太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

善意の人

2014-09-02 07:43:58 | 不思議なはなし
職場で、

「日本語で書かれたジーザスの本、あるかしら?」

と英語でおっしゃるお客様を、宗教のコーナーに案内した。

読ませたい日本人がいるので、イエス・キリストについて書かれた本を選んでほしいという。



キリストについて書かれた本なら、聖書のほうがいいんじゃないかと言うと

「もちろん聖書も買ってゆくけど、でももっと心を動かすような文章で書かれたものもほしいのよ」


その女性の話はこうだ。


72歳の日本人男性がいる。

その男性はとてもお金持ちなんだけれど、ものすごくケチ。

あんな石頭でイエスのことも知らずに死んだら、天国にはいけないから

自分が彼を変えてあげるのだ。


「1ドルだってケチるのよ。使い切れないほど持ってるくせに」


日本語が読めない彼女のために、なにか「心を動かすような本」を探す。

仕事だから探しているけど、心の中では「それは無理だな」と思っている。



他人は変えられない。


すると女性は私の心を見透かしたかのように

「人はなかなか変わらないわよ。変わるかどうかはその人の自由。

でも、変えてあげたいと思うのも人の自由よね」

と言った。



それはそうかもしれない。

変えてあげたいと思う人が、なにかを投げ入れるのは自由で、

それを掴むかどうかも、本人の自由だ。



「でもね、本は強烈よ。1冊の本が、人生を変えることもあるんだわ」

ああじゃない、こうじゃないと言いながら、本を2冊選んだ。

そしてとうとう、私が恐れていたことを彼女は聞いた。


「あなたの宗教は何?」

ここで嘘を言っても仕方あるまい。正直に答える。

「特定の宗教に入信しているわけではないんです」



こういう場面で、この話題になったときに、ほぼ100%の人が見せる表情を、

彼女はしてみせた。

あとのお楽しみで食べずにとっておいた好物が、食べないまま賞味期限が過ぎてしまったのを見たときのような。

濡れそぼって、ぺったんこにやせ細って見えるみじめな犬を見たときのような。




「私は誰?っていう問いかけを、人間はずーっとしてゆくべきよ。

その答えは、ジーザスが持ってる、天国に行くには、そのことを知らなければ」


私はあいまいに笑ってみせるしかない。

私のいる世界にだって私なりに神はいる。キリストだって本当にいたと信じているけれど

私は天国にいくために生きているのではないし、

天国だって、どこかにあるのかどうか怪しいものだ。あるとしたなら

天国も地獄も、肉体の世界も魂の世界も全部いっしょくたにあるといったほうが、私にはしっくりくる。




熱く語る彼女に、うっとうしさを感じつつも

自分がいいと思うもので、人を助けたいという善意に圧倒されもする。

彼女は実際、そのケチんぼじいさんのために、30ドル以上の本を買ったのだ。

私だったら・・・

良いと思うものを勧めたくても、うっとうしがられたら嫌だな、と思う気持ちが先にきてしまって

行動に移すのは難しいだろうと思う。



「本を選んでくれてありがとう、変えてみせるわ!」

元気良く彼女は店をあとにした。

ケチんぼじいさん、変わるかな。






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