旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行9 本庄宿~新町宿

2011-08-15 | 中山道紀行

「本庄宿」 08:40
 猛暑が続く旧盆の最中の第9日目、武州路最後の行程を本庄宿からスタートする。
本庄市街には歴史民俗資料館前に移設された田村本陣門を除いて旧い遺構はない。
宿場の西の外れ近くに旧い商家や土蔵が僅かに見られるのみだ。

中山道は、宿場の西端、金鑽(かなさな)神社を右左と枡形に折れ、本庄の町を離れる。
社殿は極彩色うるし塗りの権現造り、本庄祭りでは豪華な山車が曳き回される。

本庄宿を出た中山道はしばらくR17の西側、県道392号線を進んでいく。

「泪橋」 09:20
 泪橋跡碑には「街道筋の住民に課せられた使役は酷く、とりわけ農繁や風雪時期の
使役はなおさらで、人々はこの橋端に憩い家族を思って涙した。」と刻まれている。

「陽春院」 10:10
 中山道は神保原でR17とクロスし、今度は東側を2kmほど並行する。
やがて左手には武田信玄の正室が仏門に入ったというエピソードが残る陽春院を見る。 

「勝場一里塚」 10:25
 中山道は勅使河原北交差点でR17と重なる。交差点の脇には一里塚跡の碑が在る。
緩やかな勾配を上っていくと神流川の堤防。架かる神流川橋は埼玉・群馬県境の橋。
真夏の陽にジリジリ照らされて、結構きつい渡河になる。

左手には高崎線の鉄橋、さらに奥には関越自動車道が川を越えていく。
中山道当時は徒歩渡りだったが、出水時には舟渡しになった。橋を渡り切ると上州路だ。

さてこの辺の神流川は戦国時代の歴史舞台でもある。本能寺の悲報を受けた滝川一益が
北条軍と激突して惨敗、本領伊勢長島に逃げ帰った「神流川の戦」古戦場なのだ。

「新町宿」 11:00
 堤防からの勾配を下りきると上州路最初の宿場・新町宿で常夜燈が迎えてくれる。
中山道は新町検問所からR17を右手に離れ、ここから新町宿に入っていく。
新町は古くから俳諧が盛んで、柳茶屋跡には芭蕉句碑が建っている。

宿場の中心地、明治天皇行幸時に滞在した新町行在所でこの日の行程を終える。
本庄宿から神流川を渡って新町宿までは11.1km。約2時間30分の行程となった。
夏休みシリーズは一旦終了。秋には上州路を碓氷峠めざして進めて行こうと思う。