太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

お迎え

2015-07-26 15:31:54 | 日記
昔、地方のテレビ局で働いていた頃のことだ。

総務課の人が慌ててた様子で社長を探していた。

「社長なら○○にいらしたよ」

ついさっき、そこを通ってきたばかりの私がそう言うと、

「じゃあ社長にお迎えの車が待っていますと伝えてきて。

僕は車を東側出口に回すように言ってくるから。急いで!」

えー、なんでしがない美術部の私がー、と思ったけれど、

仕方がないので、社長を見かけた場所に戻った。

社長はまだ同じ場所にいて、制作の誰かと話していた。

私は礼儀正しく、「お話し中、失礼します」と言い、

「社長、お迎えが来ました」

と言った。

その瞬間、制作の人があきらかに狼狽し、私を睨みつけた。ように見えた。

社長は「あ、そう、ありがと」と言って廊下を歩き出した。

「お迎えは東側出口で待ってます」

私は気をきかせたつもりでそう言ったのだが、制作の人の顔は青白くなっていた。




「そりゃアンタ、年寄りにお迎えが来たなんて言ったらダメでしょうよ」

昼休みの食堂でその話をしたら同僚がそう言った。

「じゃあ何て言えばよかったのさ」

「お迎えの車が参りました、じゃないの?」

「なるほど。さすが4大出は違うね」

いや、どっちもどっちである。テレビ局で社長といったら殿上人で、

その殿上人を捕まえて「年寄り」という同僚もどうかと思う。

世間知らずの、アホな若者であった。



そんな話も、すっかり忘れていた。

職場に見える日本人のお客様と立ち話をしていたら、

お迎えボクロができちゃってねえ」と言うのだ。

「な、なんですか、お迎えボクロって」

「知らない?お迎えがくる頃にできるホクロよ」

「そ、それはいったいいつできるの」

「そうねえ、だからお迎えがくる頃?」

黒いとは限らないらしい。

スキンタグだなんだと騒いでいたが、あれはもしかしたら

もしかすると、ソレなのではなかろうか。


なんてこった。


いつの間にか、お迎えの言葉にドキリとする年齢になっていたのか?

こうしちゃいられん。

なんだか焦る。

どうやってウルトラハッピーな人生にしようかとばかり思っていたけれど、

今もそれはそうだけれど、どこか心の片隅で、

どうやって人生を閉じるのだろう、という思いがボンヤリと生まれていることに気付く。

私の思考が私の人生を創っているのなら

生き方と同じように、ウルトラハッピーな終わり方も設定しておいたほうがいいかもしれない。


お墓はいらないから散骨にしようとは決めてあるが、

人はいきなり骨にはならないのであった。

私の肉体が骸になる過程というものがあり、そのあとの様々な手続きを経て

ようやく骨になるのだ。



・・・・めんどくさいな。


考えてみたら、自分がどうやって終わるかよりも、夫が終わったあとどうするかのほうが面倒になってきた。

日本ならともかく、ここはアメリカだし。

頼れる子供もいないし。

じゃあ私にできることは一つしかないじゃないか。




「体に気をつけて私より1日でいいから長生きしてね」



私は夫によくよく言い聞かせている。

彼は私よりも8歳若いし、夫の祖父母は88ぐらいまで生きたし、

うまくすればうまくいくかもしれない。

なにしろ私はしぶとく90ぐらいまでいっちゃいそうだからなあ。








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