職場で、
「日本語で書かれたジーザスの本、あるかしら?」
と英語でおっしゃるお客様を、宗教のコーナーに案内した。
読ませたい日本人がいるので、イエス・キリストについて書かれた本を選んでほしいという。
キリストについて書かれた本なら、聖書のほうがいいんじゃないかと言うと
「もちろん聖書も買ってゆくけど、でももっと心を動かすような文章で書かれたものもほしいのよ」
その女性の話はこうだ。
72歳の日本人男性がいる。
その男性はとてもお金持ちなんだけれど、ものすごくケチ。
あんな石頭でイエスのことも知らずに死んだら、天国にはいけないから
自分が彼を変えてあげるのだ。
「1ドルだってケチるのよ。使い切れないほど持ってるくせに」
日本語が読めない彼女のために、なにか「心を動かすような本」を探す。
仕事だから探しているけど、心の中では「それは無理だな」と思っている。
他人は変えられない。
すると女性は私の心を見透かしたかのように
「人はなかなか変わらないわよ。変わるかどうかはその人の自由。
でも、変えてあげたいと思うのも人の自由よね」
と言った。
それはそうかもしれない。
変えてあげたいと思う人が、なにかを投げ入れるのは自由で、
それを掴むかどうかも、本人の自由だ。
「でもね、本は強烈よ。1冊の本が、人生を変えることもあるんだわ」
ああじゃない、こうじゃないと言いながら、本を2冊選んだ。
そしてとうとう、私が恐れていたことを彼女は聞いた。
「あなたの宗教は何?」
ここで嘘を言っても仕方あるまい。正直に答える。
「特定の宗教に入信しているわけではないんです」
こういう場面で、この話題になったときに、ほぼ100%の人が見せる表情を、
彼女はしてみせた。
あとのお楽しみで食べずにとっておいた好物が、食べないまま賞味期限が過ぎてしまったのを見たときのような。
濡れそぼって、ぺったんこにやせ細って見えるみじめな犬を見たときのような。
「私は誰?っていう問いかけを、人間はずーっとしてゆくべきよ。
その答えは、ジーザスが持ってる、天国に行くには、そのことを知らなければ」
私はあいまいに笑ってみせるしかない。
私のいる世界にだって私なりに神はいる。キリストだって本当にいたと信じているけれど
私は天国にいくために生きているのではないし、
天国だって、どこかにあるのかどうか怪しいものだ。あるとしたなら
天国も地獄も、肉体の世界も魂の世界も全部いっしょくたにあるといったほうが、私にはしっくりくる。
熱く語る彼女に、うっとうしさを感じつつも
自分がいいと思うもので、人を助けたいという善意に圧倒されもする。
彼女は実際、そのケチんぼじいさんのために、30ドル以上の本を買ったのだ。
私だったら・・・
良いと思うものを勧めたくても、うっとうしがられたら嫌だな、と思う気持ちが先にきてしまって
行動に移すのは難しいだろうと思う。
「本を選んでくれてありがとう、変えてみせるわ!」
元気良く彼女は店をあとにした。
ケチんぼじいさん、変わるかな。
にほんブログ村
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と英語でおっしゃるお客様を、宗教のコーナーに案内した。
読ませたい日本人がいるので、イエス・キリストについて書かれた本を選んでほしいという。
キリストについて書かれた本なら、聖書のほうがいいんじゃないかと言うと
「もちろん聖書も買ってゆくけど、でももっと心を動かすような文章で書かれたものもほしいのよ」
その女性の話はこうだ。
72歳の日本人男性がいる。
その男性はとてもお金持ちなんだけれど、ものすごくケチ。
あんな石頭でイエスのことも知らずに死んだら、天国にはいけないから
自分が彼を変えてあげるのだ。
「1ドルだってケチるのよ。使い切れないほど持ってるくせに」
日本語が読めない彼女のために、なにか「心を動かすような本」を探す。
仕事だから探しているけど、心の中では「それは無理だな」と思っている。
他人は変えられない。
すると女性は私の心を見透かしたかのように
「人はなかなか変わらないわよ。変わるかどうかはその人の自由。
でも、変えてあげたいと思うのも人の自由よね」
と言った。
それはそうかもしれない。
変えてあげたいと思う人が、なにかを投げ入れるのは自由で、
それを掴むかどうかも、本人の自由だ。
「でもね、本は強烈よ。1冊の本が、人生を変えることもあるんだわ」
ああじゃない、こうじゃないと言いながら、本を2冊選んだ。
そしてとうとう、私が恐れていたことを彼女は聞いた。
「あなたの宗教は何?」
ここで嘘を言っても仕方あるまい。正直に答える。
「特定の宗教に入信しているわけではないんです」
こういう場面で、この話題になったときに、ほぼ100%の人が見せる表情を、
彼女はしてみせた。
あとのお楽しみで食べずにとっておいた好物が、食べないまま賞味期限が過ぎてしまったのを見たときのような。
濡れそぼって、ぺったんこにやせ細って見えるみじめな犬を見たときのような。
「私は誰?っていう問いかけを、人間はずーっとしてゆくべきよ。
その答えは、ジーザスが持ってる、天国に行くには、そのことを知らなければ」
私はあいまいに笑ってみせるしかない。
私のいる世界にだって私なりに神はいる。キリストだって本当にいたと信じているけれど
私は天国にいくために生きているのではないし、
天国だって、どこかにあるのかどうか怪しいものだ。あるとしたなら
天国も地獄も、肉体の世界も魂の世界も全部いっしょくたにあるといったほうが、私にはしっくりくる。
熱く語る彼女に、うっとうしさを感じつつも
自分がいいと思うもので、人を助けたいという善意に圧倒されもする。
彼女は実際、そのケチんぼじいさんのために、30ドル以上の本を買ったのだ。
私だったら・・・
良いと思うものを勧めたくても、うっとうしがられたら嫌だな、と思う気持ちが先にきてしまって
行動に移すのは難しいだろうと思う。
「本を選んでくれてありがとう、変えてみせるわ!」
元気良く彼女は店をあとにした。
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