魅了されていた『クローバー』でケーキを買い求めて、新居の賃貸マンションに帰宅してたりした。

この後は、一軒家を建てて、ローン返済で苦節していた時代が3年ばかり続き、
せめて愛用している『クローバー』でケーキだけ購入して、帰宅していた。
          

やがて私が40代の頃には、家内に何か欲しい品、とやんわりと訊(き)いたりしていたが、
必要な品は、デパートで買い求めているから必要はないわ、
できたら旅行に行って温泉にゆっくり・・と要望されたりした。

この当時は私は多忙であったのは、40代の後半の頃から、業務が幾分空〈す〉いた2月頃に、
冬の旅をして、家内の念願に応〈こた〉えたりしていた。

そして定年退職後の年金生活に於いても、我が家はプレゼントの品よりも、
観光ホテルに滞在して、ゆっくりと温泉を満喫することが多くなっている。
          

このように我が家はクリスマス・イブは、旅先以外の年は、
家内が居間などにささやかな室内飾りをして、平素より幾分多めの料理を頂きながら、
私はウィスキーをオンザロックと称した氷片を入れただけの濃いめを呑みながら、
家内はビールを呑みながら、いつものように談笑したりしたりしてきた。

もとより私たち夫婦が子供に恵まれたならば、クリスマス・イブの日も含めて、
大幅に変貌してきただろう、と思いながら、こればかりは叶わぬ夢となっている。

このようなことを私は、ぼんやりと思い馳せたりした。

尚、たまたまコンビニのローソンのひとつ商品を紹介するような記事になってしまったが、
私の親戚、知人、友人も誰ひとりローソン関係していないことを付記する。

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IT終活、死後にPCやデータをどうすればいいか、高齢者の私は学び、戸惑いながら微苦笑して・・。

2016-12-14 15:11:21 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
昨夜、年に6回ぐらい愛読しているITに詳しい専門ネットの『ITmedia エンタープライズ 』を見たりしていた中で、
【 死後にPCやデータをどうすればいいか――IT終活のススメ 】と題された記事を見た。

ここ数年、デジタル終活と私は盛んに目にしたりしてきたが、
私は恥ずかしながら携帯電話、スマートフォンも使えない身で、
ぼんやりと、デジタル終活かょ・・と見たりしてきた程度であった。

しかしながら、据え置き型のパソコンだけは、定年後の年金生活の中で愛用して13年となっているので、
せめてパソコン関係の終活ぐらいは、学ぼうとして、精読してしまった。

この記事は、日本セキュリティ・マネジメント学会常任理事・萩原栄幸さんが、
連載寄稿文として『萩原栄幸の情報セキュリティ相談室』があり、2015年3月27日に配信され、
無断であるが大半を転載させて頂く。

《・・死後にPCやデータをどうすればいいか――IT終活のススメ

還暦が近いと出会いの数より、別れの数が多くなる。
今回は読者の皆さんも、いずれ直面するであろう「死後」における自身のPCやデータなど扱いについて解説したい。
             

数年前に筆者の友人が、亡くなった。
とても優秀で地道に、ネットワーク系技術者として活動してきた人間だ。

家族はお金の管理などを全て、彼に委ねていたらしい。
ほぼ急死だった。
葬式後に奥さんから、相談をいただいた。

通帳や口座振替については奥さんも知っていたが、
その他のことは、PCやスマホでネット取引をしていたらしく、全く分からないという。

そこで奥さんの立ち合いのもと、筆者は彼のPCを立ち上げ、
新聞サイトの有料会員登録や、アマゾンの商品予約などを取り消した。

また、メールで彼の死亡報告と連絡先メールアドレスや、奥さんの携帯番号を通知する作業に2日間も費やした。
             

また、おそらく男性なら多くの方が、収集している性的な画像や、
仕事の資料データなどについては、慎重に対応する必要があった。

奥さんに内緒だったという「株取引」なども停止させなくてはならず、大変である
(多少の黒字だったので、奥さんも特に責めなかったが)。

銀行口座などは、たとえ奥さんでも、現金を引き出すには、制約を伴う。
正式に死亡が判断され、法定相続人の全員の合意が必要であり、様々な手続きをしないといけない。

自分の死後については、ヒミツの画像の消去や知人への連絡などが気になるだろうが、
その他に個別対応すべきものが多々ある。

こうした作業は、ITに詳しい人がやっても、故人の全容を把握するだけで、1週間以上かかるに違いない。
できれば自動的に対応できる準備が、必要になるだろう。

筆者は、死後についてのことを生前に準備しておく「終活」のカウンセリングをボランティアでもしており、
この「死後のPC処理」について、たいへん興味があった。
今回はそのことについて解説したい。
             

☆死後に備えて、まずやること

成人を過ぎたら、年に一度は「エンディングノート(終活ノート)」を書いておくべきと、
若者も含めて提案している。

棺桶の中に何を入れるとか、どんな花がいいとかいうことよりも、
残された家族にとって、最も重要かつ故人も恥ずかしい思いをしなくて済む、内容についてだ。

財産分与などはもちろん、PC編としてOSのIDとパスワード、
PCで処理している金銭関係の取引情報(社名やサービス、ID、パスワード、解約や停止の仕方など)がある。

そして、自分がしたためたエンディングノートの存在を、家族全員に伝えておく必要がある。
そうしないと、死後に「勝手に作成された」と法定相続人や家族から、騒ぎだす場合があるためだ。
本来なら公正証書や遺言信託などにするのがいいが、まだまだ一般的ではないかもしれない。

エンディングノートには、自分が死亡時に動かしてほしいアプリがあれば、その実行方法を記す。
実行した後に、どうしておくべきか(また使うのか、一度だけかなど)も伝えおき、
再び起動する必要がないなら、データの完全削除(HDDを物理的に破壊するなども)をする方法も明記する。
             

☆どんなことをしてもらうのか?

死後に遺族や知人にしてほしいことは、人それぞれだろう。
ここでは一般的なものを挙げるが、その以外のものは、自身の希望や環境に合わせてエンディングノートに記載していく。


※PC本体
    まずは起動用のOSのIDとパスワード、複数のIDを登録していなら管理者権限のものを記載しておく。
    個別対応が必要な場合は、その処理方法について明記する。
    利用しているソフトやサービスについて、どうしてほしいかも伝える。

    一般的には次の通りだ。

    メール・・・プロバイダのメールサービスや無料メールサービスなどを活用している場合が多いだろう。
          きちんとその存在や用途を説明し、すぐに退会するもの、一定期間は放置してもいいものなどを記載する。

          最も注意すべきは、定期的に自らが情報発信していたり、家族に内緒でネット売買をしたりするケースである。
          既に売買が成立していたら、商品を発送しないといけないこともある。

          そういう可能性のある行為(ネットでの出店など)はID、パスワードの照会方法と脱退の仕方についても明記しておく。
          メールは個別対応になるのは、避けられないだろう。
          友人向け、取引先向けというジャンルで、メーリングリストを作成しておくのも手だ。
             

    金銭関連・・・ネットバンキング(金融機関名、ID、口座番号、パスワード、照会先など)や証券会社、家族に内緒で契約した保険などがある。

    有料サイト・・・会社名やID、パスワード、解約方法などは必須。
          例えばWeb記事の有料会員やレンタルDVDの月会費、アダルト系有料サイトなどがある。
          無料サイトは脱退した方がいいが、そのままでも実害は少ない。

    ネット通販・・・アマゾンや楽天などのネット通販のID、パスワードを記す。
          上述した様に商品の予約購入などの状況確認や退会の方法も記載する。
          特に購入したものは、一覧表に記入して、年1回は保守しておく。
          
          ダウンロード版の各種ソフト、電子書籍、ゲーム、高画質画像、
          最近ではオンラインゲームで取得もしくは金銭で購入したアイテムなども含まれる。


    その他のファイルは、大きく(1)個人用、(2)仕事用に分けておく。
    それぞれ「完全消去」「外付けHDDやUSBメモリに○年保存」「友人○氏に送付」「会社に送付」など処理方法を明記しておく。
             

※Webサイトやブログ
    自身で運営しているWebサイトやブログは、
    死後もきちんと管理、保存されるようにしておくか、消去を依頼する。

    当然だが、どちらにしても、本人の死亡報知を数カ月間は掲示する。
    死後も管理できる人は、一定のスキルが必須であり、初心者の場合は掲示板などが、荒れ放題になる危険がある。

    エンディングノートには、そのことにも注意して対応方法を書いておきたい。
    最近では家族が知らないまま公開しているWebサイトが放置され、悪意の人間に乗っ取られてしまったものがあった。
    極めて残念であり、その後の対応も非常に大変になってしまう。

※SNS 
    FacebookやTwitterなどは、基本的に家族が退会処理できるなら、それに委ねるのがいい。
    死亡通知などで問題があるものや、本人以外では手続きが困難なものもある。

    自分が使っているSNSについて個別に対応方法を詳しく記載し、SNS管理者にも確認しておくのが望ましい。
    例えば、Facebookでは自分が死んだ後、Facebookアカウントを管理してもらう「Legacy Account」を設定できる。

    ただし現在は米国限定だ。
    いずれ日本でも開始されるだろう。
    機能の詳細はこちらの記事を参照してほしい。
             


その他にクラウド系サービスや仮想通貨、アフェリエイトなど一般には、
まだなじみのないサービスについては、その仕組みや概要をきちんと記載し、
処理方法を詳しく記入する。

本人が簡単だと思っても、他人は非常に苦労する可能性が高い。
サービスによっては、本人以外の人間では変更や停止ができないというところもある。

米国では死後に備えたサービスに様々な選択肢が登場しているが、日本ではまだその必要性が薄いと思われているようだ。
実際には、弁護士が介在しても、うまく対応できない事例もあると聞く。
できれば生前からこういう方面を考慮したサービスを選んでおくことが賢い選択だろう。

タブレット端末は、PCに準じる場合が多い。
スマホなどの携帯電話は、解約すれば済むかもしれないが、PCメールにはない連絡先に、
本人の死亡を通知するのが望ましい。

一斉送信などで手間暇かけない方法もあるので、
エンディングノートに端末のロック解除や通知方法、電話会社との解約方法などを記す。

電話会社によって多少違うが、通常の書類以外に死亡診断書など指定されたものが必要になることもあり、
必ず生前に確認してノートに記載すべきだ。(略)


死後を想定することは、若い読者には難しいかもしれないが、
万一の場合に備えておくことは無駄にはならない。
エンディングノートをお正月やお盆休みのタイミングで考え、記してみてもいいだろう。・・》

注)記事の原文にあえて改行を多くした。
             

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

我が家はインターネットに関して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

こうした中、私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

私はフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
             

こうした中、私が殆ど毎日、ブログの投稿文を綴っているが、家内は興味がなく、
好きな趣味事には私が熱心にパソコンに向かっているわ、と思っている程度であり、
もとより投稿文の内容も知らない。

或いはパソコンの『ドキュメント』にある私が収集している日本の近代史の出来事なども、
家内は興味がなく、無知である。

そして『ピクチャ』の写真に関しては、私は定年後の年金生活の中で、
殆ど毎日のように散策しているので、魅せられた情景をデジカメで撮ったりしているが、
私たち夫婦の旅行に行った写真だけは、帰宅後に私が家内に話しかけて、家内は視る程度となっている。

我が家の家計簿に関しては、私たち夫婦は月初めに、
お互いに実態を把握するためにしているが、私はエクセルを活用して5表ばかり作成して、
これだけはお互いに共通認識して、微苦笑したりしている。

このような我が家として、パソンコを利用してきたので、
私が家内から見られてほしくない秘密データ、写真などもない。
                          

ただ私が心配していることは、家内はパソンコのキーボードが苦手であり、
そのうちに覚えるわ・・と早や10数年が過ぎ、
私が予期せぬまさか出来事で死去した時、宛名ソフトを利用して、喪中はがきが作成できるか、
このようなことを思案したりした。

こうした中で、家内はパソコンを検索する時がある。
たとえば旅行に関して調べたい時、私に要請して、私が『和倉温泉』と入力した後、
家内は幾時間も、あらゆる『和倉温泉』に関して検索し、多彩に調べたりしている。

いずれにしても、私が近日中、家内にブログ、写真、家計簿など、
パソコン上で見る方法を生前遺言のように伝えることが必要だなぁ、と思ったりしている。
             

今回、 IT終活について多々教示され、やはり未完成の『エンディングノート』に、
それぞれID、パスワードについて、一覧表を作成し、
家内がそれぞれ開けられるように、教えていくことが必要だ、と感じ深めたりしている。

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愚痴ばかり言う「残念な人」との正しい接し方、愚痴に殆ど無縁な私でも学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2016-12-13 15:36:38 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読しているネットの『東洋経済オンライン 』を見たりしていた中で、
【 愚痴ばかり言う「残念な人」との正しい接し方
      ~時間泥棒との接し方に気を付けよう~ 】と題された記事を見た。

私は愚痴は日本男児として恥ずかしいと思ったりしてきたので、公言してきたことは殆ど無縁であるが、
どういうことなのかしら、と思いながら、精読してしまった。

この記事は、定例連載『ミセス・パンプキンの人生相談室』のひとつで、
『東洋経済オンライン 』に2016年08月16日に配信され、無断ながら転載させて頂く。

《・・時間泥棒との接し方に気を付けよう  ~時間泥棒との接し方に気を付けよう~ 
             

~相談~

実母の愚痴攻勢に悩んでいます。
両親は社会人の妹2人と4人暮らしです。

私は結婚して、実家から電車で30分の所で幼児2人を育て、現在育児休業中です。
母は月に2~3度我が家にやって来ては、実家の愚痴をこぼして帰りますが、
実家では妹たちに、私の愚痴を言っているそうです。

大半は父についてですが、父や妹たちのことを小バカにし、
上から目線の愚痴ばかりで、最近ではゲンナリしています。

たとえば妹が父と楽しそうに話すだけで、
彼女が父の味方だと機嫌を悪くし、おカネがないのは、すべて父のせいです。

母は夫の前でも、平気で父に向かって、ネチネチとイヤミを言います。
自分が正しいと思っているので、言葉に容赦がありません。

夫は苦笑いしていますが、実家にいた頃は、
私も母が正しく、父が悪いと思っていたほどですので、これも不愉快です。

離婚しないのは、食べていけなくなるからだそうで、父がとても不憫です。


最近では子どもたちへの悪影響を心配するようになりました。
それでしばらく会わないようにすると、母のほうから子どもたちに会いたいと
大量のお土産を携えて突然家に押し掛けてきたり、保育園の退園時に出待ちをするので、効果ありません。

このまま愚痴を聞き続けるべきでしょうか、短所を指摘し、私の意見をぶつけていくべきでしょうか。
みんなが幸せになるには、私はどうしたらいいのでしょうか?

有希(仮名)
             

~ミセス・パンプキンさんの回答~

お母様に単刀直入に、お願いと注意をするべきです。
家族への不満は、直接本人に言うべきで、
聞かされる方は、それが事実であれ被害妄想であれ、本当に聞きづらいこと。

直接話しにくくて、間接に伝えて欲しいことだけは、聞く耳を持っていること。
これは姉妹3人で申し合わせていることなどです。


☆愚痴ることで同情を求めている人は多い

愚痴や他人の悪口しか、話題にできない人がいます。
直接本人にぶつけて、その不満を解決する意思や勇気のない愚痴です。
多くは他者をけなすことで、自分がいかに正しいかをほのめかしています。

その人の生きている世間がとても狭くて、その中で自分がいちばん大切に扱われたい願望が強い人に、
この傾向があります。

たとえば母親なら、あっちの子どもの愚痴をこっちの子どもに言い、
返す刀で、こっちの子どもの悪口を、あっちの子どもに言います。

その内容も教育的な観点ではなくて、自分に対して、いかに優しくないかなどの愚痴そのものです。
ときにはあらぬおヒレをつけて、お互いが憎しみ合うような告げ口もします。

それで子ども同士がいがみ合おうと、それぞれから自分がよくしてもらうことが目的ですから、
それはお構いなしです。

結局は自分の値打ちと信用を落としているだけで、
そして私の母に言わせれば、自分の指を自分で噛んでいるようなものなのですが、
このような人は案外多く、私の周囲にもいっぱいいます。

これを放っておくとどうなるかを、次にお話したいと思います。
             

ここで恥を忍んで、私の3人いる姉の中の2人の悪口を、言うことにします。
世間知らずな末っ子の私が、いつのまにか姉たちと、対等に世間話ができる年齢になったときのことです。

姉たちの一番の話題が、20年以上も前に鬼籍に入った姉たちの姑の悪口であることを知りました。
自分がいかに苦労したかや、それを強いた姑がいかに悪いかを、延々と繰り返し愚痴るのです。

それを昨日のことのように生々しく、泣いたり怒ったりしながら、飽かずに話す迫力に驚きました。
相手は亡くなっているのですから、新しいネタはありません。

時効もなく、初めて話すように、同じ話を繰り返します。
姉たちはそれを繰り返すことで、不幸を反復しているに過ぎない情けない人に、見えました。
亡くなった人に、まだ支配されています。

それで私は、姉たちに言いました。
その姑さんの話は、私の前でいっさいしないでほしい。
何回も聞いたし、面白くないし、参考になる話でもない

(実際はこのコラムを書かせていただくうえで大いに参考になっていますが、
当時はこんなに、将来コラムを書くうえで役立つ話だとはわかりませんでした)。
             

そして「いつも姉たちが帰った後はあと味が悪く、姉たちが時間泥棒に見える」とまで言ったのです。

一人の姉は、次から次と話題は変えますが、勿論全部30回は聞いている姑の悪口です。
「聞いた」と言えば止めますが、すぐに戻ります。
それでも注意する前と後では、随分違いました。

この姉は情が深く、人柄が良いだけに、この一点はとても残念な欠点です。
年を追うごとに、ほかの思考回路は壊れ、壊れて欲しかったこの悪い回路だけが、
残ったような生き方をしています。

そういえばこのタイプのある友人と、とても美しいバンクーバーの海のクルーズ船に
乗っていたときの思い出があります。

船内のよい席に座り、絶景に歓声を上げる私の横で、
何やら涙を流して、もう一人の連れとしみじみ話しています。
何十回と聞いた、昔に意地悪された人の悪口でした。

「時間とおカネをかけて、こんなにすばらしいところに来て、話題がそれ?」とあきれますと、
「その人の話をして涙を流すのが、自分の一番のストレス発散なのだ」と言って、さらに泣かれました。

ちょっと長くなりましたが、もうお気づきですね。
愚痴っぽい人は、愚痴の対象そのものより、愚痴ること自体が、生き甲斐と化します。
付き合わされる人の迷惑など考えません。

皆がその湿っぽい話に、興味があると信じています。
どこかで誰かが止めないと、年を追うごとにひどくなります。
そして周囲から、人が遠ざかっていくのです。
             

☆欠点を指摘するのは、身内の務め

もう一人のちょっとだけ賢いほうの姉は私の注文に、
「それなら話すことは、1つもなくなる。あんたは難しいこと言う子やな」と言いながら、
姑の話題になりかけては、自分でブレーキをかけました。

効果は絶大で、生涯その姉は、私の前では姑の話を持ち出さず、
しかもそれ以外の話題でも、十分に姉は楽しかったらしく、最後まで私宅に来るのを楽しみにした人でした。

他人なら、嫌な人には近寄らなければ、済む話ですが、身内だとそうはいきません。
しかも放っておくと、他人に迷惑をかけることになるのですから、
欠点を指摘するのは、身内の責任とも言えます。
これには年代の序列は、関係ありません。


有希様のお母様の場合は、誰もその役目を果たしてはいませんね。
すでに社会人になった姉妹3人で(一緒でなくとも)、娘たちの陰口は、3人に筒抜けであること。

これからは直接に言えないことは、陰で言わないこと。
離婚すれば食べられなくなるから、離婚しない理由だけでも、お父様に感謝しなければならないこと。

娘や娘婿の前で、お父様をけなさないこと。
喧嘩は2人だけで、やってほしいことなどをはっきりと伝えるべきです。

即効性がなくとも、あなたたちの強い意思で繰り返し伝えていけば、
絶対に何らかの効果はあると思います。
それが一番、お母様のためなのです。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は1944年(昭和19年)の秋に、 私が今住んでいる近くに生家もあり、
農家の三男坊として生を受けた。

私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

やがて小学2年に父が病死されるが、生前の時、兄ふたり、そして私には、
男の児でも愚痴を人前で言うことは恥ずかしいことだ、と厳しく育てられたりした。

私が遅ればせながら25歳から、中小業の民間会社に勤め始めて、何かと悪戦苦闘が続く中、
十回位に一度ぐらい、懇親会の二次会で弱音を吐いたりした・・。

やがて愚痴は、人様から聞き苦しいと悟り、自分の敵は自分だ、と業務に邁進してきた。

母は私が53歳の時に病死されたが、何かと私は母と談笑したりした。
母は私たち兄妹を成人させるまで、人一倍苦労した方で、
ときおり私は母から、こうした昔話を聞いたりした。

そして私は『お母さん・・しかしながら人前では、言わない方が良いょ』
と私は言ったりした。

『判っているわょ・・』
と母は私に微苦笑したりした。
             

私は35年近く中小業の民間会社に勤め、最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となってしまった、
つたないサラリーマン航路を過ごしたりした。

こうした中で、先輩、後輩の中でも、何かと愚痴話が多い御方には、やむえなく私は遠ざかることがあったりした。

或いは私の親戚でも、何かと愚痴話が多い叔母のひとりには、私は信身なれず、
なるべく接触しないように、振舞ったりしてきた。


今回の人生相談を読み終わった後、私たち夫婦は子供に恵まれず、もとより娘もいない身であるが、
こうした母の自己中心のしぐさ、言葉には、私は苦手だなぁ、と瞬時に感じたりした。

或いは私が娘婿の立場だった時は、微妙な接し方をしながら、困苦させられるょなぁ、と感じ深めたりした。

そして何よりも、何かと小心者の私は、この父に同情してしまい、微苦笑したりした。

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正月前には大掃除 ピカピカにする100均グッズ10選、老ボーイの私は学び、やがて微苦笑して・・。

2016-12-12 15:41:29 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住む年金生活13年生の72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読している『NIKKEI STYLE』を見たりしていた中、
【 正月前には大掃除 ピカピカにする100均グッズ10選 】と題された私は見たりした。

そして《・・大掃除の時期がやってきた。
最近注目されているのが100円ショップの掃除グッズだ。・・》 と読み出し、
やがて最後まで見てしまい、汚れに応じて使い分けできる10品に、
100円ショップでも、創意工夫があるなぁ・・と関心させられたりした。

この記事の原文は、日本経済新聞の『プラスワン』で2016年12月10日に掲載された記事のひとつである。
http://style.nikkei.com/article/DGXKZO10438990Y6A201C1W01001?channel=DF260120166491

             

私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                              
過ぎし2004年〈平成16年〉の秋に、私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受したりした。

こうした中で家内は、少なくとも料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後の年金生活に於いては、日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
             

そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

こうした中で、ときおり私は家内のボディガード、お供そして荷物持ちとして、
駅前にあるスーパー、衣服専門店、ドラッグストア、ホームセンター、百円ショップなど買物する時もある。
             

我が家の年末の大掃除は、家内が殆どして、何かとノロマの私は従事したりする程度である。

こうした中、家内が奮闘する中で、XX用の洗剤などが不足した時、
私は明るい声で、『ボクが行ってきますょ・・』と積極的に応じている。

そして私はスーパーかホームセンターなどに向かいながら、窓ガラスを拭くよりも、買物の方が遥かに楽だ、
と思いながら過ごしてきたことが多い。

このように私は大掃除に関しても落第生であり、
今回の記事で学んだ、『大掃除 ピカピカにする100均グッズ10選』は、猫に小判かしら、と微苦笑したりしている。

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誰しもが体験させられる「相続」、失敗した10人の証言、真摯に私は学び、多々教示されて・・。

2016-12-11 14:55:42 | ささやかな古稀からの思い
昨夜、私は愛読しているネットの『プレジデントオンライン』を見ている中、
【 「相続」で失敗した10人の証言 】と見出しを見たりした。

もとより「相続」は、誰しもが体験させられる悩ましい難題であり、
私は『失敗した10人の証言』を学び、今後に役立てることもあるかしら、と思いながら、こっそりと読み始めた・・。

この記事の原文は、総合情報誌として名高い女性向けの『プレジデント ウーマン』の2016年1月号に掲載された記事のひとつであり、
司法書士、ファイナンシャルプランナー、そしてチェスター司法書士事務所代表である三浦美樹さんの寄稿文であり、
関連の『WOMAN』に2016年7月28日に配信された記事で、無断ながら転載させて頂く。

《・・家を継ぐ人が、財産も継ぐ家督相続は、今は昔。
時代は変わり、権利者意識を持つ人が増えるにつれて、家庭裁判所への申立件数も増えています。
相続は、お金よりも、感情でもめるケースがほとんど。

10人の証言から、争いを避けるヒントを見つけましょう。
             

CASE1:相続財産は土地と建物だけ。どうやって分ければいい?

父は数年前に他界。
先日、母も亡くなり、長女の私と妹とで、遺産分割することになりましたが、相続財産は土地と建物だけ。
預貯金はほとんどありませんでした。

妹は結婚していますが、私は未婚で母と同居してきました。
妹の夫からは、家を売却して、お金を分けろと言われ、ほとほと困っています。

●トラブル予防策
このように分ける財産がない場合は、事前に話し合い、
誰が家を引き継ぐのか決めたうえで、遺言書を残してもらうこと。

それでも、きょうだい間の争いを避けるために、
長女が家をもらうなら、次女にはいくらか渡せるように、生命保険を用意するなどの準備が必要です。

▼生命保険3つのメリット
1.亡くなったときに、現金が受け取れる
2.遺産分割の対象とならない
3.非課税枠があるので、節税対策になる
             

CASE2:夫に前妻の子が・・。連絡をとらなきゃいけないけど、とりづらい

亡くなった夫は再婚で、前妻との間に子どもが1人います。
その子も相続人になるので、連絡をとらなくては、いけないのですが、なかなか連絡しづらくて。

今住む家を売れなど、むちゃな請求をされたらどうしよう、と不安は募るばかりです。
事前に、どんな手を打っておけば、よかったのでしょうか。

●トラブル予防策
今の妻と子どもの住む家を確保するためにも、再婚した時点で、遺言を作っておくとよかったケースですね。
遺言があれば、遺言執行者が、前の奥さんとのやりとりなど煩わしい手続きも、
すべて代理でしてくれるので、心理的なストレスもなく相続がスムーズです。

●遺言書は、いつ書けばいい?
年をとって、ある程度遺産分割の方向性が決まってから、書くのが一般的ですが、
こうしたケースでは、再婚して子どもができた時点で、書いておきましょう。
遺言の付言事項に、子どもたちへの想いを残すのも一つの方法ですね。
             

CASE3:母が認知症。亡くなった父の遺産をどう分ける?

父が他界。相続人は、母と長男の兄、長女の私、次女の妹の子ども3人になりますが、
母は認知症で、入院しています。

認知症になると、相続人になれないと聞いたことがありますが、本当でしょうか。

現在、子どもは全員家を出て、別に住んでいます。
母は病院にいるため、実家は空き家状態。

遺産分割するとしたら、この家を売却したお金と、父の預貯金1000万円になります。
母が認知症になる前に、父に遺言を書いてもらったほうが、よかったのでしょうか?

●トラブル予防策
認知症になると、遺産分割協議ができないこともあるので、成年後見人を立てなければなりません。
しかし、そうすると家庭裁判所が、遺産分割に関与するため基本的には、
法定相続通りに分割するしかなくなってしまいます。

成年後見人をつけなくてもいい状態なら、故人の希望通りの相続ができたかもしれないのに、
認知症なばっかりに、本意でない相続をすることになってしまった。
これも遺言があれば、回避できたケースです。

●成年後見人は、どうやって立てる?
成年後見人は、本人の保護や支援の必要性に応じて、家庭裁判所が選任します。
実際は、本人の親族か弁護士、司法書士がなるケースが多いよう。
利用する場合は、本人の住所地の家庭裁判所に申し立てます。
             

CASE4:子どもがいません。夫の死後、夫の兄弟から請求が!

夫婦2人で、夫名義のマンションに住んでいました。子どもはいません。
夫が亡くなった後も、そのマンションに私一人で住み続けるつもりでしたが、
夫の兄弟である義弟と義妹から、相続分を請求されました!

2人で築き上げた財産なのに、なぜほとんど交流のない夫の兄弟に、あげなきゃいけないのか、
どうしても納得がいきません。
マンション売却分に見合うお金を払えないので、マンションを売却するしかない・・!?

●トラブル予防策
ご主人も、奥さんにすべて残したいという意思があったなら、そのように遺言に書いておくべきでした。
遺言がなければ、実際、兄弟に遺産分割しなければなりません。

兄弟に亡くなった人がいれば、甥や姪にまで、遺産分割しなければならないので、やっぱり遺言は必要ですね。
兄弟の場合、遺留分(法定相続人が最低限相続できる割合)はないので、
遺言さえ書いておけば、全額奥さんが受け取れます。

●一度書いた遺言書は撤回できない?
一度、公正証書遺言を書くと一生有効ですが、前回書いたものを撤回すると書けば、撤回できますし、
新規で追加分を書くこともできます。

ただし1回書いたものは、撤回しない限り有効なので、早めに書く場合は気をつけて。
             

CASE5:遺言の内容にびっくり! もらえるのは長男だけ!?

古い考え方の夫の父。
長男である義兄は、跡継ぎということもあり、夫とは比べものにならないぐらい、
子どもの頃から厳しくしつけられていたそうです。

しかし亡くなったあとに、遺言書を開けてみて驚きました。
「財産のすべては、長男に渡す」とあり、次男である夫には全くなし。

確かに代表として事業を継いでいるのは義兄ですが、
うちの夫も、少なからずサポートしています。
これって、あんまりじゃないですか?

●トラブル予防策
遺言書に「全財産を長男に渡す」と書いてあっても、
他の法定相続人が、最低限確保できる割合=遺留分が、民法で定められていますから、
次男のほうから、遺留分の減殺請求をすれば、長男はその遺留分を必ず支払わなければいけません。

とはいえ、これも遺留分相当の財産は次男に渡すとか、
次男に遺留分を請求されたときに、長男が払えるように生命保険などを用意しておくとか、
父親も遺留分を考慮した遺言を残すべきでしたね。

●遺留分について詳しく教えてください!
遺言に書いてある分け方に不満があり、遺留分を侵害されたら、その相手に対して、遺留分を請求できます。
遺留分があるのは、配偶者や第1順位の子、第2順位の父母などで、第3順位の兄弟姉妹には、ありません。
             

CASE6:同居の親を介護してきたのに、妹が普通に請求してくるなんて・・(涙)

同居してきた母を、介護の末に、みとりました。
住んでいた自宅は、そのままもらうけれど、残された現金は、分けようと妹に持ちかけたら
「家賃も払わずに、住んできたんだから、家はともかく現金はこっちでしょ」って・・。

病院の送り迎えから、日々の世話まですべてしてきたのは私。
妹は何もしてこなかったのに、いざ相続になると、
しっかり法定相続分を請求するなんて、ほんとうにショックです。

●トラブル予防策
これも本当によくあるケース。
ずっと親の面倒をみてきたから、財産は多めにもらいたいところですが、
だからといって、多くもらえるわけではないのが、相続です。

そこは、やはり少しでも自分が多くもらえるように、親に遺言を書いてもらうとか、生前に贈与してもらうとか、
それこそ、ちょっとの金額でいいので、あとから自分が傷つかないために、
あらかじめお願いしておいたほうが、よかったのかという気がします。
             

CASE7:遺言書があるのに「認知症だった」と言いがかりを・・。

母が認知症の末に、亡くなりました。
認知症になる前に書いた遺言書があるのに、その内容に不満があるのか、
妹2人が「認知症のときに書いたから、無効だ」とつつき始めて大もめ。

「お母さんは脅されて書いた」とか「お姉ちゃんにだまされた」とか言いたい放題。
遺言は絶対だと思うのですが、ここまで責められると、さすがに自信がなくなります。
どうすればよかったのでしょうか。

●トラブル予防策
認知症になると、基本的に遺言書は書けないので、書くなら兄弟皆が、認知症じゃないと認めているときに書くのが原則。
ちょっと危ないなという状態なら、あとから争いになったときのために、医師の診断書をとっておくとよいでしょう。
認知症ではないという証明があれば、裁判で争ったときにも有利です。

いずれにしても認知症は、いつなるかわからないので、遺言はなるべく早く、元気なうちに書くことです。
             

CASE8:相続税を減らすために、生前贈与していたのに財産とみなされた!

生前、父は相続税を減らすために、孫である私の子どもの通帳を作り、
そこに贈与税がかからない110万円を毎年振り込んでくれていました。

亡くなった後、その事実がわかったのですが、税務署には、これは贈与ではなく預金と判断されて、
年間110万円×10年間=1100万円分が、相続財産とみなされてしまいました。

10年かけて父がコツコツとしてきた相続税対策が水の泡。
どうすればよかったのでしょう?

●トラブル予防策
相続税を減らすために生前贈与していたのに、結局、相続税がかかってしまうという“相続あるある”です。
このケースのように通帳と印鑑は、おじいちゃんが持っていて、孫は知らなかったという場合は
「名義だけが孫で、預金はおじいちゃんの分でしょう」と税務署からは見られてしまいます。

通帳と印鑑は、孫かその親に渡し、ちゃんと孫が使っていることがわかる形跡を残しておくべきでしたね。
             

CASE9:せっかく書いた遺言書、形式が合っていないと無効に

先日亡くなった父が、事細かに書いた自筆証書遺言を残していました。
遺言書は介護をしてきた長女である私に、より手厚く残してくれるような内容。

しかし家庭裁判所の検認を受けてみると、形式が合っていないということで、無効になってしまいました! 
せっかく書いてくれた遺言を全く生かせないってあり? 

何もしていない長男である兄と次男の弟と法定相続分で、分けるなんて正直、割に合いません!!

●トラブル予防策
残念ながら自筆証書遺言は、もれや抜けがあり、形式を満たしていなければ、全く無効になりますので、
このケースも相続人全員で、遺産分割することになります。

メモ書きやビデオメッセージも、全く効力はありません。
自筆証書遺言はこうした失敗が少なくありませんから、

遺言を残すなら、やっぱり公証人立ち会いで法律的な要件をしっかり満たした、
公正証書遺言で作っておいたほうがよいでしょうね。
             

CASE10:不動産名義がおじいちゃん。相続人が増えて、収拾がつかなくなっているけど・・。

20年前に、祖父が他界してからは、長男であるおじ一家が、家を継いで住んでいましたが、
先日おじが急死。

調べてみると家の名義は祖父のままで、相続人は、おじの子どもをはじめ、
私の父や父の兄弟、従妹など、気がつくといっぱい。

おじさんやおばさんたちも高齢になってきて近い将来、さらに相続人が増えそうな気配。
もはや収拾がつかない状況になっていますが、わが家の分をもらうのは、もう諦めたほうがいい?

●トラブル予防策
祖父が亡くなった時点で、長男が継ぐという話がついていたなら、
そこで名義変更すればよかったのに、しなかったばっかりに、相続人が増殖してしまったというケース。

遺産分割の際は、相続人全員の実印と印鑑証明が必要ですが、
これだけ増えてしまうと反対する人も出てきて、もらえても時間と費用がかかるでしょうね。

名義変更する際は共有ではなく、できることなら一人にしたほうがよいでしょう。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は1944年(昭和19年)の秋に、 私が今住んでいる近くに生家もあり、
農家の三男坊として生を受けた。

私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

やがて小学2年に父が病死、まもなく小学3年に祖父も亡くなった。

どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となった・・。

こうした中、難題の相続が行われ、周囲の農家の暗黙のルールとして、殆どを長兄が相続した、
と後年に、私は母から教えられた。

やがて私の母は、婦人系の癌で1998(平成10)年1月中旬に亡くなり、私は53歳の時であった。
母は自助努力で幾ばくか財産を残され、相続人の私たち兄妹で話し合ったが、少し長引いたりした。

こうした相続に関しては、母が亡くなる前に、親戚の誰それの家は相続で裁判になった、
と相続の難題を教えられてきた。
                          

私は東京の調布市に住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

過ぎし2004年〈平成16年〉の秋、私は民間会社のサラリーマンの定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた・・。

こうした中で、相続に関して前記にある秘めたる思いもあり、
私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、残された家内が生活に困苦しないように、
私たち夫婦は公正証書の遺言書を作成できる処に出向いたのは、年金生活を始めて、まもない時であった。

私は相続に関して、亡くなった後に、家内、私の兄妹の間で、もめることなく的確にしたい為にした行動であり、
今回の『失敗した10人の証言』、そしてトラブル予防策を多々学び、改めて『相続』は難題、と思いを深めたりしている。

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ときおり独りぼっちの『おひとりさま』になる私は、早や13年目となり、独り微苦笑して・・。

2016-12-10 14:23:10 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の72歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
                              
我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、
私が民間会社のサラリーマンの定年退職した2004年〈平成16年〉の秋の直前に、家内の父に病死され、
我が家より2時間は要する千葉県のある市で、家内の母は独り住まいの生活をされて、早や13年目となっている・・。
       
こうした中で、家内の母は自身の身の周りは出来ても、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどは、おぼつかなくなり、
長女の家内は季節の変わるたびに、7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、
ここ11年の恒例となっていた。

こうした中、家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしている。
                          
                                     
家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となってきた。

やがて整形外科、内科、眼科に通院している中、膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、
昨年の5月より少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査が加わりした後、
リハビリで近くの病院に行ったりしている。

そして家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなってきた。

やがて家内の妹が強力な援軍となり、家内と家内の妹が交互に、
家内の母宅に殆ど宿泊して、家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

そして本年の5月より、家内の母は市の福祉課が再審査を得て、
『要支援2』から『要介護1』と認定されたりした。
           
たまたま過ぎし6日より4泊5日で、家内は独り住まいの家内の母宅に行っている関係で、
ときおり私は我が家で、独りぼっちの『おひとりさま』の生活を過ごしている・・。
                                     

このような私は『おひとりさま』の生活となった当初は、漠然としながらも、
私たち夫婦のささやかな年金生活は、いつまでも続くことは叶わなく、
無念ながら、どちらかが、いつの年には片割れとなり『おひとりさま』となると思いめぐらしたりした。

こうした状況を思案させられた時、私は家内より先にあの世に旅立つことを思い、
残された家内が生活に困苦しないように、私は公正証書の遺言書を作成したのは、
定年後の年金生活を始めて、まもない時であった。

しかしながら、この世はまさかの予期せぬ出来事があり、万一、家内に先立たれて、
私が独りぼっちの『おひとりさま』の生活になることも考えられるので、
特別予行演習かしら、と思いながら私は叱咤激励をして過ごしている。
                                                   

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めて、早や年金生活13年生となっている。

私が年金生活を始めて最初に配慮したことは、
家内の従来の専業主婦の日常のペース、ささやかな憩(いこ)いひとときなどの過ごし時を配慮して、
私は独りで外出して、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受し、
本屋、古本屋に寄ったりしている。

こうした根底には、歩きながら観える景観に良いし、
四季折々の季節のうつろいに心も身もゆだねて、何よりも健康にもよい、と固く信じてして歩いてきた。

何よりも歩けなくなった時は、もとより自由な時が制約され、何よりも困苦するのは自身だ、
と秘めながら殆ど毎日のように歩いている。
                         
 
こうした中で家内は少なくとも料理、洗濯、掃除などがあり、
私は現役のサラリーマン時代から、小庭の手入れをするぐらいであったので、
せめて退職後の年金生活に於いては、日常の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。

そして家内から依頼された品を求めて、自動車も所有できない我が家は、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物の責務を終えた後、私は高校生より都心で学び、その後も大半は都心の空気を共有してきた為か、
人出の多い都心は、定年後の年金生活で苦手となり、我が家から歩いて3キロ範囲にある遊歩道、小公園を
ひたすら歩いたりしている。
             

こうした時は紳士バックを園児のように真似て、斜め掛けして、颯爽と歩いたりしていることが多いが、
大半はデジカメをネクタイのように首から掛けて、歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら記憶のかたみとして撮ったりしている。
           
それでも小心者の私は、引け目を感じて、家内の茶坊主に専念し、
家内がコーヒーが飲みたい雰囲気を察して、私は日に5回ぐらいは淹れたりしている。

このように家事に関しては、恥ずかしながら殆どしてこなく、
ときおり庭の手入れは、現役時代から私の専任者となっているぐらいである。
                             
平素の私たち夫婦の年金生活は、ご近所の方の奥様たちから、仲良し恋し、
と何と社交辞令を頂いている私たちでも、いずれは片割れとなり『おひとりさま』となる・・。

そして残された方は落胆し寂寥感を深める中、強い趣味があれば、やがて失墜感は薄らいで、
命果てるまで生きがいのひとつとなると思い、お互いの趣味の時は大切にしている。
             

こうした私が『おひとりさま』になる生活は、何かと単細胞の性格の為、余り変化はない。
            
平素の私は、家事の全般の料理、掃除、洗濯などは、家内にお願いしているので、
恥ずかしながら、いつまでも初心者の若葉マークのような身であり、
戸惑いながら行っているのが、実態となっている。

朝、最優先の実施事項は、台所にある調布市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『ベットボトル』、『古紙・新聞』などの指定日を確認して、
これに対応して、調布市から指定された道路に面した門扉の内側に置いたりした。

ここ一か月に『おひとりさま』の生活になってしまった時は、
台所で一合ばかりのお米を洗い、五穀米を加えて電気炊飯器に10分後にセットし、
この後は読売新聞の朝刊を読みながら、煎茶とインスタント・コーヒーを飲んだりする。

前菜は、新タマネギを野菜調理器の新兵器のサラダセットでスライスし、生ワカメとあえたり、
やがてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

この後は、十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
納豆、コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、焼きノリ、サバの味噌煮の缶詰かシャケの瓶づめとしてきた。

私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の代表とされる『一汁三菜』の真似事をし、
これが飽(あ)きたら日本人はやめるょ、と心の中で独り呟(つぶや)いたりしている。

この間、ご飯の一合は多すぎるので、半分はラップに包んで、冷(さ)ました後、
こっそりと冷蔵庫の片隅に保存し、翌朝に電子レンジで温めて、頂いているので、
二日に一回だけ、お米を洗いのが実態となっている。
                                                               
やがて朝食後、休むと後がつらいで、台所で鼻歌をかぼそい声で唄いながら、
瞬間湯沸かし器の温水と水道水を調節しながら、皿洗いなどをして、水遊びをした。
          
やがて昼食は、小さな塩フランスパンを三つばかり食べながら、インスタント・コーヒーを飲んだりした。

そして夕食は、前菜として冷凍ブロッコリーを電子レンジで温めた後、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、盛大に食べたりした。

こうした中、二日に一回、スーパーで買い物をし、野菜コーナー、肉類コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、
適度に選定し、煎茶を飲みながら食べたりしてきた。

しかしながら独りだと話し相手がいなく寂しいので、ウィスキーをオンザロックして数杯を呑みながら、
テレビのニュース、或いは映画棚から観たい作品のDVDを取り出して視聴したりした。
                            
日中のひととき、乾燥の機能がある洗濯機で、洗いから乾燥までしてくれるオール自動セットに頼り、
パジャマ、肌着、タオルなど2日に1回として、
あとはお願いねぇ、と洗濯機に向って、こっそりと呟(つぶや)いたりした。
                                      

そして2日1回ぐらいの部屋の掃除日として、埃は多少あっても生活には困らないよなぁ、
と心の中で呟(つぶや)きながら、掃除機を曳(ひ)いて、各部屋を廻り、孤軍奮闘したりした。
                      
夜の9時過ぎなれば、我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
いつものように、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

平素はこのような時は家内に、戸締り終了しました、と報告しているが、
『おひとりさま』だと、報告する相棒がいなくて、何かしら戸惑って、独り苦笑したりしている。

平素は朝食と夕食は殆ど定時で、私は家内と談笑しながら頂いているが、
私が『おひとりさま』の生活をしていると、自由気ままな食事時間となったりし、
更に読書、そして映画を鑑賞、或いは音楽を聴いたりしていると、深夜までなることが多い。
            
しかしながら朝は7時までは、起床することを厳守している。
こうした中、寝ぼけ眼(まなこ)で、人生は気合だ、と自身を叱咤激励して、
心の中で呟(つぶや)いたりしている。

たとえ独りぼっちの『おひとりさま』でも、これ以上フシダラな生活は、
心身良くないと思い、布団から這い出ていることも、多くなったりしている。
                      

私は平素は亡き母の遺伝を受けて、男の癖におしゃべりで、何かと家内とは談笑を重ねているが、
『おひとりさま』の生活をしていると、話し相手がいなく寂しいのが、本音である。

そして平素も買物とか散策で出逢ったり、或いは自治会の回覧板を廻す時、
ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑しているが、
『おひとりさま』を過ごすと、少し長話になったりし、後で独り微苦笑したりしている。

或いは散策をいつもようにしている中、遊歩道、公園などで見知らぬ方たちと、
話しかけられたり、ときには話しかけたりし、談笑したりしているが、
平素より何故かしら長話になったりしている。

このように、ときおり独りぼっちの『おひとりさま』になる私は、
早や13年目かょ、独り微苦笑したりしている・・。

もとより家内は、家内の母宅で孤軍奮闘し労苦が多く、
私はノンビリと独りぼっちの『おひとりさま』を過ごしている。
             

私は年金生活を始めた当初は、家内の母の影響で、特に昨年より私が『おひとりさま』の生活が増えてきたことに、
予測がつかなかったことは本心である。

しかしながら人生は、予測できないまさかの出来事が多々あると私は知人から学んだりしてきたので、
これもひとつ人生だよねぇ、と微苦笑したりしている・・。

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高まる「老後破産」の不安に・・知っておきたい制度と対策、遅ればせながら年金生活の私は学び、やがて・・。

2016-12-09 15:12:13 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中、
【 高まる「老後破産」の不安に・・知っておきたい制度と対策 】と題された私は見たりした。

私は年金生活を丸12年を過ごしてきた中で、何かと無知なことが多く、
もとより「老後破産」の悲惨であるので、遅ればせながら学ぼうと思い、精読してしまった・・。

この記事は、恥ずかしながら女性専用の週刊誌『女性自身』に於いて、
2015年9月18日に掲載された記事のひとつであり、無断であるが転載させて頂く。

《・・最近「老後破産」や「下流老人」という言葉をよく聞く。
下流老人とは、生活保護レベルで暮らす高齢者か、そのおそれのある人。

首都圏に住む1人暮らしの高齢者なら月約13万円、夫婦なら月約18万円だ(2015年度額)。

それに対して年金は、厚生年金なら標準的な夫婦で月約22万円だが、
国民年金は満額でも月約6万5,000円、夫婦で約13万円(2015年度額)。
そのうえ年金引き下げのニュースもある。

しかし、経済ジャーナリストの荻原博子さんは言う。
「日本には、国民全員が何らかの健康保険に加入する『国民皆保険制度』をはじめ、各種制度が整っています。
必要なときに、制度を適切に使えば、よほどのことがない限り、老後に破産することはないでしょう。
ただし制度は申請制ですから、知らないと使えません」

そこで、老後破産に陥りそうな不安を挙げて、どんな制度や対策があるのか、教えてもらった。
             
 
○病気になって医療費がかさむと、老後破産する?

「がんなど大きな病気になると、医療費が月に100万円もかかることがあります。
3割負担でも30万円が必要。

しかし、『高額医療費制度』を使えば、年収370〜770万円の方の月の負担額上限は約9万円。
上限額を超えた約21万円は返金されます。
負担上限額は年収によって変わり、70歳以上の方はもっと負担が減ります」
 

○親の介護で、自分の老後が危ない?

「寝たきり介護には、費用がかさむ心配がありますが、介護保険があります。
要介護度に応じた限度額まで、1〜2割負担で介護サービスが受けられます。

夫婦ともに介護サービスを受けた場合、たとえば夫が要介護5で、限度額36万円の介護サービスを受け、
1割負担なら3万6,000円。

妻は要介護1で、月1万5,000円かかったとすると、世帯としての支払いは5万1,000円になります。
このように、世帯の支払いが高額になった場合は『高額介護サービス費制度』が使えます。

一般的な課税世帯では月3万7,000円が上限です。
先の例では1万3,800円が返金されます」
             
 
○「65歳過ぎても働いて老後の生活を支える」は幻想?

2013年度から、希望する従業員は全員、65歳までの雇用延長が認められ、働く高齢者は増えています。
多くの場合、いったん定年退職金を受け取り、嘱託などとして再雇用されます。

収入や十分な預貯金があれば、65歳からの年金受給を遅らせる繰り下げ受給を選べます。
70歳まで5年遅らせると、1カ月に0.7%加算されるので、
年金は42%上乗せ、つまり1.42倍になります。

ただし、早く亡くなれば損になることも。
分岐点は82歳。81歳で亡くなると、65歳から定額をもらったほうが、得になります。
老後資金と健康に自信のある方には、おすすめです」
 

○賃貸住宅住まいでは、家賃で老後破産する?

「今、全国に空き家が820万戸、空き家率は13.5%と大きな問題になっています(2013年・総務省)。
政府は、空き家にかかる固定資産税の引き上げを検討していて、
実現すれば空き家はリフォームされ、中古や賃貸住宅の市場に出回るでしょう。

数が増えれば、値段は下がる原理から、家賃も今後はそれほど上がらず、選択肢が増えると思います」
             
 
○生活費がかさむ都心では、老後破産が近い?

「家計の見直しも大切ですが、生活コストの安い地方へのUターンやIターンも検討してみましょう。
地方では、移住者を積極的に受け入れる自治体も多く、
家賃などの補助や、仕事のあっせんも行っています。
老後のために、医療や介護に余裕がある地域に移住するのも、一手だと思います」
 

最後に荻原さんは言う。
「老後は人生のゴールデンタイムです。
65歳までに必要な準備をしたら、余計な心配をせず、健康で明るい老後を楽しみましょう」・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は中小業のある民間会社に35年近く奮戦してきたが、
そして最後の5年はリストラ烈風の中、あえなく出向となり、何とか年収1千万円台で卒業できたが、
大企業で栄進された方、或いは官公庁の上層部のように高額所得地位にも成れず、
つたない私は、程ほどの年収、退職金であり、金融資産も程ほどとなっている。

こうした中で、多くの方たちから人生の3大支出と称される教育資金、住宅資金、老後資金の中で、
無念ながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、子供の教育資金は不要となり、
結果として程ほどの預貯金は出来たりしていた。

こうした中で、経済にも疎(うと)い私が、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そしてデフレ経済の蔓延している中、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
預貯金が3000万円あれば、少しづつ取り崩して生活すれば、少しはゆとりのある年金生活ができるかしら、
と学んだりした。

やがて2004年(平成16年)の秋に出向先で定年退職時となり、
働くことを卒業して、清く貧しく美しくを念頭に年金生活を始めた・・。
             

我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ12年ばかり過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している。

もとより社会の少子高齢化の中で、公的年金は目減りは減少してきたので、
私たち夫婦はお互い趣味の費用を捻出する為に、収支の実態をお互いに確認し、
ささやかに生活を過ごしたく、家計簿の月次決算をしている。

私たち夫婦は年金生活をして13年目となるが、我が家の銀行、郵便局、信託銀行などの貯蓄は、
安全利回りが原則で、周知の通り金利はわずかである。

そして年金生活を始めて数年は、200万円前後の赤字となったりしたが、
その後は毎年は120万円前後の赤字の実態なので、予定通り貯蓄の残額は減るばかりとなっている。
                                       

保険関係に関しては、年金生活を始めてまもなくすべて見直して、
現役サラリーマン時代より、生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとした。

やがて2011年(平成23年)10月初旬、遅ればせながら『高額医療費制度』を学んだりした。
そして程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。


私は年金生活を始めた当初から、私は午前中の殆どは、平素の我が家の買物として、
家内から依頼された品を独りでスーパー、専門店で求め、買物メール老ボーイとなっている。

この後、独りで自宅から3キロ以内の遊歩道、小公園などを歩いたりして、
季節のうつろいを享受している。

こうした根底のひとつとして、何よりもいつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩くことが多くなっている・・。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
歩くことが何より健康体の源(みなもと)と思い、そして適度な熟睡する睡眠、或いは程ほどの食事が、
セカンドライフ健康体と信愛し、年金生活を過ごしている。
             

このような生活を過ごしてきた私は、神様か仏様か解らないが、80歳の誕生日を迎えられる、
ひよっとすると80代なかばまで、体力は衰えながらも、生きていられるかしら、ときおり思い馳せることもある。
            
しかしながら男性の多くは、70代となれば体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には、介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

こうした中、要介護認定されている場合は、
特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)などの介護施設のほか、
有料老人ホーム、 介護型のサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)やケアハウス、グループホームなどを学んだりしてきた。

しかしながら、特別養護老人ホーム(特養)の入居は競争が激しく、
やむえず有料老人ホームを思案したりした。

そして東京や大阪などの大都市の有料老人ホームは、入居一時金が3千万円ほど必要。
更に月々の管理費もかかります。
入居時に4千万~5千万円ぐらいの資産がなければ・・と読んだ時、裕福でない私は溜息を重ねたりした・・。

或いは地方なら有料老人ホームなどの高齢者住宅でも、1千万円ぐらいの物件がある、と学んだりしてきた。

そして殆どの人は、長生きすればするほど、お金が程ほどにあっても、やがて貯蓄が尽きることもあると学び、
やはり私の晩年期の最大の難題と思いを深めたりしている。

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「通話」よりも「目で読む会話」が主流の時代、時代遅れの私は学び、溜息を重ねた後、やがて微苦笑して・・。

2016-12-08 15:59:18 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ときおり愛読している日本経済新聞系のサイト【nikkei BPnet】を見ていたら、
【 いつ電話するかあらかじめメールで連絡・・面倒くさい時代だな 】と見出しを見てしまった。

私は齢ばかり重ねた身でも、何かと好奇心が強く、どういうことなのょ、と記事を読んでしまった・・。

この記事は梶原しげるさんが綴られた寄稿文であり、2016年12月8日に配信され、
無断であるが大半を転載させて頂く。

《・・いつ電話するかあらかじめメールで連絡・・面倒くさい時代だな
             

☆「通話」よりも「目で読む会話」が主流の時代

(略)メールやLINEなど、「目で読む会話」が主流になっているとのブログの指摘を否定することは難しい。

先日、ある出版社の編集者と電話で企画を話し合った。
「面白そうですねえ」
と言ってくれた彼。

「じゃあ、この続き、今度会ってもっと深めたいねえ」
そう返した私に、彼が言った言葉が忘れられない。

「今日、梶原さんがしゃべったこと、メールで送っておいてくれませんか?」

上手な「お断りの言葉だなあ」と思ったら、
そうでもなくて「文字化した企画」を上司に「そのまま転送メールで報告」したかったそうだ。

便利といえば便利かもしれないが、できれば自分の感性で受け止め、
吟味した中身を自分の言葉で、上司に伝えてほしい気もした。
良い企画書は「会話で、もまれなければ、生まれない」というのは、古いのかもしれない。(略)

本コラムでは、現在、音声メディア「電話」が廃れ、
メールなど「文字会話」が、圧倒的優位となりつつある現状を考察中であった。(略)
             

☆険しい表情でも、甘い言葉を「書く」ことはできる

列車内でのケータイ電話による通話が問題になったのは、遙か昔のことだ。
今では、そもそも混み合う電車の中で「大きな声で会話する人の姿」など、めっきり減った。

夜遅く集団で乗り込んでくる、少々お酒に酔ったにぎやかそうな連中でさえ、
電車に乗りこむなり、「車内マナーを守る物静かな若者たち」に変貌する。
彼らが道徳心あふれる好青年だから、ではない。

電車内は「命より大事なメールとLINEの確認場所」だからだ、
と私は思う(違うかも……)。

これは何も連中だけの話ではない。

会社帰りのサラリーマンも、デートを終え彼女を自宅まで送る彼氏も、送られる彼女も、
女子会を終えたおばさんグループも・・。

ひとたび車中の人となれば、人類にとってその場所は、あたかも「私語厳禁の世界」であるかのように、
会話も、もちろん笑い声も聞こえてこない(略)。

嘘だと思ったら、夜11時を過ぎたあたりの地下鉄に乗ってみるといい。
全員がそれが義務、仕事のようにスマホを開き、メールやLINEのチェックと送受信を黙々とこなし始める。
どうやら我々のコミュニケーションは「音声会話」から「文字送受信」へと大きく舵を切った現れが
ここにあるともいえる(いえないかもしれないが・・)。

かつて著名な作家から、思うように作品が書けないとき、
夜の混み合う電車に乗って、人々が語り合う話を盗み聞き、そこから様々な物語を紡ぎ出したと伺ったことがある。

私もそれをまねて、じゃれ合うカップルの痴話げんかめいた会話を興味深く聞くウチ、
電車を乗り過ごし、中央線の終点・高尾駅から帰れなくなった昔を思い出した。
             

いま恋人たちは、ひとつのスマホに互いの言葉を書き入れ合ったりしている。

ある夜、列車のドアに寄りかかり、スマホの画面をにらみつけるように
険しい表情をしたまま指を動かす女性の、その画面をそっと覗いたことがある。

「何か深刻な事態を綴っているようだが、大丈夫だろうか?」
チラッと見えたものは(覗き込んだのだが・・)、
意外にも「“ハートマーク”満載の楽しそうで、ポジティブな文面だった。

文字情報では、メールの文面と送り手の感情や表情は、
連動しないとの意外な事実を発見した瞬間だ(大げさか・・)!

どんな嫌な顔をしていても、甘くやさしい言葉は、いくらでも書ける。
             

一方で、電話の生声には、そのまま正直な表情が付いてくる。
「馬鹿野郎、この野郎」と声で怒りながら「にっこにっこの満面の笑顔」を見せられるのは、
竹中直人さんが天才だからできる技だ。(略)

声から自然に伝わる人間味を、文字で表すとなると、これはなかなか難しい。
どうしても「無味乾燥で陳腐、ワンパターンな表現の羅列」に終わりがちだ。
音声で伝えられる情報量に比べれば、文字情報はまだまだ見劣りがする(絵文字とスタンプ、もっと頑張れ!)。

「文字会話より、断然音声会話」という「守旧派」の私は、
そんなわけで、ヒマさえあればいろんな人に、電話をかけてしまう。
声による「より濃密なコミュニケーション」を求めてしまう。(略)


先日事務所の社長がぽつりと言った。

社長:「僕は最近、若い連中に、いきなり電話しなくなりましたよ。
『社長からの突然の電話って緊張するから、あらかじめ言っておいてほしい』ですって。
だから電話する前に『これから電話するけど、いつ頃が良い?』ってメールするんですよ」

梶原:「面倒くさい時代だなあ」

などとと思いつつ「でも、そういう配慮も必要な時代なのかなあ」とあきらめかけてもいる。(略)・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は民間会社の中小業に35年近く勤め、2004年〈平成16年〉の秋に定年退職後、
その直後から多々の理由で年金生活をし、早や年金生活13年生となっている。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

我が家はインターネットに関して、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
私は据え置き型のパソコンを利用している。

こうした中、私は恥ずかしながらガラケーと称される携帯電話、
そしスマホと省略されているスマートフォンも使えなく、
家内だけは、遅ればせながら昨年の春以来、携帯電話を買い求めて利用している。

私はフェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
             

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
            
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
             

過ぎし2011年12月に於いて、平素の買物専任の老ボーイの私は、
駅前のスーパーに行った時、駅近くの人出の多い商店街を歩いていると、
若き20代の女性が前かがみで、何かを見ながら歩いていた。

その後、駅前の広場を足早に歩いていた若き30代の男性も、
やはり前かがみで、何かを見ながら歩いていた・・。

私は驚きながら周辺を見渡すと、10人ぐらいの方が前かがみで、何かを見ながら歩いていたので、
まるで江戸時代末期に農民の児として育った二宮金次郎(尊徳)のような方が増えた、と私は苦笑したりした・・。

もとより二宮金次郎は、貧困の少年時代を過ごし奮闘しながら朝から晩まで働き、
この間に薪(まき)を背負っての道中に本を読んで勉学に励んだ人で、
私が学んだ小学校の校庭の片隅に銅像があった。

私は注視しながら見ていると、何かしら携帯電話のような物に覗き込むように見ている人が多く、
無念ながら携帯電話も使えず、世の中の時流から取り残されている私でも、
急速に話題となっている高性能携帯電話と称されているスマートフォンだ、と解った。

そして過ぎし日に雑誌などで教示され、従来の携帯電話はもとより、バソコン、デジカメ、
カーナビ、携帯音楽プレーヤー、ゲーム機、電子辞書なども有している機能もある、
と知り私は驚いているひとりである。
                                              

ここ10数年、携帯電話が普及する中で、働いた下さる諸兄諸姉は、
通常の業務には必須の情報機器であり、そして6年前の頃からはスマホが急速に活用されてきている。

或いは第一線を退かれた60代、70代の殆どの方が、携帯電話かスマホを利用され、
ご高齢の80代以上の方たちも、家族間の連絡、緊急連絡で、
お守り代わりに利用されている状況となっている。

まして若き10、20代の世代の人の一部には、新聞も購読せず、パソコンも所有せず、
スマホだけを頼りに生活をされている現実がある。

このような情報があふれるような社会状況となっている今日、程ほどの利用は必要であるが、
たえずスマホを手にされて頼りにされるのは、いかがなものかしら、と私は憂いている。
          
まして私生活の貴重な時間に於いては、スマホの活用は程ほどの節度が必要と確信を深めている。
                                 

私が平素は自宅の近くの遊歩道を散策することが多く、
たまたま日曜日に散策していた時、若き30歳前後の男女が前方から歩いてきた・・。
仲良し恋しのおふたり、と私は好感しながら眺めながら歩いた。

そして20数メートルの前方の距離になると、
この男性の右手には、スマホと思われる情報機器を持ち、ときおり見ながら、
連れ合いの女性にうなずくような歩いてこられた。

私はすれ違った後、この若き男女の後ろ姿を見ながら、
たぶん休日の日と思いながらも、スマホなどは自宅に置き、
せめてこうした時ぐらいは情愛を深め、語り合うことをされたら、と思ったりしたのである。
             

このような心情を重ねてきた私は、今回の記事を読み、特に驚き溜息を重ねたのは、
・・いま恋人たちは、会話もせずに、お互いにスマホの画面に、
真剣な表情で指を動かして入力している・・このような情景を重ねると、寂しくないですか・・
と私は深く思ったりしている。

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認知症にならないための6つの生活習慣、老ボーイの私は真摯に学び、やがて微苦笑させられて・・。

2016-12-07 15:19:55 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住む年金生活の72歳の身であるが、
先程、ネットでニュース記事を彷徨(さまよ)っている中、
【 カギは「自分の脳を使う」・・認知症にならないための生活習慣6 】
と題された私は見たりした。

私は年金生活を丸12年を過ごしてきた中で、いつの日にか認知症などの大病になれば、
自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、何かと認知症に関して少しでも学び、回避したいと思い、
読んでしまう習慣がある。

今回も私に取って、見過ごしができないと思いながら、精読してしまった・・。

この記事は、恥ずかしながら女性専用の週刊誌『女性自身』に於いて、
2015年02月16日に掲載された記事のひとつであり、無断であるが転載させて頂く。

《・・カギは「自分の脳を使う」・・認知症にならないための生活習慣6
             

安倍首相は、「国の認知症施策を加速するため、新たな戦略の策定を厚生労働大臣に指示する」
と、認知症予防を重要課題のひとつにあげている。

厚生労働省発表の認知症患者(2013年)の推計数は462万人。
全国で約6千人の高齢者を対象に調査したもので、65歳以上の15%にあたる。
同時に認知症予備軍であるMCI(軽度認知障害)患者数も推計約400万人。
合計すると862万人になる。

認知症はお年寄りの病気と思い込んでいる人は多いが、それは発症年齢。
その兆候は40代から表れるという。
そこで認知症にならないための生活習慣を紹介!
             

【週に1度は、思い切り泣いたり笑ったり!】

映画、ビデオ、読書で週に1度は、感動して泣いたり、思い切り笑って脳を刺激しよう。
認知症が進行すると表情が乏しくなってくるのは、感情をつかさどる脳の扁桃体という部分が、萎縮してくるため。

扁桃体は、記憶をつかさどる海馬の隣にあり、喜怒哀楽の感情を海馬に伝える。
笑ったり、感動の涙は、扁桃体を刺激することになり、脳にいい影響を与える。
 

【わからないことは、辞書で調べる】

わからない漢字などは、辞書で調べる習慣を。
パソコンやスマホばかりに頼ると脳の「前頭前野」が萎縮する。
認知症患者の脳は前頭前野の機能が低下し、記憶や判断力が衰えたり暴力的になったりするといわれている。
 

【買い物リストは、暗記しよう】

スーパーなどの買い物は、あえてメモを持たず、その日買うものを暗記する。
たとえば10種類を買うなら、10の数字を意識。

買い物しながら、思い出していく。
両手の指それぞれに親指=にんじん、人さし指=大根など関連づけて覚える方法も。
              

【毎日手帳に、1行日記をつける】

面倒な日記も、1行だけなら手軽。
後で記憶をたどることで、脳に刺激を与える。
単なるメモではなく日記なので、「◯◯に行って楽しかった」などと感想も加えること。
 

【安眠できるよう、寝室に工夫を】

睡眠は、脳の休息時間。
不眠状態が続くと脳に負担がかかり、機能が低下しやすい。

深い睡眠のときに分泌される成長ホルモンは、脳細胞の成長や修復にも関わるので、
脳の新陳代謝が活発になる。
質のいい睡眠を得るために、寝具や寝室に工夫を。
 

【うつ病の人は、認知症になりやすい】

うつ病の症状は、動作が遅くなる、物忘れなど、認知症の症状とよく似ているため、間違えられることもある。
逆に、「うつ病では?」と診断を受けたら、実はMCI(軽度認知障害)だったというケースも。
40歳でうつ病を発症した人が、20年後に認知症になる確率は、うつ病でない人の約2倍といわれている。

 
なんでもスマホやパソコンに頼らずに、自分の脳をフルに使うことが、認知症予防への道。
めんどうなことにはあえて取り組んでみよう!・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は真摯に読みながら、やがて微苦笑させられた・・。

【週に1度は、思い切り泣いたり笑ったり!】に関しては、私は日々体験している。

私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
            
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

こうした中で私は読書が好きで、ノンフィクション、近現代史などを愛読したり、
映画も居間で、映画棚から古き良き20世紀に公開されたビデオテープ、DVDを取り出して、
感動したりして、ときには涙を浮かべたりしている。
或いは音楽も、音楽棚からCD、DVDを取り出して、創られたアーティストに敬意し、感銘したりしている。
             

【わからないことは、辞書で調べる】に関しては、
私は齢を重ねるたびに、パソコンで検索していることが多いが実態となっている。

私は久松潜一・監修の『新潮国語辞典 ~現代語・古語~』(新潮社)に於いて、
二十歳以来から何かと教示を受け、私の秘かな言霊(ことだま)の恩師となっているが、
定年後してまもなく、ネットに国語辞典が検索できるようになっているので、
安易に頼ってしまうことが圧倒的に多くなっている。

せめてながら、日本の歳時などを書物から謙虚に学んでいる。
例えば、藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)、
飯倉春武・著の『日本人のしきたり』(青春出版社)、
朝日新聞社・編の『色の彩時記~目で遊ぶ日本の色』(朝日新聞社)、
講談社・編の『茶花歳時記』(講談社)、
野呂希一、荒井和生・共著の『言葉の風景』(青菁社)、

長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)、
松田 修・著の『古今・新古今集の花』(国際情報社)、
道行めく・著の『美しい日本語帳』(永岡書店)、

このような本を、私の机の横にある小さな本箱にあり、
定年後に幾たびか読み返したり、精読し、信愛を深めている本となっている。
                        

【買い物リストは、暗記しよう】に関しては、私は涙と笑いを秘めている。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

私は定年退職後、多々の理由で年金生活を始めて、
平素の買物は私が専任となり、家内から依頼された品を求めて、
独りでスーパー、専門店に行く買物メール老ボーイとなっている。

我が家では、家内が新聞に添付されているスーパーのチラシを見たりし、
そして赤のサインペンで丸印を付けたりする。

この赤丸が我が家の本日の必須の購入品とし、
あとは私が店頭の商品で魅了された品を買い求めてくるのが、我が家の鉄則となっている。

こうした中で、私はスーパーなどに行って、年に一度ぐらい肝要なチラシを自宅に於いてしまい、
肝心の指示棒チラシがない、と私は少しあわててしまう・・。

そしてチラシを思い浮かべながら、確かこの品だったよなぁ・・と10品ぐらい買い求めたりしてきた。

私は失敗したら家内から、認知症の初級生と判断されるかもしれない、思いながら、
真剣に記憶テストに挑戦したりしてきた。
             

年金生活を始めてまもない2004年(平成16年)の晩秋、
買物メール老ボーイとなった私は、家内から依頼された特売の洗剤を買い求めに、最寄のスーパーに行った。

そして年金生活で貢献できるのは、せめて廉(やす)い価格の品を多めに、と思いながら、
5個ばかり買い求めて、意気揚々として帰宅した。

やがて帰宅後、家内に頼まれた洗剤を手渡すと、
『あら、違うわ・・ライオンのトップでも《部屋干し》をお願いしたはずょ・・』
と家内は言った。

『違った・・!?』
と私は言った。

『違っています・・うちはずっと《部屋干しトップ》なの・・貴方・・よく仕事ができたわねぇ・・』
と家内は追い討ちをかけてきた。

『じゃ・・取り替えてくるよ・・』
と私は言った。

やがて洗剤はひとつでも1・1Kgあり、5個買い求めていたので、少し重い洗剤を提(さ)げて、
再びスーパーに向かった。

そして仕事は給料を頂いて緊張感の中、責務を果たしてきたので、
気軽な買物と違うょ、と心の中で呟(つぶや)きながら歩いたりした・・。
             

或いはトマトを買い求めた当初は、苦い失敗談があったりした。
確か翌年の2005年(平成17年)の6月初旬の頃だった・・。

たまたまスーパーの店内に於いて、野菜売り場の近くにトマトの販売コーナーがあり、
家内はトマトが好きであり、少し高い値段であったが何より新鮮であったので、
3つばかり買い求めたりした。

帰宅後、家内に手渡すと、
『わぁ・・立派なトマト・・美味しいそうだわ・・』
と家内は微笑みながら言ったりした。

やがて家内は、値段を訊(き)かれて、私は応(こ)えた。

『でもねぇ・・高過ぎるわょ・・我が家は年金生活ですから・・程ほどにして下さい・・
貴方は幼年期の頃、農家の児だったでしょう・・トマトの見極めぐらいは解っているでしょう・・
私は長い間、程ほど品をお廉(やす)く買い求めてきたわ・・』
と私は家内から叱咤されたりした。

『XXちゃんさぁ・・専業主婦25年選手でしょう・・
ボクは買物一年生だょ・・気を付けますょ』
と私は家内に抗弁したりした。

これ以来、私は野菜、果実(くだもの)は、新鮮さを見極めながら、
程ほど品を廉(やす)く買い求めたりしてきた。
             

【毎日手帳に、1行日記をつける】に関しては、
若き日には、思いだしたように日記をつけたりしていたが、定年後にブログの世界を知り、
原則として日々投稿してきたので、日記は綴っていない。

そして机に入れているカレンダーに、メモ書きをしている程度である。


【安眠できるよう、寝室に工夫を】に関しては、私は家内が支度してくれていることに従順となっている。

我が家の寝室は、二階の和室六畳でエアコンは設置しているが、熱い季節は冷気で涼しくしているが、
寒い季節は、空気が乾燥し、風邪が怖くて、暖房はしていない。

この季節は、敷き布団を二枚敷き、そしてこの上に電気毛布をセットさせて、シーツを敷き、
毛布と掛布団となっている。

私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味のひとつで、幾たびか旅路を重ねてきたが、
数多くの宿泊先より、我が家が一番、とお互いに微苦笑してきた。

もとより家内が安楽に休めるように、幾たびか工夫した成果である。

そして私の平素の睡眠に関しては、現役時代のサラリーマン時代には、ストレスがあったりしたが、
年金生活をすると悩みも激少し、たとえ震度3ぐらいでも目覚めることなく、少なくとも6時半は連続熟睡している。


【うつ病の人は、認知症になりやすい】に関しては、
私は現役サラリーマン時代は何かと悪戦苦闘が多かった為か、
年金生活を丸12年ばかり過ごしてきたが、先苦後楽の人生航路かしら、と私は微笑みながら生活してきたので、
もとよりプラス思考となっている。

そして首都大震災などに遭遇して、一切合財なくし、家内に亡くなり、
私は重病で入院になってしまった時は、判らないが、うつ病には私は無縁と感じている。
             

今回、認知症にならないための6つの生活習慣を謙虚に学び、
私の残こされた晩秋期の鑑(かがみ)として、晩年期まで過ごせれば、と念願したりしている。

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日経エンタテインメント! 2016年ヒット番付、時代遅れの老ボーイの私は学び、苦笑を重ねて・・。

2016-12-06 15:21:27 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の住む年金生活している72歳の身であるが、
昨夜、ときおり愛読している日本経済新聞のネット日経電子版【NIKKEI STYLE】に於いて、
久々に『エンタメ』を開いた・・。

【 横綱は『君の名は。』と『ポケモンGO』、嵐は大関
      ~ 日経エンタテインメント! 2016年ヒット番付 ~ 】と見出しを見たりした・・。

私は10年ぶりぐらい日経エンタテインメントのヒット番付を見て、
殆ど無知だったので、独り苦笑してしまった。


この記事は、毎年、テレビ番組、音楽、映画、本、ゲームソフトなど、オールジャンルのエンタテインメントソフトを対象に、
セールス(視聴率、パッケージ売り上げ、イベント動員など)、新規性(エンタ界にとって、自身にとってどれだけ新しい取り組みをしたか)、
社会影響度(メディアへの露出、ファンやユーザーへの影響はどれくらいあったか)などに基づき、ヒットの度合いを評価され、
今年も2016年ヒット番付が公表された。

この原文は、『日経エンタテインメント! 』2017年1月号に掲載された記事のひとつであり、
【NIKKEI STYLE】の『エンタメ』に山本伸夫さんが再構成され、2016年12月5日に配信された。
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO10156850R01C16A2000000?channel=DF280120166614

私はこの『2016年ヒット番付』を見て、殆ど無知だったので、下記の解説文をこっそりと読んだりした・・。

《・・1年間のエンタテインメント界を振り返り、日経エンタテインメント!が毎年発表している「ヒット番付」。
(略)2016年版のヒット番付は上記の通り(詳細は2017年1月号特集として掲載)。
この顔ぶれを改めて見ると、2016年のエンタテインメント界は、予想もしなかったビッグヒットが相次いだ1年だったと言える。

その象徴が、現在もロングランとなっている映画『君の名は。』だろう。
コアなアニメファンの間では、かねてより評価の高かった新海誠監督の作品。

しかし、前作『言の葉の庭』(2013年)の興行収入は、約1億3000万円に過ぎない。
それが、本作は200億円超えも視野に入るメガヒットとなった。

興収80億円を突破し、邦画実写映画No.1となったのは『シン・ゴジラ』。
1954年から続く誰もが知るシリーズだが、前作の『ゴジラFINAL WARS』(2004年)は、興収13億円弱どまり。
まさかの大復活を果たし、シリーズの最高記録を更新している。

往年のキャラクターによる意外なヒットといえば、深夜1時台に放送されたアニメ『おそ松さん』もそう。
主役の6つ子を豪華声優陣が務めたことなどから、当初は女性アニメファンを中心に人気に。

関連グッズが売れ、様々なタイアップが成功することでブームが拡大。
日頃、アニメに縁のない『an・an』『SPUR』といった女性ファッション誌の表紙を飾り、
ビームスなどのブランドとコラボレーションをするまでになった。
             

☆ヒットの小粒化は過去のもの

これまでの実績や視聴環境を考えれば、アニメや特撮のファンが支持する“ジャンル内ヒット”に、
とどまっていてもおかしくはなかった。

その枠を超えたのは、まずは作品が多くの人の心を動かす普遍的な魅力を持っていたからにほかならない。
『君の名は。』は、大切な人に出会うまでを追った練り上げられたストーリーを、
数多くのヒット作を手がけたスタッフによる緻密で美しい映像で表現。

『シン・ゴジラ』は、ゴジラ=災害が起きたときの政府の対応などにリアリティーを持たせつつ、
困難に正面から立ち向かう姿を描く。

『おそ松さん』は、個性の違う6つ子が織りなすギャグあり兄弟愛ありの物語や、
愛らしいキャラクターデザインが支持された。

そして、その魅力が幅広い層へ波及したのは、SNSを中心とした口コミ効果が大きかった。

『君の名は。』は、監督の一般への知名度が低いことなどを考慮して、
4万人以上の大規模な試写会を開催。
公開前から作品の魅力を積極的にアピールした。
             

一方、『シン・ゴジラ』はゴジラのビジュアルを公開まで徹底的に隠し、
『おそ松さん』も6つ子がイケメンキャラになる「F6」など話題になりそうな情報は、
あえて放送前に出さなかったという。

アプローチは正反対だが、いずれも口コミでの拡散を狙った戦略が奏功したといえるだろう。

これまでは消費者の嗜好が細分化し、パーソナルなメディアであるSNSが普及したことで、
ヒットの規模は小粒化する傾向にあると言われてきた。

しかし、Twitter、Facebook、LINEなど多様なツールがすっかり定着し、
その利用方法も成熟。

むしろ、今は力を持ったコンテンツであれば、SNSによりその規模を大きく広げられる環境が整ってきたことを、
この3作品のビッグヒットは、示しているといえる。

今や、その拡散力が及ぶのは、国内だけの話ではない。
英・ロンドンのウェンブリーアリーナで日本人として初めて単独公演を開催し1万2000人を集めたBABYMETAL、
YouTubeの週間再生回数ランキングで、こちらも日本人初の1位を獲得したピコ太郎など、
2016年は海外でこれまでよりも、さらに高いレベルで評価される才能が出てきた年でもある。

ジャンルや国の壁をネットの力を使って越え、さらに大きなヒットを生み出す。
振り返れば2016年は、そんな“新メガヒット時代”の幕開けの年として位置付けられるのかもしれない。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は確か10年前の年金生活3年生の頃、退職後初めて月刊誌の『日経エンタテイメント』を購入し、
大半は無知で、まるで浦島太郎のような心情であった・・。

私は現役サラリーマン時代は、音楽業界のあるレコード会社に35年近く勤めて、
何かと週刊誌の音楽情報専門誌の『オリコン』、ビジネス全般として『日経ビジネス』、
月刊誌の『日経トレンディ』、そしてテレビ・CM・音楽・映画界などの『日経エンタテイメント』を購入し、精読していた。
そして、もとより音楽の業界紙も読んでいた・・。
             

私は、東京オリンピックが開催された1964年〈昭和39年〉秋、満二十歳となり大学2年の時に中退し、
アルバイト、契約社員をしながら映画、文学青年の真似事をしたが、やがて敗退した。
                  
そして何とか大手の民間会社に中途入社する為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校に一年通い、困苦することも多かったが、卒業した。
         
やがて1970年〈昭和45年〉の春、この当時は大手の音響・映像のメーカーに何とか中途入社でき、
そして音楽事業本部のある部署に配属されたのは、満25歳であった。

まもなく音楽事業本部のあるひとつの大きなレーベルが、外資の要請でレコード専門会社として独立し、
私はこの新設されたレコード会社に転籍させられ、
制作に直接かかわらないコンピュータを活用した情報畑を20年近く配属されたり、経理畑、営業畑などで奮戦した。
                                   
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりした。

こうした中で、1998年(平成10年)に中小業の多い音楽業界全体の売上げピークとなり、
この少し前の年からリストラ烈風となり、やがて私も出向となり、
各レコード会社が委託している音楽商品のCD、DVDなどを扱う物流会社に勤めたりした。

そして遠方地に5年半ばかり通勤し、何とか2004年(平成16年)の秋に出向先で、
定年を迎えることができたので、敗残者のような七転八起のサラリーマン航路を過ごした。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、もとより一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などに
38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、遥かに遠い存在であり、
何かと半生記は自慢史が多い中で、私は砂漠にある一粒の砂に過ぎない、と感じ深めたりしている。

このように悪戦苦闘の多い中で、敗残者のような状況であったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活を始めた・・。
                                            

確か10年前の年金生活3年生の頃、退職後初めて月刊誌の『日経エンタテイメント』を購入し、
特別付録として、『10年間がまるわかり! テレビ・CM・音楽・映画・ゲーム ヒットランキング BOOK』を読み、
溜息を重ねたりした・・。

こうした中で、『エンタ界はこの10年で何が変わったのか?』と記載されていた中で、
《お茶の間で楽しむ時代から、個人で楽しむ時代に》という見出しであって、
私なりにこの当時の10年を思い浮かべながら、精読した。

執筆されたお方は、麻生香太郎・氏と思われるが、無断であるが、引用させて頂く。
《・・10年前の1997年と現代に比べ、
エンタテインメント業界を大きく変えたのは、やはりツールの変化だろう。

音楽を聴くハードは、CD/MDウォークマンからiPodへ。
テレビはブラウン管から液晶テレビへ。
録画はVHSビデオからDVDレコーダーへ。
撮影は銀塩カメラからデジタル・カメラへ。

バソコンは1家に1台から1人1台に近づき、
ケータイも進化して、将来は映像配信までに視野に入っている。
ワンセグ・チューナーも最早珍しくない。

ゲーム機ではDSがヒットし、男の子だけでなく、女の子から大人までが持っている。
つまりは、テレビも音楽も映画もゲームも
『基本的には1人で、いつでもどこでも誰にも邪魔されず楽しみたい』ということだ。・・》

この事は真摯に考えれば考える程、正鵠である。
最も私は、ゲーム、ケータイを知らない人である上、iPodは利用したこともなく、恥ずかしながら使えないでいる。
かくして、余りに大きな変貌した時代だった、と実感している。
             

私は時代遅れの老ボーイとなってしまったが、今でも、ときおり魅了されたアーティストには、
CD、DVD販売店からカタログ商品を購入している。

特にアルバムの場合は、アーティスト自身が創作された曲に対する思い、曲順のこだわりがあるから、
そのアーティストを知るには、最適と確信している。

私は魅了されたアーティストに対しては、アルバム等の発売された曲を時系列に、深い思いを寄せている。

そのアーティストの人生の軌跡を確認する上で、欠かせないからである・・。

最近のお若い人達は、こうした思いはどうしているのだろうか、
と余計なことを思ったりしている。

私は定年退職をしてから丸12年が過ぎ、早や13年と歳月が流れているが、
レコード、カセット、CD、DVDを3000枚前後があったりしたが、
甥や友人に上げたりしているが、日本大震災後、老後のことを配慮して、やむなく整理した結果、
1000枚前後となってしまい、その日に応じて聴いたりしている。

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粗製乱造されたネット上の記事から、自分の身を守る方法、高齢者の私は真摯に学び・・。

2016-12-05 15:07:20 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
先程、ときおり愛読している日本経済新聞のネット【NIKKEI Online】を見たりした中で、
【 WELQ問題に考える 危険なネット情報の見分け方
      ~ 粗製乱造されたネット上の記事から自分の身を守る方法~ 】と見出しを見たりした・・。

私はどういうことですか、と何かと好奇心に強い私は、精読してしまった・・。

この記事は、【NIKKEI Online】の中で、女性専用【WOMAN Online】に於いて、
ITジャーナリストとして名高い高橋暁子さんが、連載寄稿として『高橋暁子が注目! ITニュース講座 』の中、
今回、2016年12月2日に配信された記事であり、無断ながら転載させて頂く。

《・・ WELQ問題に考える 危険なネット情報の見分け方
             

☆粗製乱造されたネット上の記事から自分の身を守る方法

医療情報のキュレーションサイト「WELQ」が、不正確な情報掲載を理由に休止された問題で、
運営元のディー・エヌ・エー(DeNA)は12月1日、
「iemo」など8つのキュレーションメディアについても、全記事を非公開にすると発表しました。

粗製乱造されたネット記事が氾濫する中で、どうすれば信頼性の高い情報を見分け、
自分の身を守ることができるのでしょうか。

WELQ問題の表面化を受けて寄稿いただいた、ITジャーナリスト・高橋暁子さんの記事を再掲載します(初出:2016年11月15日)

「この症状は、どんな病気の可能性がある?」
「こんな症状のときは、どうしたらいい?」
インターネットで病気について、調べたことがある人は多いだろう。

夜間や休日など、医療機関の診療時間外のときに気になったことが
調べられるネット検索はとても便利だ。
しかし、得られた情報は本当に、正しいのだろうか。

最近、インターネット上で「医療」や「健康」関連情報について検索すると、
SEO対策をしたキュレーションメディアが上位に表示されると報道された。

このキュレーションメディアの記事には、アフィリエイトを目的にした医学的に正しくない記事が散見されるため、
安易に信用すると危険だという。

医学情報をインターネットに頼りすぎてはいけないことは、以前から言われることだ。

たとえば、2016年2月5日発行の米国胸部疾患学会誌「American Journal of Respiratory and Critical Care Medicine」に
掲載されたカナダの研究グループの調査によると、ある肺の病気に関する181のウェブサイトを調べたところ、
全体のほぼ半数に当たる約48%に誤った情報が掲載されていたという。

2014年に米国の医師グループが「Journal of the American Osteopathic Association」に公開した研究結果によると、
Wikipediaの医学に関するページのうち10のうち9のケースに、間違いや欠陥が見つかっている。
このような情報を鵜呑みにして、医師にかからなければ、自らの身を危険にさらすことになる可能性が高い。
             

☆ネット上の情報、賢い取捨選択のポイントとは

健康・医療情報に限らず、困ったときにはインターネットで、調べるという人がほとんどだろう。
本などを調べなくても、その場で情報が手に入るインターネット上には、有用な情報も多く、使わないのはもったいない。

では、どのようにすれば、インターネットで正しい情報を得ることができるのだろうか。
ポイントはいくつかある。


☆検索結果上位を安易に信用しない

まず大切なのは、検索結果上位の記事だからと言って、安易に信用しすぎないことだ。
Googleなどの検索エンジンは、あくまで自社の決めたルールに則って、
有用な情報がある“可能性が高い”記事を上位に表示しているだけであり、正確性は保証していない。

参考にはなるが、信用する前に以下のポイントを確認しよう。

1.「信頼できる情報元」か確認しよう

情報の発信者が、信頼できるかどうかを確認しよう。
省庁など公的機関が発信している情報は、かなり信頼性が高い。

新聞社などのメディアや企業などの公式サイトからの情報、
公式アカウントの情報も信頼できる可能性が高い。

Twitterの場合は、Twitterの認証済みマークがついているアカウントなら、
本人確認が取れているアカウントのため、信頼性が高いだろう。

なお、個人アカウントの場合は、その人物のプロフィールを確認の上、
前後のツイートなどを確認すると、信頼できるかどうかがある程度判断できる。

一方、友人など信頼できる相手でも、デマに騙されていることがあるため、
信頼できる発信者からの情報でも、必ずしも正しいとは限らない点には、注意が必要だ。
             

2.「複数の情報元」を確認しよう

正しい情報であれば、複数の情報元で、同様な記述が見つかるはずだ。
複数のサイトを調べて、記述を比較してみよう。
複数の信頼できる発信者が、同様の発信をしていれば、情報は正しい可能性が高い。

2016年4月に起きた熊本地震の際は、
「おいふざけんな、地震のせいで うちの近くの動物園からライオン放たれたんだが 熊本」
というデマツイートを流した20歳男が、その後偽計業務妨害罪で逮捕されている。

このツイートの場合も写真がついていたから、本物と思ってしまった人が多かったようだが、
実は南アフリカ共和国で映画撮影時に撮影された写真だった。

「ライオンが逃げた」なら目撃者が一人のはずはないので、
「熊本 ライオン」などで調べて、このツイート以外のソースがないことがわかったら、
デマだと判断しやすかったはずだ。

なお、正しい情報でも、古くなると結果的に間違った情報になることがあるので、
必ず情報の更新日時も確認しておくと安心だ。

ネット上で流れてくる画像がデマだったというこんなケースもある。
             

3.「画像は本物なのか」確認しよう

反転などの画像加工は簡単だし、他の画像に違う説明をつけている例は多い。
画像検索をすると似た画像が表示されるので、その中に元画像がないか確認してみよう。

10月21日に発生した鳥取県中部を震源とする最大震度6弱の地震の際、
発生直後にTwitterで「NHKニュースが『鳥取でインド6弱』と報じた」
というデマ画像が流れた。

しかし、この画像は加工されたもので、本物ではなかった。
この場合も、URLもついていなかったが、画像があるだけで、騙されている人が多かった。
画像の加工は容易であり、画像だけでは本当とは限らない点には、注意が必要だ。


以上のルールは、正しい情報の取捨選択だけでなく、デマに踊らされないためにも有効なので、
普段から必ず確認するようにしてほしい。

なお、医療・健康上の情報に限っては、
ネット上の情報だけで素人が判断することは難しいので、
ぜひ医者などの専門家にかかって判断を仰ぐことが大切だ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

ここ10数年、ネットの世界は加速され、国、民族、宗教などを越えて、少なくとも20億人は発信し、
もとより企業、研究所、官庁など活用されている。

こうした中で、たとえブログの世界でも、
それぞれのお方が自由に私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済などの多岐な分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来している。

この少し前の時代は、それぞれの専門知識のある有識者が、雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人(シロウト)の身としては、新聞・雑誌などの読者コーナーで、記事を投書できる範囲であり、
もとより掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。


私も定年退職した2004年(平成16年)の直前に、遅ればせながら我が家にインターネットを接続して、
殆ど毎日のように、ネット情報を見たりしてきたが、果たして・・と思われる記事も感じることもあったりした。

今回の記事、私は多々教示されて、ネットの良きこと、悪しきこと、改めて学んだりした。

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ボケを遠ざける生き方、8つの要素が肝要、老ボーイの私は学び、やがて微苦笑を重ねて・・。

2016-12-04 15:15:35 | ささやかな古稀からの思い
いつもように本日の午前中は、平素の買物で家内から依頼された品を求めに、
最寄のスーパーに買物メール老ボーイの身の私は、帰宅後に付近の小公園を歩いたりした。

やがて帰宅後に、家内と共に昼食を頂いた後、まもなくニュースをネットで読んだりしている中、
初めて見る公式サイト【介護セブンポスト】にめぐり逢えた・・。

そして『みんなで考える、家族のこと、自分のこと』と明記された【介護セブンポスト】を見たりした中で、
【 ボケを遠ざける生き方って? 「カラオケ好き」「よく笑う」など8選 】
と題された見出しを見て、どのようなことですか、と思いながら精読してしまった。

この記事の原文は、過ぎし日に『女性セブン』に掲載され、
そして【介護セブンポスト】2016年11月17日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・ボケを遠ざける生き方って? 「カラオケ好き」「よく笑う」など8選

ひと昔前には「まじめな人は認知症になる」、「ボケは遺伝する」といわれていたが、
それは根拠のない都市伝説に近いものだった。

とはいえ、「認知症になりやすい生き方、遠ざける生き方がある」と、
神経内科医で米山医院院長の米山公啓さんは言う。

さて、あなたはどうですか?
             

☆よく笑う

“笑い”には、ストレスを解消し、がんなどの病気回復効果があるとわかっている。
「ストレスが続くと、副腎皮質ホルモンのコルチゾールが分泌され、
高濃度で脳に作用すると脳細胞を破壊するという研究報告があります。

笑うことでストレスは発散され、コルチゾール値は低下。
結果、認知症予防につながる。よく笑う人ほどボケにくいといえます」(米山さん)。


☆おしゃべり

認知症になりやすいのは、人と交わるのが苦手な人。
「特に話題がなくても、楽しくおしゃべりを続けるには、自分ばかり話すのではなく、
相手に気持ちよく話してもらうように、気を配る必要があります。

会話は脳を最大限に働かせてこそ、成り立つもの。
楽しいおしゃべりは、脳の血流を増加させ、認知症予防に大きく働くといえるでしょう」(米山さん)。


☆趣味は読書

すべてが映像化されて具体的に見えるテレビや映画に比べ、
小説は情景や登場人物の表情、姿などを頭に思い描きながら読み進める。

これが脳を刺激して、活性化されるのだ。
「活字を追うことで、脳はビンビンと刺激を受け、 頭はシャープに保たれますよ」(米山さん)。
             

☆カラオケ好き

大きな声で歌うカラオケで、ストレスを発散するという人も多い。
バラードなどを気持ちよく歌うには、お腹から声を出す腹式呼吸による発声法が必要だ。

「腹式呼吸は、血行を促し、脳内の血流も増加させます。
頭も心もすっきり整え、リラックス効果もあります。
仲間と集まり、にぎやかに盛り上がることで、脳の活性化効果も期待できますね」(米山さん)。


☆おおらか

昔から“嫉妬は、わが身を滅ぼす”というように、嫉妬が呼ぶストレスは、
強力なネガティブパワーとなって蓄積される。

「嫉妬深いと物事に固執し、多様性のある思考ができなってしまう。
他の情報が入らないのは、脳の停滞にもつながり、ボケやすくなります」(米山さん)。


☆たばこをやめた

生活習慣の中で、認知症の最大の危険因子といえば喫煙。
たばこの煙には一酸化炭素が含まれ、赤血球のヘモグロビンと結びつくと、脳に酸素が運ばれなくなる。

その結果、脳が酸欠状態になり、脳の委縮が進むと考えられる。
「禁煙した瞬間から、リスクは軽減し始めます。
一刻も早い禁煙を」(米山さん)。
             

☆睡眠はたっぷりと

睡眠不足が続いている人は、よく眠る人に比べて、
(記憶障害などがあるが日常生活には問題ないといった)MCIを持つ可能性が
5倍以上あったという発表がある。

「現時点では、認知症と睡眠不足の因果関係はわかっていませんが、
充分な睡眠が、認知症予防に役立つことは明らかです。

記憶の定着作用は、睡眠中に行われるため、
寝不足によって記憶定着効率が落ち、頭の働きが悪くなってしまいます」(米山さん)。


☆老後は家族や仲間と

ひとり暮らしの高齢者は、家族がいる場合に比べて、1.66倍も認知症発症率が高いという。
特に中年期以降、パートナーを失ってひとり暮らしをしている人は、発症リスクが3倍に。

「ひとり暮らしにかかわらず、孤独を感じる人は、そうでない場合よりのリスクが2.4倍高いという結果も。
早いうちから仲間づくりを心掛け、積極的に人と交わって」(米山さん)。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は幾たびも綴っているが、年金生活を丸12年を過ごしてきた中で、認知症などの大病になれば、
自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、こうした記事には少しでも学ぼうとして、
今回も認知症に関連した記事・・『ボケを遠ざける生き方』を学んだりした。

そして読み終わった後、私は微笑んだり、苦笑したりした。

『よく笑う』、『おしゃべり』に関しては、
私は亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
            
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
                           

『趣味は読書』に関しては、私が都心にある高校に入学した1960年(昭和35年)の春、
遅ればせながら、突然に読書に目覚めて、活字から綴られた底しれぬ内容はもとより、
行間から感じられる深淵に、圧倒的に魅せられた。

これ以来、小説、随筆などを乱読し、定年後は何故かしら小説は激減してきたが、
近現代史、ノンフィクションを中核に愛読している。


『カラオケ好き』に関しては、苦手である。
しかしながら現役サラリーマン時代には、お付き合い程度に人前で唄ったりしてきたが、
定年後は家の中で鼻歌を唄ったり、散策の時、人影のない時に時折かぼそい声で唄ったりしている。


『おおらか』に関しては、私は現役サラリーマン時代は、中小業に35年近く奮戦してきたが、
何かと悪戦苦闘が多かったりした。

そして定年後、多々の理由で年金生活を始めると、定年前に比べると、先苦後楽ような日々が続き、
もとよりプラス思考で過ごしている。
             

『たばこをやめた』に関しては、私にとっては最大の難題となっている。

私は18歳の大学一年生の夏季合宿以来、愛煙家のひとりとなっている。
定年後の年金生活を始めると、自主的に室内禁煙と家内に宣言して、
私は少しボケた脳の活性化と思い、一階のテラスとか玄関の軒下で、携帯灰皿を持ちながらタバコを喫ったりしている。

日々の外出先では所定の喫煙所で喫ったりしているが、旅先で困苦する時がある。
たとえば東京駅から秋田駅まで特急『こまち』を利用すると、乗車時間は4時間となる。

もとより嫌煙風潮になる以前は、喫煙可と指定され運行されていたが、
せめて私は、たとえば独り千円ぐらいの有料座席として、喫煙専用車を引率した列車を夢想したりしている。

そして私は、街中とか住宅街でタバコをポイ捨てする恥知らずの御方は、
タバコを喫う資格はない、と憂いたりしている。

こうした中、タバコ臭さ、そして老人特有の口臭を老ボーイの私は気になり。
コンビニで見かけた『スピードブレスケア』を秘かに愛用している。

プチッとはじける液体ミントで、可愛らしいケースに小粒が30粒ほど入って、
特に心清らかなご婦人とお話しする時、私は事前に3粒ほど口に含み、やがて談笑したりしている。
             

『睡眠はたっぷりと』関しては、現役時代のサラリーマン時代には、ストレスがあり、
目覚めて、睡眠が中断されることはあったりしたが、
年金生活をすると悩みも激少し、たとえ震度3ぐらいでも目覚めることなく、少なくとも6時半は連続熟睡している。


『老後は家族や仲間と』関しては、『よく笑う』と『おしゃべり』で記載した通り、
私は裕福なお金持ちには遥かに縁遠いが、これまで人生苦楽の体験を応用して、
多く御方と談笑し、老ボーイの私は優雅に過ごしている。

ときおり家内が独り住まいの家内の母宅に、家内の妹と交代で、看病で宿泊することも多くなっていて、
私は我が家で『おひとりさま』の生活になるが、こうした時でも殆ど変わらなく過ごしたりしているので、
私に取っては『孤独』は無縁かしら、と何かとプラス思考でボンクラな私は感じたりしている。

しかしながら、私は現役サラリーマン時代、中小業で団体チームブレーに35年近く奮戦してきたので、
せめて年金生活の中で、団体行動は勘弁してほしいと思ったりしている。

たとえば共同ボランティア、歩こう会、野花を愛でる会、読書サークルなどは、
私はその御方自身の思いで自在に深めれば良い、と思いながら苦手となっている。
                          

今回、ボケを遠ざける生き方、8つの要素が肝要だ、と私は学んだりしたが、
つたない私は、そうですよねぇ・・と思いながら微笑んだり、苦笑しているが実態となっている・・。

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「東京オリンピック返上」という選択案、無力な国民の私は学び、やがて真摯に賛意を深めて・・。

2016-12-03 00:11:59 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活している72歳の身であるが、
昨夜の9時過ぎ、愛読しているネットの【現代ビジネス 】を見ている中で、
【 「東京オリンピック返上」という選択を真面目に考えてみる
                   ~ 実は前例もあった! ~ 】と見出しを見たりした・・。

そして私は「東京オリンピック返上」という大それた言葉は、
もとより政府、そして国民の中には禁句のような風潮がある中で、
どういうことですか、と思いながら精読してしまった・・。

この記事の原文は、『週刊現代』2016年12月3日号に掲載された記事のひとつであり、
【現代ビジネス 】に11月30日の配信された記事のひとつであり、無断ながら転載させて頂く。

《・・「あと3年半」なんて、ウソでしょ? と言いたくなるほど、課題山積の東京オリンピック。
このままでは、招致した時には思ってもみなかった、莫大な額のカネが必要だ。
決断の日が迫っている。
             

☆森にだけは負けたくない

「小池さんは、振り上げた拳の落としどころを、今年の年末、遅くても来年の2月ごろまでには、見つけないといけない。
『本番』までは、もうあと3年半しかないんですから」
こう指摘するのは、元神奈川県知事で参議院議員(無所属)の松沢成文氏である。

3兆円超・・小池百合子東京都知事と、都政改革本部調査チーム、通称「チーム小池」が見積もった、
東京オリンピックの総費用だ。

昨年10月、舛添要一前都知事が、「大まかに言って」と前置きした上で口にした額も、同じ3兆円だった。
1年が経ち、都知事が替わっても、事態は好転していない。

小池氏にはもう、時間がない。
どうしたら、この天文学的な費用を削ることができるのか。

「東京オリンピックの予算を徹底的に見直す」とぶち上げて都知事選に圧勝した手前、
数百億円を浮かせたくらいでは、都民が、そして国民も納得しないだろう。

オリンピックは、自民党、そして組織委員会会長として居座り続ける森喜朗氏にとっては、
決して譲ることのできない手柄であり、利権の塊だ。

豊洲新市場の問題追及では向かうところ敵なしだった小池氏も、ほぼ完封されている。

東京都議会の野党議員が明かす。
「11月末には、ボート・カヌー競技の会場が、
予定通り『海の森』(水上競技場。江東区の東京湾岸に建設中)に決まる見込みです〔後注:11月29日に正式決定〕。

小池さんは復興支援と予算の削減を名目に、宮城県の長沼ボート場へ会場を移す算段でしたが、
結局、自民党側に押し切られてしまったわけです。

小池さんにとっては、大ダメージです。
東北の人は、『小池さんなら、オリンピックを東京と東北の共催にしてくれる』と期待していたのに、
肩すかしをくらうことになる。

今は親小池ムード一色のマスコミも、ここから潮目が変わりかねない」
             

水泳種目の会場も、規模の問題から、既存の辰巳国際水泳場が使えず、
新たな施設を作らなければならないことを「チーム小池」が認めている。

「あとはバレーボール会場の有明アリーナを新設するかどうかですが、
ここは小池さんとしては、何とか既存の横浜アリーナに誘導したい。

そうしないと、これまで焦点になっていたボート、水泳、バレーボールの3つで『全敗』ということに
なりかねませんから」(前出・都議会野党議員)

小池氏がいくら奮闘しても、これらの改革で削ることができる額は、せいぜい400億円程度。

しかし前述したように、都民と国民はすっかり、
彼女ならば「3兆円」が「2兆円」に減らせるはずだ、と期待してしまっている。

小池氏がどうあがこうと、この「見直し路線」を続ける以上は、勝ち目がないのだ。

ワイドショーをジャックし、女性を中心に圧倒的な支持を集めてきた小池氏の「神通力」にも陰りが見え始めた。


別の都議会野党議員が言う。
「このまま立ち往生して、決断が先延ばしになったうえ、改革の効果も大して上がっていないとなれば、
遠からず世論は、小池批判に転じるでしょう。
目先を変えるために、小池さんとしては一刻も早く、次のネタを出さなければいけない」
             

☆賛成する都民は多い

就任から3ヵ月あまり、これまで小池氏はずっと、
自民党が作り上げた既存の秩序をぶち壊す姿勢を見せ、喝采を浴びてきた。
だがそれだけでは、早晩行き詰まってしまうことは明らかだ。

とはいえ、弱気になっては、「小池旋風」を維持することができない。
これまで高々と持ち上げられてきた以上、落とされたときの衝撃もまた大きい・・。
だからこそ、ここで小池氏は、日本中が驚愕する「ウルトラC」を、先手を打って繰り出すほかないのである。

「『東京オリンピック返上』を国民に提案する。
いわば、『ちゃぶ台返し』戦法ということです。

オリンピックをやるかどうかの決定権は、都知事にあります。
もちろん政府・自民党から、猛烈な反発を浴びることは確実ですが、
国民の中には『こんなに費用がかさむなら、返上してもいい』という声は、意外に多い。

トランプ(次期アメリカ大統領)支持者のように、森さんや石原(慎太郎元東京都知事)さんのような既得権益者が、
吠え面をかく様子を見たい、という国民もいるでしょう」(都庁幹部)

総理大臣が衆議院解散で信を問うのと同じく、
小池氏が自らの首を懸けて、五輪返上を国民に問えば、国を二分する激論になることは間違いない。
             

小池氏は、この「ウルトラC」を本当に実行する権限を持っている。
そして、「オリンピック返上など、聞いたこともない」、
「世界に対して、恥をかくだけではないか」と思う向きもあるだろうが、実は前例がある。

〈決断のときです。
国民に、いや、世界中に『すみませんでした。
間違いでした。
オリンピックは、他のところでやってください』と言うべきです〉

これは「チーム小池」のメンバーが、オフレコの場で小池氏に詰め寄った時の言葉・・ではない。

かつてアメリカ・コロラド州の州都デンバー市が、
1976年に開催予定だった冬季オリンピックを返上したときの、地元下院議員の発言だ。
             

☆違約金は意外に安い

当時のデンバー市が置かれた状況は、背筋が寒くなるほど、今の東京とよく似ている。
同市が冬季オリンピックの開催地に当選したのは、1970年のこと。

1976年がコロラド州の創立からちょうど100周年にあたるということで、
記念事業的な意味合いの強い立候補だったという。

招致のため、市当局が国際オリンピック委員会(IOC)に提出した計画には
「自然環境に配慮したオリンピックにします」
「予算は最小限に抑えます」といった、まるでどこかで聞いたことのあるような文言が躍った。

だが1972年には、当初の予算見積もりが小さすぎ、
債券を発行して市民から追加資金を募らないと開催できないこと、
競技場を作るために、山肌を削るといった大規模な工事が必要になることなど、
招致のために市当局が並べた売り文句が、どれも完全に「絵に描いたモチ」だったことが判明する。

そして同年秋、州民投票が実施され、開催反対派が勝利。
「オリンピック返上」が決まったのだ。
             

東京も、2013年のプレゼンで「コンパクトな会場配置」、「強固な財政基盤」といった公約を掲げて
招致を勝ち取った。

だが、新国立競技場の白紙撤回、大会エンブレム盗作問題、そして予算の際限なき膨張を目の当たりにして、
メッキがすっかり剥がれ落ちた今となっては、「幻のデンバー大会」が他人事とは思えない。

「小池さんからすれば、いざとなったら、
『オリンピックの予算が、ここまで膨れ上がったのは、
森さんや石原さんをはじめとする招致委員会・組織委員会の責任だ』
『彼らの私利私欲のために、都民が大金を負担するのは、おかしい』という理屈が立つ。

安倍政権は、猛反対するでしょうが、IOCが『この状態では、もう東京には任せられない』と判断した場合には、
返上が認められる可能性が高い」(前出・都庁幹部)
             

仮に都民投票を行って「東京オリンピック返上」となれば、
代わりの開催地は、どうなるのか。

デンバー市の返上が決まった時は、開催までの残り時間は3年しかなかったが、
IOCが世界各地の都市に打診した結果、12年前の1964年に冬季オリンピックを開催したオーストリアのインスブルックに何とか決まった。
一度使った施設を再利用することができるからだ。

もし東京がオリンピックを返上した場合は、冬季よりも大規模な夏季大会で、
代わりの開催地を探さねばならない。

選定をゼロからやり直すのは到底ムリなので、現実的には、
同じアジアで2008年開催地の北京、あるいは2000年開催地のオーストラリア・シドニーなどが候補になるはずである。

オリンピックが超巨大ショービジネスでもある以上、返上となると、
1000億円単位の違約金の発生は、避けられない。

とはいえ、「3兆円という巨額の予算と比較すれば、安いもの」と考え、
支払うことを支持する国民も決して少なくないだろう。
             

築地市場の豊洲新市場への移転に関しても、都庁内部では10月以降、
「移転そのものの、白紙撤回もあり得る」
と囁かれるようになっている。

同様に、東京オリンピックの「白紙撤回」という究極の策が、
賛否はどうあれ、全国民を否応なく巻き込んで、大激論を起こすことは間違いない。

自民党と安倍政権、そして組織委員会を相手に、大立ち回りを演じる小池氏・・
彼女を支持するか、支持しないか、われわれ全員が判断を迫られる。
そのとき小池氏は、日本中を振り回す「最強の政治家」と化すのだ。
             

☆天皇陛下のお気持ち

もうひとつ、小池氏がひそかに目を配っていることがある。
それは、安倍政権が手を焼いている、天皇の「生前退位」である。

現在、政府の集めた有識者会議で、識者が意見具申をしているが、
「右派」と目される識者のほとんどが、「生前退位」に反対している。

しかし、ある全国紙皇室担当デスクは
「生前退位ができないとなると、オリンピックに対する天皇の『配慮』が無に帰す」と言う。

「天皇陛下が『生前退位』したいと言い出した背景には、
『もし2020年の前半に自分が死んだら、オリンピックどころではなくなる』という懸念がある。

退位さえしていれば、万が一のことがあっても、国を挙げた『大喪の礼』を行う必要はない。
こう考えているのです」
             

安倍総理は、「生前退位」の実現のために必要な皇室典範の改正には、乗り気でない。
あまりに時間と手間がかかりすぎるため、政治生命を使い果たしかねないからだ。
だからこそ、有識者会議では、反対派の識者を中心に意見を集め、先送りしようとしている。

しかし、「生前退位」が実現しないとなれば、
オリンピック直前に「その日」が来てしまうかもしれない。
他でもない天皇自身が、それを誰よりも心配しているのだ。

いずれ国政に戻って、総理を目指そうと考えている小池氏にとっては、これは格好の取引材料である。

安倍総理が総裁任期延長で、2021年まで居座るつもりなら、
東京オリンピックを人質に取り、「天皇陛下の生前退位を認めないと、オリンピックを返上する」
という交換条件を突きつける・・。

そんな政治家人生を賭けた大勝負に、今の小池氏ならば出かねない。

一寸先も見通せないのが政治の世界ということは、先のアメリカ大統領選でも見た通り。
小池氏の「窮余の一策」が、世界に激震をもたらす日は、もう間近に迫っている。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は政治にも疎(うと)く、過ぎし7月31日に都知事選には、都政を浄化して下さる御方は、
小池百合子さんだけだ、と期待して清き一票を投じたひとりである。

過ぎし日、9月28日に小池都知事は、就任後初となる都議会本会議に臨み、所信表明を行った。
こうした中で、2020年東京五輪について「施設整備や開催経費について、説明責任を果たす」と明言した。

そして都は大会組織委への監督を強化するため、「監理団体」の指定に応じるよう要請を行い、
組織委の「財布の中身」を具体的にチェックを開始した。

私は2020年東京五輪・パラリンピックに関し、
大会組織委員会の森喜朗会長、都議会のドンと称せられる内田茂・東京都議らは、
巨額な都の血税、そして国の血税をあたかも無限大のように策略し、喰いものにして、利権、名誉を勝ち取りながら、
強欲にも政治家として晩成期を飾ろうとする悪しき御方たち、と私は思い重ねたりしてきた。

或いは都の幹部の多くは、天下り先を模索しながら、肝要の職務を怠り、
そして責務も忘れて、頑(かたく)なに保身に慢心する恥知らずの御方たち、と私は感じ深めたりしてきた。

東京都の財政に豊かでなく、もとより国の財政も悪化している。

私は昨年の2015年(平成27年)5月初旬、
松谷明彦・著作の『東京劣化 ~地方以上に劇的な首都の人口問題~』(PHP新書)を購読し、
震撼させられたひとりであった。
                  

新書のカバーにある解説として、
《・・地方の集落の消滅を危惧する声が高まっているが、
これまでの政策の方向性を変えれば、日本の農業や集落を維持する術(すべ)はある。

むしろ、地方よりも東京のほうが、より急激な変化に見舞われると考えられる。
東京の高齢化は、すさまじい。
2040年には、2010年に比べて高齢者が143.8万人増加する。
1.5万人減少する秋田県とは対照的だ。

その結果、東京の貯蓄率は低下し、インフラが維持できず、都市がスラム化するおそれがある。
年金の給付水準は大幅に引き下げられ、その結果多くの高齢者が家を失い、
老人ホームが新たに100万床以上必要になると考えられる。

ならばどうするか。
人口減少問題の第一人者が、欧州の事例も参考にしながら、現実的な処方箋を提案する。・・》

そして帯カバーの裏面には、
■地方は「消滅」しない
■貧しくなる東京
■オリンピックの狂騒の後に残るもの
■日本経済を支えたビジネスモデルの終焉
■1950年代の産児制限が急速な高齢化の原因
■公共賃貸住宅を大量につくれ―――財政への影響は問題なし  ・・など9つ命題が明記されていた。

こうしたことを立ち読みした私は、やがて到来する東京劣化を学びたく、買い求め、精読した。
                                 

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、生家も近く、
この地域に結婚前後の5年を除き、67年ばかり住んでいる。

このような関係で地元はもとより、都心には幼年期の頃から行ったりし、
そして学生時代、やがて社会人になってサラリーマンで精勤すると、都心にある本社で奮戦したり、
定年後の年金生活の中でも、ときおり都心に行ったりしている。

そして私は、《・・貧しくなる東京・・》は都民のひとりとして、
無力ながら悲嘆し、ため息を重ねて、著作者の松谷明彦さんから多々教示された・・・。
             
そしてここ数か月、小池都知事が、今まで閉ざされた都政の改革、そしてオリンピック、
これからの難題「東京大改革」を断行する為に、都政改革本部の各調査チームを率いて、それぞれ奮戦している、
と学んだりしてきた。

こうした心情を秘めている私は、今回の記事を読み、思案を重ねた結果、
オリンピックに関して、国も都も過剰に財政を更に悪化をすることを回避する為、
国際親善と称されるオリンピックは、やむなく「東京オリンピック返上」という選択案、
政治の思惑があったにせよ、まぎれなく正論、と思い賛意を深めている。

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爆食で日本危機、世界の食糧奪い合いに、無力な私は学び、せめて食事は残こさずに、と思いながら・・。

2016-12-02 16:06:50 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住み年金生活をしている72歳の身であるが、
ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 爆食で日本危機、世界の食糧奪い合いに 】
と見出しを見てしまった。

私は幼年期に農家の児として育てられ、ここ30数年ぐらい日本は飽食の時代になっている、
と教えられ、少しばかり疑問になっている私は、精読してしまった・・。

この記事の原文は、『AERA』12月5日号では「進化する食品」を大特集に於いて、
これからのニッポンの食卓に伴い、日本の食卓に迫る危機について、ライター・内山賢一が描かれた記事であり、
そして【dot.(ドット)】に12月1日に配信されていて、無断ながら転載させて頂く。

《・・健康志向の高まり、高齢化、働く女性の増加など、食卓を取り巻く環境は大きく変わった。
食品メーカーや卸業者など食に関わる会社は、こうした動きをビジネスチャンスと捉える。

近い将来、日本の食糧事情は、危機的状況に陥るかもしれないという。
原因をつくったのは、政府だけでなく、安価な食糧を求め続けた国民にもある。
             

20XX年、食糧輸入がゼロになって数カ月経ったある日。
小学生の長男が学校からチラシを持ち帰ってきた。

「食べ物が少ないから、これを参考にしなさいって、先生が」
そこには献立が記されていた。

【朝食】ご飯茶碗1杯、ふかしイモ2個、ぬかづけ1皿。
【昼食】焼きイモ2本、ふかしイモ1個、リンゴ1/4個。
【夕食】ご飯茶碗1杯、焼きイモ1本、焼き魚1切れ。

「なんかイモばっかりで、嫌だね」

・・そんな話が冗談ではなく、現実に起きるかもしれない。

総務省統計局の「世界の統計2016」によると2015年の世界人口は約73億人。
2025年には80億人を突破するとみられている。
人口増加は労働力が増えて、経済を押し上げる要因になるが、一方で地球上の資源と環境に大きな負荷をかける。
             

☆穀物生産の半分は飼料

世界の穀物市場をみると2013年から生産量が拡大し、3年連続で豊作。
米国の農務省によると、2016年の世界穀物生産量は25億4249万トンで史上最高を更新する見通し。
4年連続の豊作となれば、供給は十分に足りていると見られるが、
資源・食糧問題研究所所長の柴田明夫氏は、消費量の推移に注目する。

「世界の穀物消費量は、今世紀に入ってからほぼ前年を下回ることなく過去最高を記録し続けています。
供給は増減産を繰り返しながら伸びてきているのに比べ、需要が均等に伸びている」

農業は自然の影響を受ける。
地球温暖化などにより、以前より生産リスクが高まり、供給の推移にバラツキが出てきた。
これに対して需要が均等に伸びることで、何が起きているのか。

「穀物価格の変動リスクが、非常に大きくなりました。
最近でも3年連続の豊作を受け、穀物価格は急落。

2012~13年の値段からみると、半値以下になりました。
昔は低いレベルで循環的に動いていましたが、ダイナミックに上がったり下がったり。

ますます不安定性を増して、今後需給にショックがあれば、
瞬間的にオーバーシュートする可能性も考えられます」(柴田氏)
とはいえ楽観論もある。

一般的には穀物1トンで年間6~7人を養うことができるとされ、
穀物生産量は25億トンを超えたのだから150億人を養うことができる、と。
             
しかし、この計算は直接穀物を食べた場合。
環境問題に詳しいNPO法人ネットワーク「地球村」の高木善之代表はこう指摘する。

「世界の穀物生産量の半分は、人間が食べるのではなく、
豊かな人たちの食肉用の畜産の飼料に、使われているのです」
             

☆肉食文化が人類を圧迫

中国やインドなど、新興国の経済が発展し、所得が増加したため食生活が豊かになり、
肉食(畜産物消費)が増えているという状況が一般的な認識だ。
飼料穀物の拡大の結果、全体の需要が均等に伸びているのだ。

「畜産物1キロの生産に、その何倍もの飼料穀物が使われます。
牛肉なら11キロ。豚肉なら7キロ。鶏肉なら4キロの穀物が必要です。

別の言い方をすると穀物の半分は余っているが、それを豊かな人たちが、食肉にして食べてしまっているのです。
世界に飽食の人は約20億いて、その一方、飢餓で苦しむ人が約10億いるとされています。
毎日数万人の人が餓死しています。
絶対量というより分配に問題があると感じます」(高木氏)

飽食と飢餓は表裏一体の関係。
人類は根本的な問題を解決していないことも覚えておきたい。
             

では、今後も畜産物消費が増えるとどうなるのか。
世界で食糧の取り合いになると語るのは、東京大学教授の鈴木宣弘氏。

「異常気象が恒常化した近年では、不測の事態がいつ起こっても不思議ではありません。
現在の食糧市場は、需給にショックがあると価格が暴騰しやすい状態。

不測の事態になれば、高値期待の投機マネーがどんどん入る。
すると不安心理で穀物の生産国が、自国の食糧を守ろうとして輸出規制を始める。
そうなるとお金をいくら出したって、どこからも買えなくなりますよ」

そもそも米国やEUは、食糧に対して日本と違う認識を持っているという。

「米国は“食糧は武器”という認識。
軍事、エネルギーと並ぶ国家存立の3本柱であり、
戦争ばかり続けたブッシュ前大統領は“食糧自給はナショナルセキュリティーの問題”といって
農業関係者にお礼を言っていました。

EUも共同体であるにもかかわらず、各国は穀物の食糧自給率を高いレベルで保っている。
いざというときに備えておかないと危ないからです」(鈴木氏)
             

☆食糧は武器という戦略

食糧は国を守る重要な安全保障の要。
その認識から先進国では、国を挙げて農業を守っていると鈴木氏は続ける。

「例えば米国のコメ生産コストは、タイやベトナムの2倍近くかかります。
それでも1俵4千円ぐらいの安価で、輸出しています。

日本では1俵1万2千円ぐらいが農家に必要な額とされていますが、
米国では農家に対して、差額を1兆円も使って補填しています。

それに比べたら、日本の農家に輸出補助金はゼロ。
日本の農業が過保護だというのは、間違いです」

こうした状況の中、日本の食糧事情を眺めてみると不安になる。
農林水産省の資料によると2015年度の食料自給率(カロリーベース)は39%。
基礎食料である穀物の自給率は28%(2011年試算)と先進国の中でも際立って低い。
             

輸入額に比べて輸出額が少なく、世界1位の農産物の純輸入国となり、
安全保障の要を、海外に依存している状態だ。

柴田氏は日本の食糧生産を主要国と比較してみると、改めて驚かされると話す。
「日本の穀物生産量は、1千万トン程度。
対してイギリスは、人口は日本の半分、国土面積も3分の2ですが、日本の倍以上の穀物を生産しています。

日本が食糧生産小国で済んでいるのは、年間3千万トンの穀物を輸入しているからです。
つまり穀物は、不足しているのです。

にもかかわらず、この40年間、国産は過剰といわれてきた。
いわば過剰と不足が併存しているのが、日本の農業の問題であり特徴です。
これが消費者に“食糧は安心”という錯覚を抱かせてしまっているのです」
             

☆高齢者に頼る国内農業

これまでは、いくらでも安く良質なものが、海外から買えた。
しかし、中国やインドなど新興国の需要が拡大し「そんな環境は終わった」と柴田氏は指摘する。

改めて国内農業が見直されつつあるが、農業の衰退は止まらず、
もはや消費者の期待に応える生産力はない、と柴田氏は嘆く。

「農業就業人口は1990年の482万人から、2010年には260万人に減少。
平均年齢は当時で66歳。
やめたがっている農家は、多いのです」

これで日本が将来TPPに加盟すれば、農業の衰退は加速する、と関係者は危惧する。
「食の安全性も脅かされます。
BSEや口蹄疫など、食の移動に伴って感染症の拡大も懸念されます」(柴田氏)

もし、輸入ゼロになったら。鈴木氏はこう予測する。
「野菜や果物は作れるので、なんとかしのぐことは、できるはず。
             

ただ基礎食糧の穀物が手に入らない。数年間輸入ゼロなら、降伏ですよ。
農水省の『食料・農業・農村基本計画』には、輸入ゼロになったときの食事メニューが載っているけど、
イモばっかり。

校庭でイモを作れと言わんばかりで、まるで戦時中の話」

ちなみに農水省が想定する“国内生産のみで、食料を供給するときの1日のメニュー例”
(平成21年版ジュニア農林水産白書から)が冒頭の献立だ。

戦時中は甲子園球場が、イモ畑になったという逸話がある。
現在でも需給ショックの種はいくらでもあり、10年以内に危機的状況に陥っても不思議ではない。


対策のひとつは、地産地消、旬産旬消の意識を高めることだ、と関係者は口をそろえる。
地域ごとに循環型のコミュニティーが活性化することで、国内農業を守ることにも繋がるのだ。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
             

私は1944年(昭和19年)の秋に、 私が今住んでいる近くに生家もあり、
農家の三男坊として生を受けた。

私が地元の小学校に入学した当時は、祖父、父が中心となって先祖代々から農業を引き継いで、
程ほど広い田畑、雑木林、竹林などを所有し、小作人だった御方の手をお借りながらも田畑を耕していた。

こうした中で、食事の時、ご飯を食べて、私はこぼしてしまい、すぐに拾って食べないと、
粗末にするな、と父から叱咤されて、ときには母屋から放りだされたりした。

やがて小学2年に父が病死、まもなく小学3年に祖父も亡くなった。

どの農家も同じと思われるが、一家の大黒柱が農作物のノウハウを把握しているので、
母と父の妹の二十歳前後の未婚のふたりの叔母、そして長兄は中学1年で一番下の妹6歳の5人兄妹が残されたので、
家は急速に没落なり、生活は困窮となった・・。

そして残された母、ふたりの叔母、次兄、私は農作物の真似事をしたり、
田んぼにお米を作る為に、多々の労作をしたりし、
やがて私が小学6年生を卒業する時、母は農業を断念し、転業した。

こうした中、私は秋になると午後3時、蒸籠(せいろ)で蒸かしたサツマイモが、定番となり、
やがて今でも苦手な食物となったりしている。

私は高校生になると、担任されて先生から、
戦争中、終わった数年は、サツマイモの蔓(つる)を炒めて食べて、と教えられ、動顛したりした。

都心に住む方たちは、平素は高価なおしゃれな食物を食べたりしていたが、
いざ非常時になると、食物に困苦したことを改めて学んだりした。

こうした中で、殆どの私の周辺の農家は、慎ましいながらささやかな農作物を食べることができたから、
餓えた児はいなかった、と思案させられたりした。
             

今回、記事を読み終わった後、無力な私は学び、せめて食事は残こさず頂こう、と思い深めたりした。

私が何よりも険悪することは、食事処に於いて、
作り置きの料理や食材を適量に取り分けて食べる「ビュッフェ形式(セルフサービス形式)」、
或いはメニューの注文を受けた後にその都度調理を行い、出来立ての料理が出てくるシステムの「注文形式」などで、
ご自身が選んだ食物を残す方である。

世界は餓えたる人も多い中、食物を粗末にする方は、いつ日にか天罰が下るょ、
と私はここ20数年思い続けている。

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