旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

ストーブ列車で日本酒と焼きスルメと 津軽鉄道を完乗!

2019-02-03 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 ディーゼルが唸るエンジン音とカタンコトンとレールを叩く車輪の音が響いてくる。
まだ到着5分前と云うのに。それだけ真冬の空気が凛として澄んでいると云うことか。 

津軽鉄道はJR五能線と連絡する五所川原から津軽中里までの20キロを往く。
開業の昭和5年から、ストーブ列車は津軽平野の冬の風物詩として走ってきた。 

 

 赤々と燃えるダルマストーブで温い車内から地吹雪の景色を眺める。
戦後まもなく製造された木造客車がなんともノスタルジックなストーブ列車なのだ。 

列車がガタンっと動きはじめたら、さっそく日本酒とスルメを求める。
スルメはアテンダント嬢がダルマストーブの上で手際よく焼いてくれる。
客車いっぱいに立ち込めるスルメの匂いの中、日本酒片手にまったりした旅が始まる。 

 金木駅から徒歩7~8分、太宰治記念館「斜陽館」は太宰の父・津島源右衛門が建てた豪邸。
1907年築、明治期の貴重な木造建築物は、太宰ファンでなくても訪れる価値がある。 

 

 金木駅で団体客が下りると、ノスタルジックな客車はいっそう趣ある雰囲気になる。
祖父と孫のふたり旅が微笑ましい。雪が溶けたら小学校に入学だと云う。
ボクはと云うとアテンダント嬢の小枝さんと歓談、終着駅周辺のランチ事情を教わる。

 

列車は雪の津軽平野を45分ひた走り、北の果て津軽中里駅に終着する。
昭和19年初夏、太宰は五所川原の叔母の家から、一番列車に乗って終着駅に降り立った。 
ここから路線バスに乗って、小泊の国民学校の運動場で乳母の「たけ」に再会する。
小説『津軽』のクライマックスだ。 

 津軽中里から雪道を10分、アテンダント嬢が教えてくれた「やよい寿司」へ向かう。
列車が折り返す制限時間が60分。ちょっと小走りで、雪国で10年余暮らした成果なのだ。 

 

さっそく "そば定食" を注文する。山菜そば、にぎり十貫で800円だから驚き。 
コハダ、ボタンエビ、ズワイカニが入って、美味しい嬉しい満足のパフォーマンス。
大将、ご馳走様です。 

 復路は単行ディーゼルカー「走れメロス号」に乗ってガタゴトと五所川原へ戻る。
日本中津々浦々、ローカル私鉄やJRの支線を走るお馴染みの車両だね。
総じて満足の津軽鉄道の旅なのだが何か足りない?、新幹線の中でずっと気になっていた。
そうだ岩木山が見えなかったのだ。 

津軽鉄道 津軽五所川原~津軽中里 20.7km 完乗

津軽平野