太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

日本人検定

2014-01-12 20:01:35 | 日記
日本人でありながら、茶道も生け花も、残念なことにそのよさがわからない。


高校時代、茶道の時間があった。

一挙手一投足に決まりがあって、5分もすれば私は思い切り立ち上がって

座布団を蹴って部屋を出て行きたい衝動に駆られる。

器を観賞するのはいいが、それほど良いと思えないのに感動したふりをするのはうそ臭い。

そもそも、1千万の茶器ですと言われても、1500円ですといわれても

はーそーですかー、という程度の知識や目なのだから仕方がない。



お茶を3回に分けて飲むのもまどろっこしい。

底のほうに控えめに入っているだけだから、一気に飲み干したい。

出された和菓子を、懐紙をおもむろに出して取り分けて、というお上品さもまどろっこしい。

ぱくりと一口で食べて、ぐぐっと濃茶を飲み干せたらどんなにいいだろう。



生け花は、夫と結婚したばかりの頃に、夫にせがまれて一緒に習ったことがあった。

私は行きたくなかったのだが、日本語がわからない夫だけではダメだといわれたからで、

草月流とかいう生け花教室に半年ほど通っただろうか。


花は好きなので、やってみれば茶道ほどは「キー!」とはならない。

それでも、私の自由に活けられないのでストレスがたまる。

自分で見てきれいに活けたらそれでいいじゃないか、と思ってしまう。



茶道や生け花が苦手なのは、私の自由を奪われるからだけじゃない。

それらの習い事をしていた友人たちから、

「お茶会に着てゆく着物、どうしよう、去年と同じのは着てゆけないし」

といった話を聞いて、背筋がゾゾゾーーーっとした。

発表会などの催しや集まりがあるから、どんな習い事も敬遠してしまう私にとって、

誰がどんな着物を着ているか、笑顔の下で互いにチェックしあっている様子は嫌を超えて恐ろしくさえある。




私はどうしてこうも、決まりで固められることが嫌いなのだろう。

子供の頃からそうだった。

小学校の図画の時間に、画用紙に白い部分が残ったらダメだと言われて反発した。

有名な画家の絵だって、それが好きじゃない人には価値がない。

それなのに、どの絵が良くて、どの絵が悪いと、なぜ先生が決めるんだろうと思った。

だから図画の授業は大嫌いで、それは高校卒業まで続いた。




決まりが嫌いなのに、

それでいて、普段の生活では、決められたことをきっちり守る。

そこに停めれば便利でも駐車違反しないとか、提出するものはきっちり出すとかいったことだ。

なんでも自分の好きにやれるほどの度胸は持ち合わせていないのだ。





「日本の茶道はすばらしいですね。茶道には日本人の心があります」

茶道の本を買われた地元のお客様にそう言われて、私は愛想笑いをするしかなかった。

わびもさびもわからない。

生け花は自分流。

着物も自分で着られない。

パーティで巻き寿司を作ることになったとき(日本人なら全員できると思っている)

ご飯と巻きスに具と海苔がばらばらにくっついたものができあがり、冷や汗をかいた。

(このとき、本土にいる娘に作り方を教えたいという人がカメラを構えていた)




日本人検定があったら、私はまず不合格まちがいなしであろう。







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