のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

新年の挨拶色々

2008年01月08日 20時34分34秒 | 日常生活
年々、季節感なるものがなくなってきていることを感じる今日この頃。
冬の行事に関して言えば、
「この国ってキリスト教信者ばかりなんじゃないの?」
と思ってしまうほど、秋の終わりからは
どこもかしこもクリスマスの風景になるわけですが。
お正月なんて、会社の正面玄関の門松を見て
「おぉ!まだ、松の内やったったい!」
と驚いてしまうほど、世間は既に通常モードです。
とは言え、実は年があけてからの出社日はまだ三日目。
出会う人にはついつい、「あけましておめでとうございます」と
挨拶をしてしまう骨の髄から日本人ののりぞうです。

ちなみに本日、廊下で出くわした後輩からは
「もう、この挨拶、飽きたっす。」と愚痴を言われ
同じく廊下で出くわした先輩からは
「うむ。よろしくしてやらんこともない。」とふんぞり返られました。

このひねくれ者達め。・・・大好きさ!
素直に「おめでとうございます」とにっこりしてくださる
先輩や後輩も、勿論大好きです。大好きなんですが。
こういうひねた返しをしてくださる方々とは
安心してお付き合いできる気がするのです。
この対応で安心してしまうのもどーなんだ?
と自分の趣味趣向に疑問を抱かずにはいられませんが。

何せ、好きな殿方のタイプが「タチの悪い人」ですから。
うわーん。幸せになれないー。

終業式/姫野カオルコ

2008年01月08日 20時00分58秒 | 読書歴
■終業式/姫野カオルコ
■ストーリ
 かけがえのない、高校生だった日々を共に過ごした四人の男女。
 テストにやきもきしたり、文化祭に全力投球したり、
 ほのかな恋心を抱いたり。卒業してからも、ときにすれ違い、行き違い、
 手さぐりで距離をはかりながら、お互いのことをずっと気にかけていた。
 卒業から20年のあいだに交わされた、あるいは出されることのなかった
 手紙、葉書、FAX、メモetc.で全編を綴る。
 ごく普通の人々が生きる、それぞれの切実な青春が、行間から見事に
 浮かび上がる。

■感想 ☆☆☆*
 高校時代、今考えると、休み時間や放課後といった贅沢な時間が
 山ほどあった。進学校なのに、ゆるやかな校風だった母校は
 近くの学校が遅くまで補習を実施していた中、比較的早い時間に
 私たちを解放してくれていた。
 家に帰らず過ごした放課後の教室や部室、近くの図書館や浜辺。
 あの頃は屈託なく、大はしゃぎして騒いだりしゃべったりしていた
 だけなのに、今、思い返すと、胸が痛くなるほど眩しく見える。
 私の家には、あの頃、あんなに語り合った友人たちと、語り合う
 だけでは飽き足りずに、授業中に交わした手紙がどっさりと残っている。
 滅多に読み返すことはないけれど、決して捨てられない宝物だ。
 きっと他愛ない内容なのだけれど、それでも読み返し始めたら、
 確実に途中で止めることはできないだろう。あの頃の私たちが
 体験した出来事から目が離せなくなるだろう。そう思う。

 この作品も同じだ。内容は「他愛ない」と一言で切って捨てることも
 できるかもしれない。けれども、惹きつけられる。流れている時間と
 その時間の中で近づいたり離れたりしている登場人物たちから
 目が離せない。
 全編、手紙やFAXのみでの構成。したがって、書かれている内容は
 「現実に起こった出来事」のごく一部で、行間に埋もれていることも
 多いだろう。けれども、そこに何かが起こったことをしっかりと
 感じさせてくれる。そこで手紙の送り主が本当は何を考えているかを
 しっかりと伝えてくれる。文章に人柄は表れる。その人柄が文字に
 なっていない言葉を伝えてくれる。その奥深さが面白い。

 4人の男女が中心に据えられているけれど、私の中での中心人物は
 あくまでもふたりだった。20年という歳月の中で、
 お互いに想い合いながらも、一緒になることのないふたり。
 お互いのタイミングのズレや、ちょっとした遠慮が読んでいて
 切なくてたまらないけれど、今なら、大切だから一緒にいられない、
 という選択肢があるのだと納得することができる。想い合っていても
 こういった波長が合わない二人は「縁がない」のだと思う。
 だから、20年という歳月を経て、緩やかに向き合えるようになった
 ふたりの友情や、肩の力を抜いて一緒に過ごせるような存在を見つけた
 四人それぞれの人生を暖かい気持ちで見ることができた。