風邪が本格的になってしまったようだ。身体もだるいし、鼻が止まらない。取材をやめて、午前中はあたたかくして寝ていることにした。こんなときは、睡眠と栄養だと思っている。おそらく、夕方になって寒いのに2階で仕事をしていたからだろう。昼間は温室のようにあたたかい部屋だ。寒いときはエアコンは広い部屋なので、効かないような気がしていれていない。夏は夏になった考えようとおもっていた。
この家に来てから、わたしはけちになった。いままでの生活は、どちらかというと、いいわ、いいわで無駄なことが多かった。そこまで考えるのが面倒だった。この家にはできるだけ長く住めればと思う。お金には限度がある。だから、私らしくない節約が始まった。衣食住の我慢が始まった。暖房もまめに切ったり、着るものを温かいものにした。それがつらいとは思わず楽しんでいる。
「愛してれば、耐えられることがある」なんでもそうだろう。イチローの言うように、野球を愛していたから、耐えてこられたのだろう。それが原動力になることが多い。それには自分が本当に納得して選んだものであることが必要だろう。そこに無理があると、人は無意識に逃げ出す。無駄使いもそうだろうし、ものを見ない、考えないようになる。それはそれで生き方なのかもしれないが。納得のいくものを見つけられたことは幸せなのではないだろうか。生き方でも、品物でも、人でも。これなら、この人なら、この生き方ならと思えれば、耐えていける気がする。
でも、人は納得できなくても生きていかなくてはならないことのほうが多い。「もう、別れたいのだけど・・・」それでも別れられないことのほうが多い。それでいいのだろうと思うし、それが普通の生き方なのだろう。初めは納得して選んだのだから。