gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

誇り高く(埃にあらず)あれ!

2021-02-05 17:54:33 | 日記

3月中旬の陽気だった。陽射しも強くなった。今日は陶芸教室だった。先生が「謝らないとならないんだ」 とおっしゃられた。作品が壊れたのか?そうではなくて、私の製作途中のコーヒーカップをほかの人が仕上げようとしてしまった という。高台の部分が削られていた。名札が付いているのだが、それが下に落ちたらしい。私はかなりそそっかしいが、自分が愛情込めて作っている作品は絶対に間違わない。ほかの人の子供に自分の子の洋服を間違えて着せるようなものだ。文句は言わなかったが、残念なお話だった。

いつも陶芸教室はラジオを聞いてやっている。今日は国会中継だ。これも残念な話ばかりだ。家の建たないような話を毎日税金を使ってされていう気がする。昔、「国家の品格」というような本があったが、「日本人の品格」とは?と 考えさせられる。こういういい方は問題なのだろうが、「男性はどうして未練たらしい」のだろうか・・・。潔くあれですわ。

最近の話だが、近所に近江牛専門の肉屋さんがある。学校納入の安全な鶏肉なども扱っているという。前に、ブログに書いたかもしれないが、80歳くらいのおばあさんがこぎれいにしてお店に立っていた。どの肉を使ったらいいか質問した時に(牛肉のワイン煮)ワイン煮にはもったいないような肉を教えてくれた。「よそ行きの料理をするのだから、グラム数を減らしても、いい肉を使いなさい」と教えてくれた。それはとても参考になった。彼女がしばらく店にいなかった。珍しく先日店にいらした。どうしておられたのか?と聞くと、膝が痛くて仕事ができないという。きれいにはしているが少しやせていた。膝の話を聞いて、お大事にと帰ろうとすると、彼女が涙ぐんでした。「また来ますね」というと嬉しそうに、思い出してきてくださいね と言われた。店を仕切っていた彼女の涙だった。

誇りをもって仕事をしてきた人の涙だろう。誇りでなくて埃をかぶった人が多いこの頃だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セカンドラブでも

2021-02-03 17:26:32 | 日記

5時になったが、陽が延びたので明るく、オレンジ色の空だ。明日は晴れるかな。立春の今日は、雪の朝で始まった。1日中気温は低い。週末に来客があるので、本を返却に図書館へ出かけた。ほとんど人はいない。初めのうちは、懐かしい作家のものを読んでいたが、老いてから書かれたものは、「生死」について書かれたものが多い。夜など読んでいると、こちらも煮詰まってしまう。名前だけは知っているが読んだことのない比較的若手の作家の軽い恋愛ものなどを読むことにした。

幼馴染が再会して、(40代で)いい関係を保っていく話などだ。二人とも、離婚して親の介護というような問題を抱えている。そして、今住んでいる環境を一気に変えることが出来ないで離れて住んでいる。女性が年上で「姉さん」と呼ばれている。同じような環境で育った幼馴染だから、分かり合える部分もあるのだろうな。

セカンドラブでも、恋は「はつこい」なのだろう。いろんなものを経た後のめぐり逢いは、また違う深さがあるのだろう。ここは我慢しないといけない と片方が思えば、相手も、ああ我慢してくれたんだ と感じることが出来る。少しわがままも言ってくれればいいのに とも思うし、言ってもらえれば自分の存在感も感じることが出来たり・・・。それでも、やはりどきどきするのは、何なのだろうか。

この年齢で、コロナウイルス禍のなかでこんなことを思っているのは、やはりあほやー。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅を指す(君に読む物語)

2021-02-02 17:28:49 | 日記

今日は節分、124年ぶりの2月2日の節分だという。節分も立春もなにかピンとこないまま過ごしている。コロナウイルスの影響か暦とは別の時間が動いている気がする。時間が自由な身なのだが、できるだけ規則正しい生活をしようと(無理なくね)思っている。朝食が終わると歯磨き後に、まず化けることにしている。いざ出かけたいというときに、化粧をするのが面倒だからだ。マスクをしても、素顔で外を歩ける年ではない。

化粧の最後に紅をさす。この瞬間が好きだ。「あなたに逢う日のよろこびは・・・」ではないが、なんとなく気持ちが華やぐ。最期までそうでありたいとは思う。仮に認知症になっても。

あの人は私が認知症になっても(誰だとわからなくても)、訪ねてきてくれる気がする。そばで旅の写真でも見せながら話をしてくれるのではないか・・・。そんな時、私は紅をさすような気がする。もし、立場が逆になっても私もそうするだろう。誰だなんてわからなくてもいいのだ。そばで話ができれば・・・。

でも、でも、最期の瞬間、私はあの人の名前を呼ぶような気がする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言ってしまえば

2021-02-01 19:06:16 | 日記

背中に背負っている黒いリックがあたたかい。ポカポカとして春のようだ。何となく鳥の声がひばりの声のようだ。平和な田園風景の中を歩くのは気持ちがいい。

いいかどうかはわからないが、自分の気持ちが(口にはだしませんが)頭をもたげてきた。NPOに関することだ。あと2か月くらいでNPOを解散することになる。「10年間ご苦労さま」という声が届くと、ああ、やってきてよかった と思う。その反面、我慢していたことが出てくる。いただいたご寄付に関して、ささやかなお礼の気持ちをお送りするようにはしている。(葉書1まいでも)少し高額な場合は、プレイ中の写真とフレームをお送りすることもあった。それをどう処理しようとその方の自由だが、「人にくれてやった」という表現にはさすがの私も、それは言うことじゃないよ と思った。こんなことは小さいことかもしれないが、まるで配偶者に言うかのように命令されることもあった。私が責められることでもないことを八つ当たりで手紙で回されたこともあった。私には尊敬できる大事な方がいます!とうぬぼれて勘違いいた人には言いたかった。それは心にしまっておいたし、やはりキリスト者として腹を立ててはいかないと反省した。なさけないことに最近は「許せない!」になった。今更、文句を言うつもりはないが、いじわるな心がある。

でも、それ以上のあたたかい言葉がたくさんあるから、そのうちおだやかな心になるのだろうなぁ。言ってしまいたいことは、ほかにもたくさんある。それはポジティブな気持ちだから大事にしておこう。言ってしまうにはもったいないこころだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする