高校を卒業するまでは、かなり狭い世界で生きていたと思う。
友人達が抱えている悩みも、欲しい幸せも、知り合う人の種類もたいてい似たようなものだった。
大学生になり、社会人になり、世界はどんどん広がり、また複雑になっていった。
自分の家族を持ち、幸せも不幸も、それぞれ違ってゆく。
ある程度生きていたら、それは当然だろうし、けれど私の世界はもう極端に広がることもないのだろうと
どこかでタカをくくっていた。
ところが、人生を折り返しても尚、私の世界はめまぐるしく変わり続けている。
昨年、ワイキキのギャラリーで働いていた時、姉の友人が訪ねてくれたことがあった。
私と姉は同じ中学高校で、同じブラスバンドに所属していた。
姉はその時代の友人5人といまだに頻繁に行き来をしており、訪ねてくれたTさんもその一人だ。
懐かしい話や近況話の中で、Tさんが小さく叫んだ。
「えっ!!シロがハワイに移住したのって 47才のとき だったのッ!!!!」
「そうだよ、なんで?」
するとTさんは口に両手をあてて言った。
「だめだ、私はできない・・・その年齢でそんなに人生変えるなんて、とてもできない・・・」
私だって、他人のこととして聞いたらそう思うかもしれない。
でも、寄せてくる波にしかたなしに乗っていったらこうなっただけのことで、
まさか自分の人生で、こういうことが起こるなど夢にも思っていなかった。
「あんた、英語得意だったっけ?」
「ぜーんぜん。夫と結婚したとき、『Are you sure?』って英語がわかんなくて辞書引いてたよ」
「・・・バカかスゴイかどっちかだワ・・・」
褒めてくれたということにしておく。
そんな私も、最初の1年は殻にこもっていた。
47年馴染んだ私の世界は遥か日本にまだあって、私は新天地で何ひとつ一人でできない存在のように思っていた。
実際、郵便局にすら一人で行けないのだ。
知り合いといえば郵便配達人のスタンと、夫や夫の両親を介する人たちだけ。
このブログの最初のほうを読めば、その世界の狭さがわかる。
いつかは私を中心とした社会を築きたいと強く思ってはいたけれど、怖いから先延ばしにするばかり。
英語をなんとかしてから仕事を探そうと、英語が第二言語の人向けのクラスに申し込もうとしたら
政府の予算不足でクローズしていた。
英語も話せないのにガイジンと結婚した私が、仕事のために英語を習おうだなんて笑える。
そんなものは何もしなくていいための、言い訳でしかなかった。
今は、日本人は私だけという職場で働き、つい先週、ビジネスライセンスも取得した。
本腰を入れて、アートも仕事にしていこうというのである。
職場といえば、最近、レズビアンの同僚が増えた。
前の職場にはゲイの人たちがいたけれど、レズビアンは初めてだ。
彼女(彼)は男役なので、呼び名も扱いもふるまいも男。でも女。だけど男。
私の中にある、さまざまな概念が、すごい速さでその形や色を変えてゆく。
姉が時々、日本のニュースをメールで送ってくれる。
お盆休みの渋滞や甲子園、安倍政権や北朝鮮。
ああそうだったなと懐かしく思うが、それは蚊取り線香や蚊帳、蛍の思い出と同じぐらい遠くにある。
小学校6年のとき、泳げないのに白帽に黒線2本(クロールで25m泳げるのが黒線2本)だった不思議さで
私は外国という世界にいる。
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友人達が抱えている悩みも、欲しい幸せも、知り合う人の種類もたいてい似たようなものだった。
大学生になり、社会人になり、世界はどんどん広がり、また複雑になっていった。
自分の家族を持ち、幸せも不幸も、それぞれ違ってゆく。
ある程度生きていたら、それは当然だろうし、けれど私の世界はもう極端に広がることもないのだろうと
どこかでタカをくくっていた。
ところが、人生を折り返しても尚、私の世界はめまぐるしく変わり続けている。
昨年、ワイキキのギャラリーで働いていた時、姉の友人が訪ねてくれたことがあった。
私と姉は同じ中学高校で、同じブラスバンドに所属していた。
姉はその時代の友人5人といまだに頻繁に行き来をしており、訪ねてくれたTさんもその一人だ。
懐かしい話や近況話の中で、Tさんが小さく叫んだ。
「えっ!!シロがハワイに移住したのって 47才のとき だったのッ!!!!」
「そうだよ、なんで?」
するとTさんは口に両手をあてて言った。
「だめだ、私はできない・・・その年齢でそんなに人生変えるなんて、とてもできない・・・」
私だって、他人のこととして聞いたらそう思うかもしれない。
でも、寄せてくる波にしかたなしに乗っていったらこうなっただけのことで、
まさか自分の人生で、こういうことが起こるなど夢にも思っていなかった。
「あんた、英語得意だったっけ?」
「ぜーんぜん。夫と結婚したとき、『Are you sure?』って英語がわかんなくて辞書引いてたよ」
「・・・バカかスゴイかどっちかだワ・・・」
褒めてくれたということにしておく。
そんな私も、最初の1年は殻にこもっていた。
47年馴染んだ私の世界は遥か日本にまだあって、私は新天地で何ひとつ一人でできない存在のように思っていた。
実際、郵便局にすら一人で行けないのだ。
知り合いといえば郵便配達人のスタンと、夫や夫の両親を介する人たちだけ。
このブログの最初のほうを読めば、その世界の狭さがわかる。
いつかは私を中心とした社会を築きたいと強く思ってはいたけれど、怖いから先延ばしにするばかり。
英語をなんとかしてから仕事を探そうと、英語が第二言語の人向けのクラスに申し込もうとしたら
政府の予算不足でクローズしていた。
英語も話せないのにガイジンと結婚した私が、仕事のために英語を習おうだなんて笑える。
そんなものは何もしなくていいための、言い訳でしかなかった。
今は、日本人は私だけという職場で働き、つい先週、ビジネスライセンスも取得した。
本腰を入れて、アートも仕事にしていこうというのである。
職場といえば、最近、レズビアンの同僚が増えた。
前の職場にはゲイの人たちがいたけれど、レズビアンは初めてだ。
彼女(彼)は男役なので、呼び名も扱いもふるまいも男。でも女。だけど男。
私の中にある、さまざまな概念が、すごい速さでその形や色を変えてゆく。
姉が時々、日本のニュースをメールで送ってくれる。
お盆休みの渋滞や甲子園、安倍政権や北朝鮮。
ああそうだったなと懐かしく思うが、それは蚊取り線香や蚊帳、蛍の思い出と同じぐらい遠くにある。
小学校6年のとき、泳げないのに白帽に黒線2本(クロールで25m泳げるのが黒線2本)だった不思議さで
私は外国という世界にいる。
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