春に3日の晴れなし というとおり、今日はどんよりした空から雨に変わった。午後にコピー機の契約でコピー会社の営業の方がいらした。場所がわからないと電話があった。そうだよねぇ、長屋風のぼろ家が事務所とは思えない。申し訳ない気がした。そのあと、炬燵で仕事をしていると起きているのがつらくなった。疲れが取れないらしい。恐ろしいスピードで段ボールと戦った疲れだろう。また、ダウンした。
昨年の今日書いたぶろぐが配信されてきた。「春にしてきみを離れ」という題だ。アガサ・クリステイの本の題名だ。それよりも「ひとり」というキーワードがある。「ひとり」を選ぶようになった と書かれている。実はこれは強がりだ。「情熱は3年も続かない」とも書かれている。そんなこともない。そこに漂うさびしさを他人の文章を読むように感じている。なにがさびしかったのかわからないが、がんばって「ひとり」で生きるのだ といっている。
さびしいときはさびしくて、誰かに側にいてほしいときは、ほしいのだ。前にも書いたように、それが悪いことでもない。だから人は結婚し、家族をつくるのだから。
そんな風に思うと、とても楽だ。隣のおばあちゃんのうちにはお孫さんが来ているのかにぎやかな声がする。木造の長屋風のこの家はそういう意味でいい家だ。雨の音がする。ご飯が炊ける匂いがする。そして、炬燵でラブレーターを書いている私がいる。春はさびしくて と。