峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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サイン

2005年09月16日 | 学校教育
昨年3月、長崎市立小島中学校で中学2年生の生徒が担任から生活指導を受けた直後、校舎4階から飛び降り自殺した事件がありました。
ところが、その生徒の死を長崎市教育委員会は、県教育委員会に「転落死亡事故」と報告していたことが15日に分かりました。

男子生徒は、昨年3月10日の放課後、持っていたタバコが見つかり、担任から校舎3階の多目的室で生活指導を受けた。学年主任が代わって話を聞こうとすると「トイレに行きたい」と教室を出たまま戻らず、校舎そばで倒れているのが見つかった。指導を受けた部屋の机には「オレにかかわるいろんな人 いままでありがとう ほんとにありがとう ○○(友人の名前)とりょうしん、他のともだちもゴメン」と書いたノートがあった。(9月16日付長崎新聞

「自殺」を「事故」と報告したことについて、市教委健康教育課は「遺族は当初『自殺なんかをする子ではない』と言っていたので配慮【はいりょ】した」と説明にもならないような説明をしているといいます。
遺族の求めで実施した市教育委員会の調査では、担任教諭の生徒に対する体罰も発覚しているようです。
遺族は、担任が喫煙した友人の名前を聞き出そうとするなど、精神的虐待【ぎゃくたい】行為があり追い詰められたなどとして再度の調査を要望しているといいます。

自殺を余儀【よぎ】なくさせるほどの「生活指導」って、何なのでしょう。私は、この事件のことがずっと引っかかっています。
だが、事件の一報【いっぽう】が長崎新聞で報じられた後、どのマスコミも、どんなジャーナリストもそれを問題にしようとしません。何故なのでしょう。

何故、中高生の自殺がとまらないのか、自らの命を犠牲にしてこの子が教えてくれています。
上からの命令で、校長が、教諭が子供たちにどんな「命の教育」をしても、それは虚【むな】しいことなのです。
この担任が、この子に日頃どのように接していたのか。その日、この子に何を言って、何をしたのかがつまびらかにされなければなりません。

しばしば、専門家が子供の「サイン」に気付くことが重要だと言いますが、子供たちは自らの命をかけて、私たちの社会がおかしいとサインを送っています。身命を賭【と】して私たちに抗議しています。
コメント (15)
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