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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

何を大事に相手を選びますか

2021-02-10 16:54:46 | 日記

普通に歩けるようになった。と言っても、少し距離を歩くと微妙な痛みが出るが。それでもすたすた歩けるのはうれしい。やや強い軟膏で鎮痛したので、そのかぶれのようなものが出てきた。まぁ、いい方向に向かっているのでうれしい。

あのおじさんをはじめ日本にはまだまだ古い体質が根深く残っている。私がNPOをやめるのも、そんな人たちの、自己顕示欲、昔の栄光話、つまらぬうぬぼれ、お金があれば成金的なやりかた、ともかく自己中にうんざりしたからだ。ただ、それはある種の文化として?若い人たちにもどこかに残っているのではないだろうか。(70以上のくらいの世代を親に持つ人たちには)

結婚にはリスクがある。いや、生きていくことにリスクがないわけはない。特にこの時代は永久就職なんてないから。その結婚相手を選ぶのに、何を大事に選ぶかだ。経済的な安定は大事だし、そのためには社会的な地位も大事かもしれないし、相手の背後にある家庭環境も大事かもしれない。もしくは、精神的な面で、その相手の生き方を大事に選ぶ人もいるかもしれない。それは、自由だと思う。

大体、なぜその相手を選んだかは、今の人たちは冷静だからわかるだろう と思う。相手のもとに情熱だけで何も考えず走っていくようなことは少ないだろう。そう考えると、最近話題のお話の登場人物は、年の割に高学歴の割に、幼い気がする。相手の心にちらつくものを感じる感性がないのか、もしくは相手との会話が足りないのかだろう。

まぁ、おばあさんは精神論者だから、今は「相手が自分に一番何を望んでいるのか?」を考える。元気で楽しく暮らしていることだろうな。顔をしかめて、がんばって仕事をすることではないと思う。これは古い理論かな。

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丸顔の信長

2021-02-09 17:34:20 | 日記

今朝は雪が積もっていた。春に向かう積もらないゆきだった。それでもやはり寒いが。だいぶ歩けるようになったので、それを止めるかの如く雪が降る。

ネット上でも「麒麟が来る」の結末に様々な意見はあるが、あれでOKという意見が多いようだ。光秀の菩提寺の西教寺を訪れたが、手厚く葬られている。光秀と熙子の墓は少し離れていたが、一族の墓として一角を占めていた。脚本の池端俊策氏が考えた最後は希望につながった。観た人の心に「麒麟」が来たのではないだろうか。役者ぞろいのNHKならではドラマだった。あまり話題にならないが、本能寺の信長の殺陣は見事だった。信長、こんなに強かったんだ などと思った。かなりの稽古をしたらしい。教科書とは違う丸顔の信長もよかったかな。

池端氏の書いた「夏目漱石の妻」もそうだったが、悪妻と言われて漱石の妻鏡子との会話がいい。大吐血をして、死にかけた漱石が回復して長野へ講演に出かける。講演が終わって、二人が緑うつくしい高原で会話する。「あの坊ちゃんの清のモデルは私でしょ」と鏡子が言う。鏡子は、本名が「鏡」で「きよ」という。そして、坊ちゃんは清が大好きだったと。漱石は苦笑いをして「まぁ、そういうことでもいいが、君はどこまでも君らしいね」と言う。長い戦いの末の夫婦のハッピーエンドを感じた。長谷川博己と尾野真千子のコンビだ。

「麒麟が来る」を見終えて、この「漱石の妻」を思い出した。池端氏のドラマ感だろうか。人のこころに「希望」と「あたたかさ」を残す。光秀と信長にしても、漱石と鏡子にしても、そこには深い愛情があるような気がする。それが男と男でも、男と女でも、二人の力量のように思った。ハッピーエンドになるかならないは二人の力量だね。

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1点の曇りなき結婚

2021-02-08 17:52:03 | 日記

今日は久しぶりに寒い!ねんざのせいで思うように体が動かない。腫れも引いてだいぶいいのだが、足首が回らないので危ない。薬局へは8分くらいなのだが、行くのに決意がいる(笑い)お使いのできる犬でもいればいいのだが。

むかし話はあまり好きではないが、元夫は映画青年で何もしない塾長のいる塾を手伝いながら、自分で映画を作るようなことを夢見ていた。そんな彼に塾を持ってもらって、映画つくりの夢を追ってほしいと 思った。それが大きな間違いだったように思う。「この人をこうしたい」なんて思うのは思い上がりなのだ。もしそう思って、結婚したなら、どんなことがあってもそれに徹すべきだった。

最近の下世話なニュースを見ると思う。自分がなんでそのパートナーを選んだかだと。どこかに相手の地位や財力選んでいたとしたら、それに伴うリスクはある。私が金メダルをこの人に取らせるのだ と思う妻からのプレッシャーは当然ある。別に男性を弁護する気持ちはないが、そういう毎日はつらいんだろうな と思う。もちろん、彼もそれを覚悟しなくてはいけないけど、男の人は弱いものだ。癒してくれるもののところへ行きやすい。

一点の曇りもない結婚なんてありえないだろう。でも、相手の心の奥に住むものが見えたとしたら、潔く断れる人はすごいと思う。昔の映画に「心の旅路」という恋愛ものがあった。この中に出てくるキティという人物がそうだった。古い映画だが、なかなか考えさせられるものがある。

夕方になった。寒い!台所に立つのもつらい。今日は冷凍保存のカレーかな。

 

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青くさく、純粋に

2021-02-07 19:46:15 | 日記

昨日は風もないおだやかでいいお天気だった。千葉からサッカー友がふたりやってきた。考えてみると1年間会っていない。琵琶湖の周りのどこを今年はたずねようか。夕方に近く来れれたので、遠くへは行けなかったが、琵琶湖に沈む夕日に間に合った。「夕日に急げ」だった。私がこの地に来た理由がよくわかったという。湖畔で若者たちがギターを弾いていた。むかしみたいだね と3人で眺めていた。

今日は、南へ下った。瀬戸のしじみを食べたいということで瀬田から石山寺に行く予定だった。湖畔のキャンプ場がどこもいっぱいだ。じいじはあと2年くらいしたら、孫を連れてきたいという。(奥さんは反対だろうというが)自然が豊かなところだ。琵琶湖大橋が見えてきたら、渡りたいということで、坂本のほうに出た。そこから今日は大河ドラマ光秀最後の日と西教寺に行くことができた。行きたかったところだったのでうれしい!そして、今度はまた近江大橋を渡り反対側へ。橋の上を人がたくさん歩いている。のどかだ。

昨日、ちょっとしたことで足をねん挫した。幸い、サッカー友は湿布薬など持っていたので、ひどい腫れもなく何とか歩けるが、さすがに石山寺の石段はきつい。宇治川のような雰囲気の瀬田川を眺めながら、無事しじみご飯にありついた。琵琶湖畔を半周くらいしながら、自分がここに来たいきさつがよくわかった。何度もこの地を訪れていたのだ・・・。

友達なのよ、というしかない二人だ。同じような価値観だから、仕事以外のことでも同じように過ごせる。そういうお付き合いにもっと理解がほしいなぁ と思う。二人共家庭の話も、私がいるから気軽にできるようだ。私はいつもこんな感じなんだぁ。まぁ、いいか。いつも青春のようだ。青くさく、純粋に。

 

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春を信じて

2021-02-06 14:44:53 | 日記

暖かい日と寒い日を繰り返しながら、春はやってくる。三寒四温とは、うまく言ったものだ。この暖かい日に千葉からサッカー友が二人やってくる。オンラインセミナーと確定申告の書類作りということになっている。昨年、わざわざ滋賀まで申告書作りにきてくれて、大いに滋賀が気に入ったらしい。ほとんどの都会の友だちは、田舎町(さびしい田んぼの中)で暮らしているイメージがあったらしい。ここは都会ではないが、前にも書いたように「色気のある」町だ。その色気と歴史が語るなにかに惹かれていくようだ。

お二人とお会いしたのは、かれこれ10年近く前になる。育成やスポーツの本来の役割について考えている人たちだ。特に育成に関しては「人を育てる」という観点で、同じような理念を持っていた。今、向かい合っていることをクリアしていくことが、将来においてその子の役に立つようにと考えるというのだろうか。彼ら自身のサッカーに対する情熱(愛情)であり、子供たちへの深い思いのように思う。

そんな仲間と大きな輪を作っていきたいと思う。そんな思いが、いつか花開くことを信じて。柚子の木は自分のために植えるのではなく(実がなるのに18年はかかる)あとに来る世代のために、柚子の木を植えていこうと思う。

春が近づいて、球根も芽を伸ばして、日向ぼっこをしている

 

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