のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

もうすぐボーナスですもの。

2007年11月24日 00時54分16秒 | 日常生活
本日からの三連休、本当は友人と東京へ旅立つ予定でした。
しかし、予約に失敗し、延期することに。
旅行に向けて高めた気持ちがおさまらず、友人と買い物へ。
旅に出るつもりでしたもの!今日は買うぞー!!!


・・・エンジンがかかりすぎました。
きらめく街の様子に物欲が刺激されすぎました。
わーん!買いたいものが多すぎるー!!
脳みそ大興奮。胸が高鳴りすぎて、息苦しくなりました。
「とりあえず、落ち着け。」
と友人にストップかけられました。

・・・その前に、散々「買っちまえ。買っちまえ。けけけ。」
と、そそのかしてたくせにー!
誰のせいでエンジンがかかったと思ってるんだー!!

いたるところで惑わされ、その度に
「うー。欲しいー。」と身もだえし
店員さんに「試着してみませんかー?」と甘い声で誘われ
「着てしまったら絶対に欲しくなるっ。
 せめて、もう少し絞り込んでから試着せねば。」
と、一生懸命自制心を働かせて、歩き回っていたところ
福岡の街にチャイムが鳴り響きました。

あれ?これ、何のチャイム?
チャイムなんて、鳴ったっけ?
と、怪訝に思いながら、時計を覗き込み、
動揺のあまり、思わず店内で叫んでしまいました。


は、八時ぃ?!
ど、どゆこと?
さっき、途中休憩のおやつを食べて
後半戦のための体力を補ったばかりなのに。
八時ってことは、もう閉店?もう一日の終わり?
そんな馬鹿なーーーーーーーーー!!

「うぎゃ」と叫んだまま、固まったのりぞうを
不思議そうに見つめる友人に確信を持って時間を尋ねてみました。
今の時間を聞いたら、友人だって叫ぶと思う。
絶対にこんな時間だっていう自覚はないと思う。
なんなら、のりぞうの時計を疑うと思う。

「・・・・え?もしかして、もう結構、時間経ってるの?
 もしかして、もう18時ぐらい?」

ほらね。やっぱりね。そうだよね。
そんな時間感覚だよね。
一言も発することなく、ただ腕時計を差し出すのりぞう。
「はぁぁっ?!」と叫ぶ友人。

うん。気持ちはすごーーーーーーーーーく分かる。

「絶対におかしい。そんなわけないやん。
 だって、さっき、おやつ食べたやん?
 あたし、今、のりぞうがものすご驚いとったけん
 そんなに遅いったいと思って、さばを読んで18時って言ったとよ?」

うん。気持ちは本当にすごーーーーーーーーーく分かる。

ていうか!どーするよ?!
迷いに迷って、判断を後回しにしてきた数々の品物は!
試着するかどうかで迷って、
今から試着の旅に出るはずだったこの気持ちは!
もう気に入ったものは全部、買ってしまえ!
という気分になっていたこの胸の高鳴りは!
色々と見て回って、購入決定の判断を下し
これから回収予定だった品物の数々は!

名探偵が謎を解明して事件関係者を呼び集め、
さあ、いよいよ犯人を名指しするぞい!というところで
乱丁のため、いきなりあとがきに飛んでしまったようなそんな気分です。
・・・え?説明が回りくどい?動揺してるからね!
不必要に説明も長くなるっつーの!
あまりの尻切れトンボの買い物騒動に
変なテンションになって、きらめく街で笑いこける妙齢のオンナ二名。

「私、基本的に自分をものすごく信じてるの。
 時間の感覚も滅多に狂わないの。
 やけん、未だに3割ぐらいは時計が狂っとるって思っとうけん。」
と、きっぱり言い放つ友人。
うん。そういうオトコマエなところ、大好きよ。
でもね。あそこの店もそこの店も次々にシャッターが下りてるから・・・。

あまりに気持ちが高ぶりすぎていた上に
購入決定していたものが全く回収できていないため
明日も集まることが決まりました。
一晩眠ったら、気持ちが落ち着いちゃうかもしれないけれど。
その一方で、かかりすぎたエンジンが暴走して
コントロール不可能になる可能性も否定できません。

危険な勝負に明日、挑みます。

別れる間際に友人がぽつりとこぼしました。
「なんていうか・・・・
 福岡にいても、時間の経過を忘れるぐらい楽しめてるって
 すごいよね。うちら、何歳よ?」


・・・ええ。
本日のワタクシの興奮状態は
確実におもちゃ売り場のちびっこと同じでございます。

冬の恒例行事

2007年11月23日 22時57分12秒 | 日常生活
街に出て、至るところにあふれるクリスマスの風景に
オトメ心をすっかり刺激され、帰宅早々、部屋をクリスマスに変えました。

去年までのコレクションに
本日、新しく購入したクリスマスカードを新たに加え
狭い部屋のどこにこれだけのクリスマスグッズを飾れるか
ためつすがめつしながらの一時間。
ようやく全てを飾り終えました。
たった一部屋の狭い部屋ですが、
玄関からトイレ、部屋の四隅全てまでどこもかしこもクリスマスだらけ。


・・・・幸せ。

のりぞうのあまりの興奮ぶりに、本日、一緒に過ごした友人からは
「クリスマスを楽しむエキスパート」とまで言われました。
この季節は寒さのあまり、常に引きこもり一歩手前ですが
ほかほか気分は他の季節の何倍も味わえる大好きな季節でもあるのです。

クリスマスプレゼント

2007年11月21日 00時35分01秒 | 日常生活
珍しく、夜に母親からの電話。
家族そろって、滅法、夜に弱いため、電話は朝か昼にしかかけない。
それなのに夜の電話。
これは何かあると思い、慌てて掛けなおしたところ
興奮気味の母親から私が小学校六年から大学半ばまで
お世話になっていたピーター先生が日本にいることを聞いた。

私とキリスト教との出会いは幼稚園の頃。
教会付属の幼稚園に通ったことがきっかけだ。
私はその幼稚園が大好きで、卒園後も教会に通っていた。
けれど、家族でただひとり、日曜日に教会に向かうのが面倒になって、
小学校二年ごろには、いつしか教会から離れていた。

それから数年経って、父親の仕事の都合で福岡市に引越し
そこで再び、キリスト教と再会を果たす。
小学校の校門前でもらった一枚の紙に書いてあった
「教会に遊びに来ませんか?」という言葉。
その言葉を見て、私は学校から帰ってすぐ、母親に
次の日曜日に教会へ行きたい、行ってもいいかとお願いした。

あの頃、いや、あの頃に限らず、今も
私は宗教に頼りたくなるほど、深刻な悩みを感じたことがない。
宗教と劇的な出会いを果たしたわけでもない。
衝撃的なきっかけがあったわけでもない。
あったのは、楽しくて大好きだった幼稚園の頃の思い出と
その幼稚園の思い出とセットで蘇る教会学校の記憶。
小学校の前で配られていたちらしを見て
ふと、その記憶が蘇って、懐かしくなっただけなんだと思う。

そんな軽い気持ちで再び通い始めた教会は小さな小さな教会で、
子どもも大人も少なかったため、私も妹も関わったみんなに
思う存分、かわいがってもらった。
家族でも親戚でもないのに、思う存分かわいがってくれ
自分の全てを好意的に受け止めてくれる大人の存在が
あの頃の私にとって、どれだけ嬉しく、頼もしいものだったか。
毎週日曜日に聞くお話や歌がどれだけ楽しかったか。

そして、私はそこで、ピーター先生とマリア先生という
カナダ人宣教師夫妻と出逢った。
いつも笑顔で穏やかなピーター先生と
ちょっぴり厳しくて、明るくて、声の美しいマリア先生。
ピーター先生の深みのある声で聞く優しく穏やかな説教は
「楽しい」だけで通っていた私に、確実に変化を与えたし
マリア先生の伴奏で賛美歌を歌う時間は
礼拝の中で最も好き時間だった。

中学校2年から3年にかけては週に一度
ピーター先生とふたりで聖書を読む時間を持ち
ふたりで聖書のこと、信仰のことについて語り合った。
その頃の私は「神様はいるな」と信じていたし、
「いつかはクリスチャンになりたい」とも思っていた。
けれども自分の信仰にはまったく自信がなく
「今はまだそのときではないな」とも思っていた。
そんな曖昧な気持ちで、でも教会と離れることなく過ごしていた私に
業を煮やすことなく、そしてバプテスマを強制することもなく
ただ、一緒に祈り、一緒に聖書を読み、一緒に話してくださった先生。
それがピーター先生とマリア先生だった。

いつかはバプテスマを受けたい。
そして、そのときはピーター先生に立ち会ってもらいたい。
できれば、結婚式もピーター先生にお願いしたい。
あの頃の私は漠然とそんなことを思っていた。
結局、どちらもかなわなかったけれど。

私がクリスチャンになる前に、ピーター先生とマリア先生は
数十年を過ごした日本を離れ、故郷カナダに戻ってしまわれた。
私にとって、特別な思い入れと大切な思い出がある人たち。
私の部屋にまるで自分の祖父母のように何枚も写真を飾っている
大好きな人たち。その人たちが日本にいるという。
私たちのことを忘れず、電話をくれたという。

喜び勇んで、電話をかけなおし、数年ぶりに聞いた大好きな声は
全く変わっていなかった。
声を聞いただけで、おふたりの姿がまざまざと瞼に思い浮かんだ。
相も変わらず、あったかくて深みがあって、凛とした響きで
私がバプテスマを受けたことを話すと、すぐに
「ハレルヤ!」と喜んでくれた。

今回の来日期間は短く、どうにも直接会う時間は取れそうにないけれど
でも、こうやって声が聞けて、私は幸せでした。

神様、ありがとう。ありがとう。感謝します。
お二人と出会えたことを。
声だけではあるけれども、再会も果たせたことを。
今年一番のクリスマスプレゼントでした。

吉永小百合・知られざる母への思い

2007年11月18日 22時27分19秒 | テレビ鑑賞
■日曜21時「NHKスペシャル」にて放映。

人格は表情に、外見に如実に反映されるのだと思い知らされた。
凛とした美しさ。
品のあるたたずまい。
落ち着きのある耳なじみのよい語り口調。
美しいのに親しみ深い。
親しみ深いけれども、神々しい。

天分の美しさを持って生まれたにも関わらず
いや、持っていたからこそ、「女優」として
私には想像もつかないような多くの悩みや苦しみを抱えることになった人生。
「サユリスト」なる男性が多く現れ
男女問わず「理想の女性」としてあがめられもてはやされてきた苦悩。
その中で奢ることなく、自分を見失わずに生きたいと願った
彼女の女性としての普通の感覚が痛々しい。

周囲に振り回されることなく、自分にできること、
自分がしなければいけないこと、自分がしたいことを
模索することはとてつもなく難しい。
流れに身を任せたほうが随分と楽に生きていけるだろう。
けれども、彼女は流れに逆らって自分と向き合った。

その強さ、その潔さが現在の気品ある佇まいにつながっているのだと思う。
だから今なお、彼女は「別格」として存在し続けているのだな、と
彼女の姿を追ったドキュメンタリーを見ながらしみじみと思った。

ちなみに私には辛口のおばがいるが、その辛口のおばも
吉永小百合さんについては、好意的に表現している。
彼女いわく
「若い頃は、どこがいいのかちっとも分からんかったけど
 今は本当にきれいやねぇ。やけん、数十年前から
 「さゆりすと」として彼女を追いかけとった人のことは
 「見る目がある人やったんやね。」っち、尊敬しとんよ。」
とのこと。


・・・ん?
よくよく考えると、好意的に表現されているのは、
吉永小百合さんではなく、どちらかというと「さゆりすと」?
まさか、さゆりすとの方々も
こんなふうに九州の片隅で尊敬されているとは思うまい。

ギフト

2007年11月17日 20時50分44秒 | 日常生活
昨日は会社の先輩と、会社の先輩を通じて知り合ったわくさん(仮名)と
三人でお食事会でした。
久々の再会だったわくさんと手を取り合って再会を喜び合いました。
わくさんとは、会社の先輩を通じて知り合ったものの
三人でお食事するのは今回が初めて。お互いにお互いの結びつきが
よく分かっておらず、前半はわくさんものりぞうも質問しっぱなしでした。

わくさん「会社ではおふたりは同じ部署なの?」
のりぞう「違います。会社では関わりあうことがないんです。
     仕事で会話したこともありません。」
先  輩「いや、確かに関わりはほとんどないけど、
     仕事の会話をしたことも何度かあるよ。」
のりぞう「え?ありましたっけ?ないですよー!!」
先  輩「いや、あるって!ほら、一緒に試験受けたやん。」
のりぞう「・・・試験?はて・・・・?


     あ!!ありましたね!そんなことも。
     ありました、ありました。仕事で会話したことありました。」

わくさん「部署の飲みも一緒に行ったことあるの?」
先  輩「いや、部署が違うけんねー。
     一緒に飲むなんてことがほとんどないんよ。
     でも、一回だけ、のりぞうの部署と俺の部署とで
     飲みに行ったことがあるっちゃんね。」
のりぞう「そんなこと、ありましたっけ?ないですよ!
     部署で一緒に飲みに行った記憶なんてまったくないんですけど。」
先  輩「いや、飲みに行ったことあるって。」
のりぞう「えー?ないと思うんですけど。
     ちっとも覚えてないんですけど。」

・・・のりぞうが記憶からいろんなことを消去して
生きていることがよく分かりました。

「忘れる」ことは、人間に与えられた大切な能力のひとつです。
でも、のりぞうに与えられた「忘れる」能力は強大で
自分でコントロールすることすらできません。

玻璃の天/北村薫

2007年11月17日 20時01分54秒 | 読書歴
■玻璃の天/北村薫
■ストーリ
 昭和8年東京。経済界の一翼を担う良家に生まれた少女・花村英子と
 その家のおかかえ運転手・ベッキーさんこと別宮。日常に潜む謎に
 心を痛めた英子がベッキーさんにアドバイスを求めるミステリ短編集。
 「街の灯」の続編。

■感想 ☆☆☆☆
 戦争の影が色濃くなってきている日本で、凛としたたたずまいで
 国の行く末を見つめ、自分の信念を持ち続けるふたりの女性の姿が
 大変印象的な作品。
 ジャンルを問われると「推理小説」だが、推理小説が苦手な人にも
 ぜひ勧めたい。

 作者、北村さんが、今、この時代に、書かなければ、と思って
 書いた作品なのではないかと思う。
 昭和8年の東京を舞台に選び、ヒロイン達に日本が選んだ道を
 しっかりと見届けさせる。自分の信念と向き合い、言葉にすることで
 国が進んでいっているであろう道と、自分が進みたい道との違いを
 真摯に考え抜くヒロイン。
 彼女のまっすぐな瞳が、思慮深い表情がまぶしい。

 三篇通してのテーマは「公」と「私」の関係。
 私達は「自分だけ」で生きているわけではない。
 日本という国に守られて生きている。
 だから、私達には日本の未来について、将来について、真剣に考える
 義務がある。しかし、それと同時に、私達には「自分の幸せ」を
 追求する権利もある。国には国民ひとりひとりを幸せにする義務がある。
 ひとりを幸せにできずに、多くの人を幸せにできるはずがないと思うのだ。

 あの時代。急速に何かが変わっていったあの時代も、きっと 
 みんなは自分の幸せだけではなく、自分達の子供達の幸せを願っていた。
 自分の幸せよりも国の将来を優先させた志の高い人もたくさんいた。
 それなのに、よくわからない何かに巻き込まれてしまったあの時代。
 私には結局、「公」と「私」の関係はよくわからない。
 あの時代を俯瞰的に捉えることもできないでいる。

 しかし、英子は時代に対する違和感を放置しない。
 どこに違和感があるのかを見据え続け、考え続ける。
 その強さは、北村作品のヒロインが共通で持っている魅力であり
 私はその強さに背筋を正してもらうため、北村作品を読むのだと思う。

デッドエンドの思い出/吉本ばなな

2007年11月17日 19時27分24秒 | 日常生活
■デッドエンドの思い出/吉本ばなな
■ストーリ
 つらくて、どれほど切なくても、幸せはふいに訪れる。
 かけがえのない祝福の瞬間を鮮やかに描き、心の中の宝物を
 蘇らせてくれる短篇集。

■感想 ☆☆☆
 短編集が苦手だ。
 本を読むとき、登場人物のひとりに想いを重ね、作品世界の中に
 入り込んで読む癖がある。しかし、短編集はどうしても短いが故に
 作品世界に入り込む前に終わってしまうことが多い。
 そのため、読み終わったときに消化不良を感じてしまうのだ。
 だから、好きな作家さんの作品でさえ、あまり短編集は読まない。

 しかし、ばななさんの作品に関しては、いつも、
 誰かに想いを重ねるのではなく、「自分」のまま、客観的に
 登場人物たちが織り成す関係やそこで発生する感情を
 時に冷静に、時に心を痛めながら、それでも「第三者」のまま
 読んでいる。
 それは、私が彼女作品に求めるものがストーリではなく
 彼女独特の言葉の使い方、気持ちの表し方だからだろう。
 曖昧で表現が難しい気持ちを、具体的に
 「そうそう!そういうこと!」
 と手を取ってぶんぶんと振り回したくなるぐらい
 ぴったりとした表現で言い表してくれる彼女の表現力はこの作品でも健在。

 特にドラえもんとのび太の関係を繰り返し例に出して述べた
 理想の愛の形は印象的。日の当たる縁側でどこにでも手に入るような
 高級ではないドラ焼きをふたりで頬張って、昼寝をする二人。
 会話がなくても笑顔で横になっている二人。
 安心して、関係を築きあっているドラえもんとのび太の姿は
 確かに私達の世代にとっては「小さい頃から今まで見慣れてきた姿」で
 「日常の幸せ」をもっとも具体的にビジュアル化したものとして
 提示しやすいんだろうな、「永遠」を彷彿とさせるんだろうなと共感した。

 黄金に輝く秋の風景が美しい表紙といい、
 静かに穏やかに続いていく人間関係への憧れを書いた作品たちといい
 秋の切ない季節にぴったりのお話だと思う。

斬られ権佐/宇江佐真理

2007年11月17日 18時57分09秒 | 読書歴
■斬られ権佐/宇江佐真理
■ストーリ
 惚れた女を救うため、負った八十八の刀傷。
 江戸・呉服町で仕立て屋を営む男は、その傷から「斬られ権佐」と
 呼ばれていた。権佐は、救った女と結ばれ、兄貴分で八丁堀の与力
 数馬の捕り物を手伝うようになる。押し込み、付け火、人殺し。
 権佐は下手人が持つ弱さと、その哀しみに触れていく。
 だが、権佐の体は不穏な兆しを見せ始めていた。

■感想 ☆☆☆*
 江戸時代を舞台に、ただひとりの女を愛し続けた無骨な男と
 そんな男の気持ちに揺さぶられた女の胸に迫る愛の話。

 自分より年上で、美人、学があり、「医者」という生涯をかけて
 全うしたいと決めている職業があるあさみ。
 だから彼女は数多くの縁談話も全て断り続ける。
 そんな彼女を小さい頃からずっと「ただひとりの女」として
 憧れ続けてきた権佐。
 彼は自分ごときが彼女に釣り合うわけもない、と
 思いを口にすることもなかったが、命がけで彼女を守った縁で
 添い遂げられることになる。

 所帯を持っても、妻を「ただひとりの人」として、見つめ続け
 どこかで「自分がこんな体になったから、一緒にいてくれるのではないか」
 と妻に対して引け目を感じ続ける権佐の想いが切ない。
 また、普段は理知的で、少々冷淡に感じることもあるあさみが
 そんな夫の想いにちゃんと気付いていて、何度も何度も
 「私はあの人におっこっちれたんですよ。」と言葉を尽くす姿も切ない。

 夫婦なのに、添い遂げているのに、それでもお互いの気持ちを
 伝え合えない二人。どこかに遠慮がある二人。
 そして、強く強く想いあっている二人。
  
 先日の新聞に「結婚を漢字一文字で表すと?」というアンケートで、
 60代の男女が一番多く回答した漢字は「忍」だという記事が掲載されていた。
 日本人はどこか照れ屋だ。年を重ねれば重ねるほど、
 こういったアンケートに「愛」とか「美」とか美しい漢字を答えることは
 できないだろうな、とは思う。

 けれども、照れることなく「絆」とか「縁」、「情」といった
 永い深い想いを表す意味のある漢字を思いつけるような人に
 出逢いたい。この作品を読んでそう思った。