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不純な動機でOKね

2019-12-29 18:48:06 | 日記

いよいよ暮れも押し詰まった。今日はうちにいたいが、教会に出かけた。今年最後のミサだ。8時半ごろの街はまだ静かだ。それでも京都、大阪方面の電車は混んでいる。今日も陽気な元テノール歌手の神父さんのミサだから、多少おかしくてもOkで進んでいく。自分で歌いながら入場してくる神父さんは少ないだろう。そして、ミサの後は教会の大掃除だ。以前なら「すいません、用事があるので」と帰るのだが、さすがに今年お世話になった教会のお掃除はしないでは帰れない。

なにかと掃除一つでも人が集まると面倒なのだが、神様の御前では平和に過ごす。掃除機をかけていたが、椅子の並んだお御堂を左手で掃除機を持ってかけていくので、だんだん肋骨が痛くなる。やはり、まだ無理はできない。これで家の掃除はできない という理由がついた。ほっと。骨董屋さんのお友達Oさんと先日ホテルで朝食をごちそうになったお友達Yさんが、「ねぇ、黙想会へ行かない?」と話しかけてくれた。「ああ、いいですね、しばらく行ってないので。京都ですか?堅田ですか?」「いや、浜松よ。ここの食事がベトナム料理でおいしいのよ!いこう!」真面目に黙想会の話をした私は「えっ!それって不純な動機じゃありません?」「そうよ、そういうほうが収穫が多いのよ」

最近、わかったのだ、自分は真面目すぎると。(えっ!)Oさんが言う「なんでも、きちんとしようなんて頑張る年やないねん、相手が疲れるわ、なぁ、ゆるゆるの毛糸のセーターのほうがあたたかいやろ」と。一言もないわたし。そうなんよ、昨日「もう、ほんとうに何を考えているの?ちょっと考えれば、その聡明な頭ならわかるやろ」と不機嫌だった。(今朝は直ったが)みんな五十歩百歩で愚かなのはかわらない。人のことは良く見えるが、自分のことは見えない。相手に怒っているのではなく、愚かな自分自身に怒っているのだ。

よかったなぁ、お互いに愚かで。それに私も不純な動機だらけや。そもそも、長浜に来たのも不純な動機が隠されていたのだから。この二人の先輩には、ちょうどいい時期に巡り合えた。神様は本当に必要なことを与えてくださる。この長浜に来て、彦根の教会に行ったことに神に感謝をささげる日だった。

 

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