雨が上がると冷たい風になる。おそらく街のどこからでも伊吹山が見えるのではないだろうか。駅からは正面に大きく見える。琵琶湖からの風も冷たい。街の金物屋さんには、大きな雪かきのものと思えるシャベルがあり、長靴も売っている。これを買わないとダメなのだろうなぁ と思う。4月には町会のどぶ掃除。これも道具がいるらしい。まぁ、町内会のことは何とかなりそうだ。以前住んでいた大磯町は『よそ者』という感じで、地元の人は接してきたが、ここは「慣れはりましたか?」と声をかけてくれる。「無理せんでええ」もよく言われる。
「いてはりますか」とか「してはりますか?」などとやわらかい関西弁?でいわれると、関東から来たものは、ほっとする。大阪弁とは違うような気もする。京都に近いからだろうか、京都の言葉に似ている気がする。物越しも丁寧で、運送屋さんや郵便の配達の人もきちんと挨拶をしてくれる。「近江商人だから」という人もいるが、商人とは言え、関東のようにそっけなくない。スーパーのレジの人も丁寧だ。たぶん、他の土地から来たとわかるからかもしれない。
以前、TVかネットで関東人がわかりにくい関西の言葉に「つれあい」という言葉だと聞いたことがある。確かに、関東では聞かない。初めて聞いたのは、NPOの仕事を始めてから、京都の人が「つれあいが」と言われたときだろうか。意味がわからなくはなかった。いい言葉だなぁ とも思った。そうだなぁ、70過ぎのご夫婦は『連れ添った』という感じでいいなぁ と思う。いろいろあったのだろうし、今も家族のことなどでは問題はあるのだろうが、それでも「おい、あの時、ほらあそこでうなぎを食べた店はなんといったっけ」とかいうと、「なんでしたっけ、えーっと、ほら、」なんて答えている。40年、やがて50年と連れ添えたご夫婦は幸せだと思う。
今なら、『連れ添う』ということができるかもしれない。夫婦とは『曖昧のもの』と思えるからかもしれない。その『曖昧さ』がダメだった。ある意味の、賢さ、悪く言えばずるさ というのか。そういう日本人的の夫婦というものがいやだったのかもしれない。そう、連れ添うよりは寄り添えばいいかなぁ。