太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

長い手紙

2014-09-10 08:54:21 | 不思議なはなし
私が、エンジェルセラピーのセラピストのところに通っていた頃のことだ。

彼女に会いに行き始めたのは、恋愛成就のためだったけれど、

通い始めて半年もしないうちに、その相手にあっさり振られてしまい、

目的は恋愛成就から、新たな人生を創り出す、という作業に向かっていった。

当時の私にしてみれば、創り出すというより、無から搾り出すような作業に思えたけど。



とにかく、彼女のおかげで(それと私の努力もね)、私は夫と出会い結婚した。

しかしゴールに見えたものの先には、また別のゴールがあるもので、

私にはまだまだ彼女の存在が必要だった。



セッションのたびに、宿題が出る。

それは簡単にできるものもあれば、難題もある。

私にとって最も高いハードルは、「母親」に関する宿題だった。



母とは何の問題もないと私は思っていたが、じつはそうではなかった。

母に関する宿題が出たとき、私は初めて彼女に向かって「できない」と言った。



「別に無理してやらなくてもいいですよぉ♪」



流産を繰り返していた時期でもあって、母になりたい私にとって

今これをこなすことは不可欠なのだろうと思ったし、

過去の経験から、宿題をこなせば、劇的に状況が変わってゆくのを知っていたから

弱音は吐いても、私はそれに果敢に挑んだ。



案の定、母とはバトル状態になり、

私は母に宛てて、長い長い手紙を書いた。

そしてその手紙を書きながら、いつかもこうして長い手紙を書いたことを思い出した。



前の夫と住んでいた家を出たあと、離婚を承諾しない相手に対して

私は長い長い長い手紙を書いたのだった。

便箋10枚以上にわたって書いたのは、すべて 悪口 。

10年余に及ぶ結婚生活で、何が嫌だったか、ということを書き出したら止まらない。

以前の私は、怒らないことが自分にとってのプライドで、

どんなことも丸呑みして、心のどこかに埋めて暮らしてきた。

それは私の母の生き方でもあって、母を尊敬し、母に認められたかった私は

母のように振舞うことで、母に近づけたような気がしたのだと思う。

しかしそれは、真実の私が喜ぶ生き方ではなかった。



私は何かの拍子に(それはまるで雷が落ちたような)、突然真実の自分に目覚めたといっていいだろう。

昨日までのすべてがむなしくなり、何かが違っているという思いは消えずに家を出たのだから。






今の夫には、私は何でもその場で言ってしまう。

カチンときたら、即座にそのことを伝え、その場で解決する(つまり夫に謝らせるわけね・・・ヒドイ)

前の夫にそんなことをしたら、何日も口をきかないという

私には最もつらいことになるし、何より嫌われて関係が壊れることが恐ろしかった。

でも、今の夫とは絶対に関係が壊れることはないという確信(思い上がりともいうけど)があって

私は安心して言いたいことを言える。

これがもし日本語が通じる相手であったら、あれもこれもきっと言いすぎてしまうだろう。

頼りない英語を駆使するぐらいでちょうどいい。

言葉の壁がある相手を私が選んだのは、潜在的にはこういう意味があったのかと思う。

うまくできてる。

すべては見事に完璧だ。









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