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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

お父さん、コーヒー淹れました

2021-06-20 19:13:49 | 日記

最近、物を忘れる。(ものを失くす)何かに集中しているときに多い。昔のマルチパワーは飛んで行ってしまった。残念なことに?一人しか愛せない。私の頭がおかしくなったのか、TVを見ていてもわからないことが多い。それで特にTVのニュースや報道番組は見なくなった。若者のTV離れもわからなくないなぁ。文字で見る分にはいいが、ほぼ毎日お顔を拝見するとうんざりする。毎日見てもいいのは、大谷翔平君の笑顔だ。絶好調だ❣

父のことを思った。母とは確執も長年あったし、最期までそばにいたので後悔も残った。父にはそういうものが少ない。仕事が忙しい時に病気になり、段々弱っていってしまった。弱っていったのは気力だった。術後のリハビリもあまりしなかった。どこかに諦念があった。

父は戦中は肋膜を患い軍隊から帰され、弟は軍隊で自死した。弟の自死が父の運命を決めたのだろう。父はNECに勤めていたという。家業を継ぐのは弟の方だったようだ。口の悪い叔母たちは、NECに勤めていたら悪くても課長くらいになっていたのに という。字は上手くないが、薔薇とか憂鬱とかを平気で書く辞書みたいな人で、音痴だけどクラッシック音楽に長けていた。わりと裕福な青春時代を楽しんだようで、お見合いをしてもしても断ってしまい祖母は困ったらしい。

叔父の自死で達観したような人になってしまったらしい。私はほとんど叱られたことがなかった。あまり相談にも乗ってもらえなかった。「まぁ、我慢するんだなぁ」という答えが多かった。本当はそんな人ではなかったのだろうに。

父の好きなものを仏壇にと思った。食べ物でわがままを言う人ではなかった。コーヒーは好きだったなぁ。そういえば、リンゴが好きだった。コーヒーを仏壇に供えたことがなかった・・・。

こうして父を思い出して、改めてわかった。父は私を最後まで心配していたのだと。いまは安心ですか。お父さん

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父の日前夜祭?冬ソナを聞きながら

2021-06-19 19:19:12 | 日記

「いいお湿りで」などという言葉を思い出した。家にいて用事をするにはいいお天気だ。我が家は大きなコピー機があるのでとても便利なのだが、いよいよリースアップして今月28日には返却することになった。ということで、来週中にはコピーするものはできるだけ頑張らないとならない。まず、冊子を完成させた。自分のこだわりで作っているが、今回は頑張った。なぜか冬ソナを聞いて作業をした。それから、父の日のお祝いの買い出しと料理。終わったときは、かなりへとへとだった。(ここでワインを飲んで少し料理を味見する)

音楽を聞きながら、チュンサンのお父さんはサンヒョクのお父さん(キム・ジニ)と同じで、ユジンのお父さんはヒョンスでチュンサンのお母さんの元婚約者だったよなぁなどを思い出す。なんで今日は冬ソナなのだろう。曲を聞きながら場面を思い出す。やはり懐かしい。(わかった!あさイチで朝ドラ受けをして、華丸さんがバスの後部座席に座った二人を冬ソナみたいと言っていたからだ)

私にとって今の冬ソナのテーマは「心の奥に残る記憶」のような気がする。どんなに消そうと思っても消すことのできない人はいる。結局、元に戻ってしまう。それがやはり本物のような気がする。離れていた時間が2年でも10年でも同じだろう。本物がわかったら、素直にそこに留まるのがいいのだろう。そこに理屈はいらないから。忘れらえないものは忘れられないのだ。

そういえば、親友と雪の日に雪だるまを作って冬ソナごっこをしたなぁ。写真がなくなってしまったが。思えば、二人ともかなり冬ソナにはまっていたのだ。音楽を聞きながら、いろいろなことを思い出している。

今日はワイン気分でいい日だ。お父さま、おつかれさまです。

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男のトリセツ 妻は強し

2021-06-18 18:03:50 | 日記

どんよりとした雲が空を覆っている。そして、蒸し暑い。陶芸教室から帰ってくると、お手紙が1通届いていた。あまり見たことのない字で、でも一字一字しっかりと書かれていた。仙台のサッカー仲間からだ。ご病気で入院をされていて、退院されてすぐにご自身で寄付金をお送りくださった方だ。ごく当然のように、はがきや冊子をその後お送りしていたが、そのたびに励まされてきたというお礼のお手紙だった。読んでいて、涙が出てきた。誰にでも平等に愛を届けたいという想いを受け止めてくださっていたことがうれしかった。そうだ、早く冊子を完成させて届けたいと思った。

その「いのち」という冊子に親友が書いている「お薦めの1冊」があるが、今回は「夫のトリセツ」(黒川伊保子著)だった。まさに、彼女は筆者が「この本をすぐ読んで」という人だった。私は本を読んでいないが、話題にもなり要約だけは読んだ。でも、哺乳類などの脳科学的特性を人にあてはめられるだろうか。確かに、男性の脳と女性の脳は違う。左脳と左脳をつなぐ脳梁の太さが女性のほうが太いということは聞いたことがあるが、子育てが終われば、より良い遺伝子を求めて、次を求めるということは聞いたことがなかった。ただ、浮気ができないので外に向かわずその攻撃先を夫に向けるのだという。(大雑把な説明だが)

びっくりしたのは、妻というのは強いということだ。えっ!そんなことで文句を言っちゃうの!私がおかしいのだろうなぁ。だから、妻には向かないのだ。妻の座を捨てたのではなく、居心地のいいほうに逃げたのかもしれない。文句を言うのはいやだし、日常生活で気が付くことがあまり無い人でも、だいじな心の部分で気がついてくれればいいと思う。ライオンおとうさんでいいのだ。効率よく(悪い意味ではない)大事な時に気にかけてくれれば。

やっぱり男の力量だよ。なんて優秀な遺伝子を探した結果と自分を初めてほめてみた。(恥ずかしいねぇ)

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引き返せないことを知る

2021-06-17 18:20:15 | 日記

コロナウイルスの感染もかだいぶ落ち着いたような気もするが・・・。なにかすっきりしないで、がっかりしているが、それを口にする気力がない。各現場でみんなががんばっているのに・・・。

今日は脳のキャパシティーがいっぱいなのか、することが少しおかしい。(ずれている)年のせいで、処理能力が落ちているのだろう。悲しいねぇ。でも、今日は福井産のいい梅を見つけて、梅酢をつけることができた。紀州産の梅が多く入ってくるがあまりよくなかった。「南高梅」とかいうブランドで売れているのかもしれない。とても香りのいい福井の梅だった。(新しいのかな)季節の行事もいつまでできるかわからないが、済ませないと何となく落ち着かない。

NPOの清算がうまく終わろうとしている。最後に応援を頂けたおかげだ。不思議なことに、思わるところから応援メッセージが届く。本当に趣旨を理解して、協力してくださる方たちとなら情報発信は続けていこうと思っていた。あくまで、心身ともに負担がない限りで。そんな私の声のほうに耳を傾けてくれた。無理して走っている姿には声を(止める声)掛けづらかったのかもしれない。

「引き返せないことを知ることが大人なのだろうか― そうだとしても、大人はどこかに自分を待っている光があるような気がして旅に出ることがある(後略)」(伊集院静)そうか、男は旅人か?私はどてーんとこの家に居座って、のんびりしようかと思う。もう旅は疲れたから。

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セーラー服と詰め襟

2021-06-16 17:49:58 | 日記

昨夜、急にそれこそバケツをひっくり返したような大雨と強風になった。朝ドラではないが、夕方の雲の様子で風雨になると、屋根にある植木を取り込んだ。TVで代表戦を見ようと思う頃に、音声が聞こえなくなるくらいの雨音になった。雹でも降っているようだった。2階から見ると、大家さんの松の木が激しく揺れている。雷も鳴っている。パソコンの電源を落とした。どうしようと思うくらい怖かった。

今日は朝から小糠雨だ。木々の枝や葉っぱがたくさん落ちている。昨夜は眠れぬままに、伊集院静の「グラスの底に」を読んでいた。大人の余韻のある文章だ。そこにお祭りの話もあったし、セーラー服と夏の男子の帽子の話があった。6月に入ってすぐの日に、駅のエレベーターで白いセーラー服の女生徒を見かけた。「ああ、衣替えなんだ」と思った。最近はセーラー服の学校が少なく、なにかまぶしかった。

中学も高校もセーラー服ではなかった。当時としては逆に珍しいジャケットだった。中学に上がるときに、セーラー服が着たくて、母にセーラーカラーの服を作ってもらったのを覚えている。男子は中学は詰襟だったが、高校はジャケット(背広)で学校の歴史の中で、初代校長が「詰襟制服は胸元を圧迫し自由な思考を阻害する」との特論から、全国に先駆けてネクタイと背広型の制服を採用したということだ。そんなことで、夏は特に男子は自由な格好をしていた。近くの男子校が詰襟で、なんとなく凛々しい感じだった。そして、夏になると帽子に白いカバーをかけていたのが印象的だった。カバンも斜め掛けの白い肩掛けカバンだった。

中学の先輩が商船学校に進学したのを覚えている。(もしかしたら商船大学)その制服が上下白で恰好よかった。横浜の駅などでも見かけたが、あこがれの先輩という感じだった。なにか今になると、詰襟とセーラー服がやたら懐かしい。今は、私学も公立学校もデザイナーブランドのような制服で争っているが、ああいう昔の学生、学生していた制服の「君」に会いたいと思うおばあさんだ。

 
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