太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

心の声

2016-01-23 21:25:20 | 不思議なはなし
夫がスーパーでかいスーツケースを2個持って日本に行ったのは、

2006年の年明け早々だった。

夫の初恋の人は、子供の頃に隣に住んでいた、日本人の奥さんで、

最初に結婚した相手も、日本人のハーフだった。

ものごころついたころから、日本に縁があった彼だけれど、

だからといって、日本に住むということは考えたこともなかったという。



ワイキキで、通りすがりの日本人旅行者に道を聞かれたのがキッカケで

その人達と連絡を取り合うようになり、友達になって、行き来が始まり、

日本に遊びに行ったのが2005年。

とても楽しく過ごし、帰りの成田空港でフライト待ちをしていたとき、

ふと取り出した手帳のページいっぱいに、大きなハートを描かされた。


描かされた、というのは、

それは夫の意思ではなく、描こうと思っていないのに、勝手に手が動く。

ペンは意思に反して動き続け、そのハートをきれいに塗りつぶして、ようやく止まった。



そしてハワイに戻ってから、夫は心の声を毎日聞くことになる。



「日本に行け  日本に行け」



仕事をしていても、寝ていても、心の声は止まらない。

確かに友達はできたけれど、日本語も話せず、日本にコネも当てもない。

ハワイにはちゃんとした仕事も、自分の持ち家も、車もあって、

それらをすべて切り捨てて日本に行って、どうしろというのか。

仕事は、住むところは?


心の声と押し問答すること数ヶ月。


あまりのしつこさに、半ばヤケになった。

そこまで言うならやってやるよ、やりゃーいいんだろう。

仕事を辞め、車を売り、ホノルルにあったコンドミニアムは人に貸した。



年明け早々に日本に降り立った夫は、友達の家に泊めてもらいながら仕事探しを始めた。

そして就職したのが3月、

会社が持っているアパートに引越し、新しい街を探検し、

仕事にも慣れてきた6月、私と出会った。

そのきっかり半年後、私たちは結婚したのだった。




日本に来る前にハワイで働いていた時、彼は幸せではなかったという。

不満はたくさんあって、ウツの薬を飲んでもいた。

しかし、それをやめて、見知らぬ国へ行くことは怖いことに違いない。



もっと恐ろしいことが起こるよりは、このプチ不幸のままのほうがいい。



きっと多くの人が(もちろん私も)、そうやって、変わることを怖れてしまう。

心の声を知りながら、それができない理由を並べたてて、無視しようとする。

体ごと押し開けたドアの向こうに、泥の水溜りがあるんじゃないかという疑いに負けてしまう。



「日本に来てくれてありがとう、大きな決断だったよね?」

いつかそう言ったことがある。すると夫は、

「ぜーんぜん、簡単だよ♪」

と笑った。

その話をすると、当時を知る友人は目を丸くして言った。


「違う違う、ぜんぜん簡単じゃなかったよ。

飲んだくれては愚痴愚痴言ってたよ、仕事がなかったらどうしようだとかさー」


やっぱりね。

そうだと思う。それが普通だ。



何かが変わる、変わる決断をしなくてはならないとき、

私はいつも夫のことを思う。

そのときのことを聞きたいと思うのだけれど、

夫はほんとうに忘れてしまったのかどうなのか、

「ぜーんぜん、簡単だったよ」

と笑うばかりで、何の参考にもならないのである。







にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村