昔、地方のテレビ局で働いていた頃のことだ。
総務課の人が慌ててた様子で社長を探していた。
「社長なら○○にいらしたよ」
ついさっき、そこを通ってきたばかりの私がそう言うと、
「じゃあ社長にお迎えの車が待っていますと伝えてきて。
僕は車を東側出口に回すように言ってくるから。急いで!」
えー、なんでしがない美術部の私がー、と思ったけれど、
仕方がないので、社長を見かけた場所に戻った。
社長はまだ同じ場所にいて、制作の誰かと話していた。
私は礼儀正しく、「お話し中、失礼します」と言い、
「社長、お迎えが来ました」
と言った。
その瞬間、制作の人があきらかに狼狽し、私を睨みつけた。ように見えた。
社長は「あ、そう、ありがと」と言って廊下を歩き出した。
「お迎えは東側出口で待ってます」
私は気をきかせたつもりでそう言ったのだが、制作の人の顔は青白くなっていた。
「そりゃアンタ、年寄りにお迎えが来たなんて言ったらダメでしょうよ」
昼休みの食堂でその話をしたら同僚がそう言った。
「じゃあ何て言えばよかったのさ」
「お迎えの車が参りました、じゃないの?」
「なるほど。さすが4大出は違うね」
いや、どっちもどっちである。テレビ局で社長といったら殿上人で、
その殿上人を捕まえて「年寄り」という同僚もどうかと思う。
世間知らずの、アホな若者であった。
そんな話も、すっかり忘れていた。
職場に見える日本人のお客様と立ち話をしていたら、
「お迎えボクロができちゃってねえ」と言うのだ。
「な、なんですか、お迎えボクロって」
「知らない?お迎えがくる頃にできるホクロよ」
「そ、それはいったいいつできるの」
「そうねえ、だからお迎えがくる頃?」
黒いとは限らないらしい。
スキンタグだなんだと騒いでいたが、あれはもしかしたら
もしかすると、ソレなのではなかろうか。
なんてこった。
いつの間にか、お迎えの言葉にドキリとする年齢になっていたのか?
こうしちゃいられん。
なんだか焦る。
どうやってウルトラハッピーな人生にしようかとばかり思っていたけれど、
今もそれはそうだけれど、どこか心の片隅で、
どうやって人生を閉じるのだろう、という思いがボンヤリと生まれていることに気付く。
私の思考が私の人生を創っているのなら
生き方と同じように、ウルトラハッピーな終わり方も設定しておいたほうがいいかもしれない。
お墓はいらないから散骨にしようとは決めてあるが、
人はいきなり骨にはならないのであった。
私の肉体が骸になる過程というものがあり、そのあとの様々な手続きを経て
ようやく骨になるのだ。
・・・・めんどくさいな。
考えてみたら、自分がどうやって終わるかよりも、夫が終わったあとどうするかのほうが面倒になってきた。
日本ならともかく、ここはアメリカだし。
頼れる子供もいないし。
じゃあ私にできることは一つしかないじゃないか。
「体に気をつけて私より1日でいいから長生きしてね」
私は夫によくよく言い聞かせている。
彼は私よりも8歳若いし、夫の祖父母は88ぐらいまで生きたし、
うまくすればうまくいくかもしれない。
なにしろ私はしぶとく90ぐらいまでいっちゃいそうだからなあ。
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総務課の人が慌ててた様子で社長を探していた。
「社長なら○○にいらしたよ」
ついさっき、そこを通ってきたばかりの私がそう言うと、
「じゃあ社長にお迎えの車が待っていますと伝えてきて。
僕は車を東側出口に回すように言ってくるから。急いで!」
えー、なんでしがない美術部の私がー、と思ったけれど、
仕方がないので、社長を見かけた場所に戻った。
社長はまだ同じ場所にいて、制作の誰かと話していた。
私は礼儀正しく、「お話し中、失礼します」と言い、
「社長、お迎えが来ました」
と言った。
その瞬間、制作の人があきらかに狼狽し、私を睨みつけた。ように見えた。
社長は「あ、そう、ありがと」と言って廊下を歩き出した。
「お迎えは東側出口で待ってます」
私は気をきかせたつもりでそう言ったのだが、制作の人の顔は青白くなっていた。
「そりゃアンタ、年寄りにお迎えが来たなんて言ったらダメでしょうよ」
昼休みの食堂でその話をしたら同僚がそう言った。
「じゃあ何て言えばよかったのさ」
「お迎えの車が参りました、じゃないの?」
「なるほど。さすが4大出は違うね」
いや、どっちもどっちである。テレビ局で社長といったら殿上人で、
その殿上人を捕まえて「年寄り」という同僚もどうかと思う。
世間知らずの、アホな若者であった。
そんな話も、すっかり忘れていた。
職場に見える日本人のお客様と立ち話をしていたら、
「お迎えボクロができちゃってねえ」と言うのだ。
「な、なんですか、お迎えボクロって」
「知らない?お迎えがくる頃にできるホクロよ」
「そ、それはいったいいつできるの」
「そうねえ、だからお迎えがくる頃?」
黒いとは限らないらしい。
スキンタグだなんだと騒いでいたが、あれはもしかしたら
もしかすると、ソレなのではなかろうか。
なんてこった。
いつの間にか、お迎えの言葉にドキリとする年齢になっていたのか?
こうしちゃいられん。
なんだか焦る。
どうやってウルトラハッピーな人生にしようかとばかり思っていたけれど、
今もそれはそうだけれど、どこか心の片隅で、
どうやって人生を閉じるのだろう、という思いがボンヤリと生まれていることに気付く。
私の思考が私の人生を創っているのなら
生き方と同じように、ウルトラハッピーな終わり方も設定しておいたほうがいいかもしれない。
お墓はいらないから散骨にしようとは決めてあるが、
人はいきなり骨にはならないのであった。
私の肉体が骸になる過程というものがあり、そのあとの様々な手続きを経て
ようやく骨になるのだ。
・・・・めんどくさいな。
考えてみたら、自分がどうやって終わるかよりも、夫が終わったあとどうするかのほうが面倒になってきた。
日本ならともかく、ここはアメリカだし。
頼れる子供もいないし。
じゃあ私にできることは一つしかないじゃないか。
「体に気をつけて私より1日でいいから長生きしてね」
私は夫によくよく言い聞かせている。
彼は私よりも8歳若いし、夫の祖父母は88ぐらいまで生きたし、
うまくすればうまくいくかもしれない。
なにしろ私はしぶとく90ぐらいまでいっちゃいそうだからなあ。
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