のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

キューティ・ブロンド/2001年米国

2014年03月11日 10時02分10秒 | 映画鑑賞
□キューティ・ブロンド/2001年米国
□監督:ロバート・ルケティック
□出演
リーズ・ウィザースプーン、ルーク・ウィルソン、セルマ・ブレア

□ストーリ
 エル・ウッズは、ブランド・ファッションで身を固めた女子大生。
 大学ではファッション販売促進を学び、社交クラブ、デルタ・ヌーの会長もこなす。
 卒業間近となったある日、エルは「ブロンド女は議員の妻にふさわしくない」という
 理由で彼氏のワーナーから別れを告げられる。
 「弁護士だったら、議員の妻にふさわしいはず!」と考えたエルは一念発起し、
 ワーナーと同じ大学のロー・スクールに入学するが、なんとワーナーは既に
 幼馴染のヴィヴィアンと婚約をしていた。

□感想 ☆☆☆☆☆
見るたびに元気になる大好きな映画です。
私がこの映画を愛してやまないのは、ヒロインであるエル・ウッズの無邪気さ、天真爛漫さ故だと思うのです。彼女には邪気がないし、いついかなるときも自分に正直で、自分の可能性を信じている。「何かを手に入れるために、何かを諦める」なんてことは、エルの思考回路として存在しないのです。あるがままの自分のままで、欲しいものを手に入れていく。そのための努力は厭わない。けれど、あまりに自然体で「努力をしている」ようにはまったく見えない。そんな彼女のポジティブな連鎖反応が私に爽快感を与えてくれるんだろうなな、と思います。
元気な人を見ていると元気になる。笑顔が笑顔を増やす。勿論、押し付けがましい「元気」や「ポジティブ思考」は時として人を傷つけることもあるけれど、エル・ウッズの元気さや傍若無人ぶりは、いつだって「自分」の範疇におさまることのみ。いつだって他人の評価を一切気にしないため、一見、何も考えず、傍若無人でいるように見えるけれど、実は「自分以外の人間」が関わると、そっとその人に寄り添ってあげている。
だから「秘密にして」とお願いされたことは、たとえ自分の出世や成績に関わってくることであっても、秘密にし続ける。「信じられる」と思ったことであれば、どこまでも信じる。「ついてきてほしい」と頼られれば、そのときは自分に関係ない場所であっても、友人と一緒に出向いていく。

だから彼女の周りには人が集まってくる。
彼女の女子大時代のエピソードは映画の冒頭、10分ほどしか触れられません。けれど、そこで示された「社交クラブ、デルタ・ヌーの会長をしていたこと」や「彼女の誕生日をみんなが心から祝っていたこと」、「彼女の恋の行く末を女子大の友人たちが固唾をのんで見守っていたこと」は、どれも彼女のキャラクターを端的に表していて大好きなエピソードです。
でも、やっぱり一番好きな場面は卒業式。卒業生代表として登壇したエルがスピーチを行う場面です。
「人を信じること、そしてもっとも大切なことは、常に自分を信じることです。」
と、明るくにこやかに力強くスピーチするエルは、軽やかにかっこよく、私もこんなふうに肩に力をいれることなく、でも、きちんと努力できる人になりたいなぁ、と思うのです。

蛙の子どものそのまた子ども

2014年03月10日 23時20分48秒 | 日常生活
父上の誕生日に飲み会が入ってしまったため、
お誕生日プレゼントとして、父上の愛してやまないワインと
父上の愛するかりんとうを上納しました。

ちょうど夕食終了時に帰宅したため
上納と同時にかりんとうの袋を開けて食べ始める父上。
喜んでいただけたみたいで何よりですよー。

と、食後の珈琲を入れていた母上(これまたかりんとう愛好家)も
テーブルに着き、かりんとうに手を伸ばしながら
「よかったねぇ。誕生日が来て。
 『ありがとう』って言った?」
と父上に尋ねました。

「うん。」と答える父上。

うそつきー!
うそつきさんがここにいますよー。
おもむろに手を伸ばして、おもむろに袋を開けて
おもむろにかりんとうを食べ始めてましたが
その間、一言たりとも言葉を発していませんよー。

「『ありがとう』は言わないけんのよー。
 はい。『ありがとう』」
と父上に迫る母上。

「うん。」と答える父上。

「違うでしょ!『ありがとう』。」

「うん。」と改めて頷く父上。

頑ななまでの拒否。
きっとね、生まれた時に悪い魔女が訪れて
人生で「ありがとう」という言葉を使ったら
とんでもないことが起こるよ的な予言をしたんだと思うんです。
もしくは、会社員時代に一生分の「ありがとう」を使い果たしちゃったか。
そのどちらかしか考えられません。

ただ。
わが母上も「あきらめない」ことにかけては
右に出るものがいないのです。(家族限定。)

「はい!『ありがとう』!」
執拗に迫ります。

「×××××」

言った!
言いましたよ!母上!
早口、かつ小さな声ではありましたが、
あの!父上が!ついに!「ありがとう」を言いましたよー!
父上の「うん。」「うんや。」以外の言葉を久々に聞きましたよー!

「なんて?聞こえんかった。なんて?」

・・・スパルタだな。

「ありがとう。」
「はい。よろしい。」





そういえば。
今朝、どこかで同じような光景を見たなー、ということを思い出しました。
あれは、確か御年2歳の甥っ子君が我が家にやって来て
「おかし!おかしくだしゃい。」と言い出したときだったっけ。

最近、「ここにお菓子がある」と覚えてしまった甥っ子君は
我が家のおやつボックスを開けて自ら「こえ、食べゆ。」と要求。
母上に「はい。一個だけよ。」と言われたのに
結局、両手に1個ずつ持って手放さず、妹さんから
「あら?何か言い忘れてない?」と指摘され、
「ばあば。ありがと!」と満面の笑顔をふりまいてました。
でもって、妹さんから「はい。よろしい。」と言われてました。


「還暦」とは、
「60年で干支が一回りして、再び生まれた年の干支にかえること」
なんだとか。
つまり、御年62歳の父上は、干支一回り後の年齢が
甥っ子君とほぼ同い年になるわけで。
なるほどねー、と納得したのでした。

寒いけどあったかい

2014年03月08日 23時20分40秒 | 教会生活
ずっとずっと目をそらしていた体重計に覚悟を決めて、えいっ!と飛び乗ったところ、
「やっぱりね・・・わかってはいたんだよ?」というような数字を指し示されました。
分かってたから、ずっと目をそらしてたんだよー。
でも、分かってても、やっぱりショックだよー。というような数字。

とりあえず、歩こう!と健気に寒空の中、お散歩に繰り出したところ、教会友達に遭遇し、
思わず「わあ!!お久しぶりですー!」と、道の真ん中で手に手を取り合いました。
なにせ2週間も教会から遠ざかっていたのです。
教会を思い出させるものだったら、なんでも懐かしい。そんな気持ちです。

また、教会友達がとてもあたたかくいたわってくれるのです。
「おじいさまを亡くされたって聞いたわよ。大変だったわね。」
思わずほろりとし、改めて教会友達の手を握りなおしました。
あったかい・・・。

でもですね。95歳を迎えようとしていましたから。
大往生ではあるんです。

とお伝えすると、教会友達は静かに首を振りました。

「みんな、そう言うでしょ?
 大往生でよかったね、とか、
 それだけ長生きできたんなら幸せだったね、とか。
 でも、違うのよ。
 それだけ長生きしたんだもの。
 長生きした分、残された人は思い出がありすぎてより一層、寂しいのよ。
 あんなこともあった、こんなこともあったって思い出すことがたくさんありすぎて
 これからもっともっと辛くなったり、寂しくなったりすると思うの。
 だからね、お母さんやおばさんたちのことをちゃんといたわってあげなさいね。」

心にすとんと落ちる言葉でした。
「確かになぁ・・・」と胸に迫る言葉でした。

私もこんなふうに、誰かに心を寄せられる人になりたいな、
こういうふうに人に寄り添いながら年を重ねていきたいな、と思いました。

周知の事実

2014年03月05日 07時48分53秒 | 日常生活
1月に受けたふたつの試験のうち、ひとつは先月中旬に戻って来ていました。
まあ、予想通りの惨敗ぶり。

おかしいな。
私、曲がりなりにも文系だったのに。
異国語にもそんなに拒否反応を示してなかったはずなのに。
IT業界の片隅でカタカナやアルファベットの略語やらに囲まれて過ごすうちに
いつの間にやら、横文字に対する苦手意識がえらいこと強くなっちまいましたよっと。
なんであれ、適量が一番ですよっと。

とは言え、好きだったら、過剰摂取ばっちこーい!で全部吸収してるのです。
(テレビ番組や俳優さんの名前は、求められてもいないのにめちゃ覚えているのです。)
結局は「その程度の興味」だったわけで。

とりあえずは
また4月にがんばろ。
と問題を先延ばしにしたのでした。

で、昨日。
隣の部門の先輩がもうひとつのほうの試験結果を教えてくださいました。

「のりー!受かっとったよ!おめでとう!」

やったー!!
やったよー!!
こちらの試験は、私にしては、ほんの少し頑張ったのですよー!
かき集めた努力が(かき集めた結果がほんの少し)報われてよかったー。

と大喜びしたところ、先輩から
「何言ってるの!
 のりーにしては、めっちゃがんばったよ!
 奇跡的ながんばりだったよ!」
と力を込めて褒められました。


・・・どんだけ「がんばらない」姿勢が定着してるんだか。
でも、「がんばらない」が定着してるからこそ、
少しがんばると、こんなにも盛大に褒めてもらえるわけで。

がんばらないでいるもんだなぁ、と嬉しくなったのでした。

猫を脱いで馬脚を現す

2014年03月03日 21時35分09秒 | 日常生活
2回目のウォーキング練習に参加しました。
今回のウォーキングは約25キロと前回より5キロほど少ないんだとか。
そのうえ、今回は確実に前回よりあったかいのです!春到来バンザイ!
お昼はかねてより幼馴染が
「あそこ、美味しいものが多くて好きなんよねー。」
と言っていた道の駅「とと市場」。期待は高まるばかりです。

今回の練習で、自分なりに設定している目標はふたつ。
 その1 誰かと一緒にゴールを切る。(自分勝手な行動は慎む。)
 その2 ごはんを美味しく食べる。(疲れなんかに負けない。)

というわけで出発!

30分後。(30分も経ってたかな・・・。もしかすると20分後ぐらい?)
隣を歩く幼馴染に早速、弱音を吐きました。
「今日ね。ダメっぽい。すでにきつい気がするんだけど・・・。
 不調です。どう考えても不調ですよー。
 後半、確実に弱音ばかり吐いていると思うんで、
 いざとなったら往復ビンタをお願いします。」

・・・弱音を吐くタイミングがどう考えても早すぎる。
なにせまだ1回目の休憩にも至っていないのです。
30分歩いたか歩いていないかの距離なのです。
30分って、通勤時に歩いているぐらいの距離ですからね!
と、自分で自分に呆れ果てましたが、きついものはきついのです。
きついとなったら、きついのです。
私に根性なんてものは備わっていないのです。(きっぱり。)

しかも、いつだって穏やかな幼馴染は私の弱音なんて軽々と受け止めてくれるわけです。
「大丈夫、大丈夫。それ、気の持ちようやけん。
 『きつくない。きつくない』って言い聞かせとったら大丈夫。」

ええ子や・・・。とホロリ。
したはずなのに、1回目の休憩時間では、その幼馴染に八つ当たり。
座り込んだすぐ傍にあった幼馴染の足を「えーい!きついわー!」
と思いっきりはたきました。
ひどすぎる。と自分でもどんびきしましたが、穏やか幼馴染は
それでも動じることなく「八つ当たりやろ?」とこれまたにこやかに受け止めてくれました。
もしかして、天使なのかな。

というわけで。
かなり早い段階で弱音を吐き、
(吐くだけにとどまらず八つ当たりをし)

今回も安定安心のひとりウォーキングを楽しみ、
(でも、今回は私の目標を知っているウォーカーの先輩方が追いかけてくれました。
 優しい・・・。というわけで目標その1は達成です。達成ったら達成です。)

海沿いの雨風に身も心も震えながら、
(前回よりあったかいと思って油断しまくりの格好だったのです。
 誰だ!ぬくいと思い込んだ奴は!と怒り心頭でしたが、もちろん、自業自得です。)

ウォーカー先輩が念のために持ってきていた上着を最後まで借り、
(危うく持って帰りそうになりました。ぬくぬくなんだもの。)

「とと市場」であったかお味噌汁と珈琲に体の中から慰められ
(あったかいって偉大!と心底思いました。
 美味しくお味噌汁を飲んだので、目標その2も達成☆←自分にはとことん甘い。)

坂道での向かい風に真剣にキレ
(キレた結果、猛ダッシュし始めた私を見たウォーカーの先輩方からは
 「暴れ馬みたいだったよね。」と笑われ、
 「のんちゃんが短気だってことがよく分かった。」としみじみ納得され
 「誰か手綱引いてやらんないかんのやない?」と心配までされました。
 しっかし、人生で例えられたことのある動物が「ワニ」に「オオカミ」に「暴れ馬」。
 世の中には「リス」とか「ウサギ」とか女子御用達の動物が無数にいるはずなんだけど。
 周囲の方々にどれだけ獰猛だと思われてるんだっつー話です。)

最終的にちょっとしょんぼりしながらゴールに到着しました。
(でも、ゴール直前でキャプテンに「歩き方の姿勢がいいね。」と褒められたので
 テンション持ち直しました。褒め言葉は120%に増量して受け止めます。)

つーかーれーたー!!
今回、びっくりするほど、きつかったー!!

でも、よくよく考えると、このへたれっぷりが私の通常運転なのです。
たった1回程度、拍子抜けするぐらいあっさりとウォーキング練習を楽しんだからって
「ひょっとして、私の特技ってウォーキングなんじゃないの?」
と調子に乗っていたあの頃の私を思う存分に叱りつけてやりたい。
慢心はダメー!
油断もダメー!
油断大敵、火事の元!

そもそもね。
心の余裕がなくなると、てんで猫なんてかぶれなくなっちゃうわけです。
で、被ってた猫を脱いだら、暴れ馬が出てきちゃった、と。
周囲の方々(特に幼馴染)へのご迷惑はまさに火事レベルです。

次回のウォーキング練習は、褌を締め直して参加します。
とりあえず、ウォーキングシューズは早急に購入しようっと。

2014年2月の読書

2014年03月01日 23時11分31秒 | 読書歴
久々に小説を読みました。面白かったな。
やはり私は基本的にノンフィクションより、フィクションが好きなんだよね、としみじみ思いました。
と、言いつつ、今月も小説少なめです。

6.小暮写真館/宮部みゆき

■感想 ☆☆☆*
久々に小説を読みました。宮部さんの作品は、本当に登場人物が暖かく、奇をてらわず、まっとうに人に寄り添ってくれるので、「小説読むには少し疲れてるんです。」という今の私の状態にも穏やかに寄り添ってくれました。登場人物たちがみなお互いにお互いを思いやりあっていて、その描写がとても居心地の良い作品でした。悲しみや傷を抱えているのに、その痛みに囚われず、前を向く主人公の両親の強さに心を打たれました。彼何が大切なのかを迷わない強さ、「大切にする」と決めたものを守るためにしがらみを断ち切る潔さが素敵な両親でした。それだけに、それほどの強さをもってしても、今なお痛みを「過去の出来事」にできず、ふとした拍子にその悲しみを見せる両親、特に母親の描写は胸に迫ってきました。いつもは、飄々とした明るさで包み込んでいるからこそ、余計に胸が痛くなってきました。
主人公の家族もお互いを思いやり、いたわりあっていたけれど、主人公の友人も、お世話になった不動産やさんの店主も、傷ついている主人公たちにそっと寄り添う姿が素敵でした。

7.鍵のない夢を見る/辻村深月

■感想 ☆☆☆
読んでいる間中、普段目をそらしている自分の中のエゴや自意識過剰な部分を突き付けられているようで、「わぁーっ。」と叫びだしたい気持ちになりました。「わかるなぁ。」と思う気持ちと、「わかりたくないなぁ。」と思う気持ち、「私にもこういう部分、あるわ。」と思う気持ちと、「でも、ここまでではない気がする。」という気持ち。そんな気持ちが混ざり合って、ごちゃごちゃになり、紐解くのが大変でした。読み終えたときには、疲れ果てていた気がします。どんなに否定しても、女性にはこういう部分があるんだろうなぁ、と思いました。少なくとも、私にはあるなぁ、と思いました。認めたくないけれど。

8.ふしぎなキリスト教/橋爪大三郎・大澤真幸

■感想 ☆☆☆☆
おもしろかったー!そして、とてもわかりやすかったー!
わたし、曲がりなりにもクリスチャンの端くれだというのに、色々と「そういうことかぁ。」と納得しながら読みました。なんとなく理解していたけれど、改めてすっきり整理できたかな。「キリスト教」という宗教がなかなか日本という国に馴染まない理由も分かった気がします。「キリスト教は結局、自分が『信じる』と選んで行動を起こすことを求められる宗教なんだ」という部分に「そうなんだよねぇ。」と深く頷きました。

9.梅咲きぬ/山本一力

■感想 ☆☆☆
深川の料亭「江戸屋」の女将である四代目秀弥の成長譚。きりりと背筋を伸ばして、前のみを見る秀弥がとてもかっこよく、それでいて義理人情を大切にする姿に今の日本には失われた人のぬくもりを思いました。自分にも他人にも厳しい。けれど、自分のための損得勘定を一切せずに周囲に気を配り続ける。「自己責任」ではなく、「お互い様」。面倒なしがらみも多いし、今以上に大変だったんだろうな、この時代の人たちは、とも思うけれど、でも、やはりご近所さんのこういった繋がりは必要だったんじゃないかな、と思いました。
ヒロイン、秀弥が人生をかけたたったひとつの恋が迎えた結末が切なくて、他人事なのに(そしてフィクションなのに)胸が痛くなりました。お互いに思いあっていても、そして、お互いに思いあっていることが分かっていても、報われない。寄り添うことができない。その切なさを思うと、「人生をかけた恋」になんて、出会わないほが幸せなのかもしれない、と思ってしまうのです。

10.たてつく二人/三谷幸喜・清水ミチコ
11.かみつく二人/三谷幸喜・清水ミチコ

■感想 ☆☆☆
仲良し二人組のラジオ番組を構成しなおしたもの。活字なのに、ふたりの息の合った掛け合いが聞こえてきました。実際に聞くと、なお一層面白いんだろうなぁ。関東の人たちが羨ましい・・・と心底思いました。(・・・あれ?もしかして、福岡でも聞けるのかしら?)

12.古道具ほんなら堂/楠章子

■感想 ☆☆☆*
無愛想な大人が媚を売ることなく、でも、決して突き放さず、その人が一番必要としているサポートをそっと(わかりにくく)行う。そんな話が大好きです。おそらく、この人物像の原点は、私にとってメアリー・ポピンズ。ついつい、「分かりやすい優しさ」に目を奪われてしまうけれど、私はぶっきらぼうに、わかりにくい優しさで誰かの傍に寄り添えられる人に憧れます。そういう優しさにきちんと気付ける人になりたいな、と思います。

13.インパラの朝 ユーラシア・アフリカ大陸684日/中村安希

■感想 ☆☆☆
ユーラシア・アフリカ大陸を旅した684日間の記録。「旅先で何をしたか」ではなく、「旅先でどんな出会いがあったか」に的を絞って、描写しています。あまりにも日本と異なる生活様式に、世界は広いという当たり前のことをしみじみと思いました。けれど、別世界のように思えるこの国の人たちの生活も、私たちと関わっているのだということを、今更ながらに知りました。「先進国」と呼ばれる国々の「支援」がアフリカをどんどん変えていく。良かれと思っての支援だけれど、その「良かれ」という判断は、先進国の人たちの価値観による判断で、結局は、何が幸せなのか、どうかかわりあって、どう支えあうのが正しい姿なのか、それ分からないし、「みんなが幸せ」という世界を作るのは本当に難しいんだろうな、と思いました。
人と人とのかかわり方に正解なんて、きっとないのだと思います。けれど、私は彼女が国際協力に関して書いた「評価されない小さなことを謙虚な姿勢でやっていく。もっともっと評価されずに、それでも淡々とやっていく。」という文章に共感しました。そうかもしれないな、と納得しました。日本は常々、国際社会での立ち回りが下手だといわれてきたけれど、それって素敵なことなんじゃないかな、と思いました。支え合うことに他の国々の評価や、国と国のパワーバランスの変化は必要ない。そう思いました。
私はあまりにも世界のことについて、無知すぎるし、無関心すぎるんだな、ということを実感できた本でした。