太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

それぞれの真実

2013-07-30 07:56:42 | 日記
ハワイで知り合った、ある日本女性がいる。

彼女は日本でアメリカ男性と恋に落ち、結婚後、ハワイにやってきた。

ふたりの子供に恵まれたあと、夫婦の間がうまくいかなくなり、子供を引き取って離婚した。

今は日本人のボーイフレンドがいる。

「彼は日本人だから私のことをわかってくれるの」

彼女はそう言った。

それは彼女の真実なのだろう。

しかしそれは私の真実とは違う。

前の夫は日本人だったけど、理解しあえなかった。だからといって、

今の夫がアメリカ人だからわかってくれる、とも思っていない。



職場で、あるお客様が

「ハワイはたまに来るにはいいところでも、住むには大変だ」

とおっしゃる。

また別の人は、

「ハワイほど住みやすい場所はない」

と言う。



みんなが、それぞれの真実をもって生きている。

私にもそれはある。

だけど今、私が後生大事に抱えている真実たちを、できるだけニュートラルにしてゆく

という作業に明け暮れている。

なぜならば、ある真実を持っている限り、それを証明するような出来事だけが起きてくることを

身にしみてわかったからである。



「お金が貯まると、ろくなことが起きない」

これは私の母の真実なのだが、母はこれをかたくなに手放さないでいるので、本当にそういう現実が起こってくる。

見方を変えれば、お金が必要になったときに、ちゃんと入用なだけのお金があってよかった、

ということになるのだけれど、母はそうは考えない。



私がニュートラルにしてきた、数々の真実たち。

「お金があったら愛情がなくても仕方がない、愛情があったらお金がなくても仕方がない」

これなどは10年近く前の、初期のころのもので、

「この年になって、いいオトコなんか見つかるわけがない」

これは今の夫と出会う前に手放したやつ。



真実(だと思っていたもの)を手放すのは比較的簡単だけれど、

手放したあと、自分自身をどれだけ信じ続けられるかが難しいのだ。

いったん手放したはずの真実が、実は根っこの所が残っていて、再び幅を利かせているということもある。

世間がいうこと、いわゆる一般常識なら信じられて、

自分のことが信じられない、なんていうのはおかしいと思うのだけれど。






真実(と思っていたもの)を外してゆくと、身も心も軽くなる。

超えられなかった壁が、いつのまにか超えられるようになっていき、

以前なら悩んでいたポイントを、素通りできることもある。


この作業こそが、「心のお掃除」なのではないか。

そして自分の人生を、思い通りに変えてゆくには、心のお掃除なしにはできないのかも。









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