さわやかな日です。子供たちがとても元気です。一学年上がって1か月、それぞれが成長した感じです。高学年でもほとんど中学受験などがないだけにのびのびしています。それでも、不登校の子は出てきています。
今まで見えなかった世界が見えた時、何か偉そうに思っていた自分を恥ずかしい気持ちになりました。それは、重い障害をお孫さんに持つ方とのかかわりからでした。私は知的障害のある子とかかわっていて、そのストーカー的な電話やらに悩んでいました。施設にいる期間がながかっただけに(彼女は40歳)、ごく普通のことが(私たちの暮らしのなかで)できないことがありました。自立したいという彼女にどう対応したらいいのか迷いました。悩むと言っても他人ですから、それは家族などに障害を持つ人がいることとは大きく違うのですね。
重い障害を持つお孫さんとのかかわり合いは、それは他人にはわからに踏み込むことのできない世界でした。それを普通の感覚で受け止めた私には彼女が私の悩みに対して、「それはあなたの問題」と切り捨てた言葉が冷たく感じられました。あれほど人の面倒を見ることができる人がと。
ある方が、私がさぞ彼女の対応に驚かれたでしょうねと言われました。ふと思い出したが障がい者の車いすサッカーの取材でした。そこにあった大きな壁でした。ああ、私には見えない世界があったのだと。
そして、見えないながらも、親子とかでないとわからない(特に身体的なことに関して)ことがあるのだなぁと思い、もと夫と義母の関係を別の目で見ることができました。自分がなにも見ていなくてとても恥ずかしかったです。そして、出てくるはでてくるはで、自分の見えなかった世界を安易に非難していた反省です。もしかして、あの人も何も言わないけどそういうものを背負っていたのでは?とか。
人を見るのではなくて、自分を内観する時期がきたようです。物を捨てるより心の余分なものを捨てるのが先のようです。今日の空はきれいです。