太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

2017-08-30 18:34:30 | 日記
友人同士で、

「私が若作りしていたら言ってね」

「私こそ、イタかったら言ってよね」

と言い合った時代があった。

あの時はまだ、私達は中途半端にでもじゅうぶんに若かった。

その時代は、洋服を買う時、何を着ればいいのかわからなくて迷う。

おばさんにはなりたくない、かといって若作りするのは切ない。

『○○才を過ぎたら、前髪を額におろすのは恥ずかしい』

そんな不特定な誰かの書いた言葉にも、簡単に動揺する。

髪型にも、靴にも、若さという点で決定的な違いがあるような気がして、

そうなってくると、服だけじゃなく、髪型も靴もバッグも、どうしていいかわからない。

友人とショッピングに行って、

「ここって私らの娘ぐらいの子が来る店じゃない?」と不安になり、

娘のものを買うふりをしたこともあった。



老いと若さがせめぎあう、ちょうど寒流と暖流のいりまじったあたりで右往左往する私達は

この先ずっとこんなふうに迷いながら生きるのかと、先が思いやられた。




しかし、それは取り越し苦労だった。

暖流を抜けて、すっかり寒流の中に入ると、つまりすっかり若くなくなると、あの迷いは何だったのかと思う。

気がつけば、年齢を考えて服を買うことも、髪型を決めることもまったくなくなった。

娘ぐらいの年齢の人に混じって買い物するのもへいちゃらだ。

あんなに恐れた「若作り」も、今となればそれがどうした、と思う。

でも、たとえ待ち合わせ場所に来た友人が若作りしていても、それを指摘はしない。

イタイ友人に、「ちょっとイタイよ」と言えるわけがない。

イタイのはお互い様で、だから私のことも見逃してほしいと思う。




「いつからこんなにラクになったかねぇ」



ハワイに住む、同い年の友人に言うと彼女は

「それはここが日本じゃないからでしょ。日本じゃ、少なくともそんな花を頭につけて歩けないでしょうよ」

と、私が頭につけた手のひら大のハイビスカスを指して言った。

50を過ぎて、頭に大きな花をつけていたら、後ろ指を差されるのだそうだ。

そういえば、ハワイに来た友人達がブティックで、私にしてみれば何の抵抗もなく着られるサンドレスを

「すごくいいけど、日本では着られない」

と言って買えずにいるのを何度も見た。

日本という場所は、そんなふうに窮屈だっただろうか。

私が日本で、これから自分がさしかかる「老い」という坂を前に迷いに迷っていたのも、

そういう日本特有の空気のせいだったんだろうか。




とにかく、迷いの峠は越えた。

着たいものを着て、持ちたいものを持って楽しく生きよう。






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友 来たりて 浦島太郎

2017-08-30 07:35:38 | 日記
友人Nが、日本から末娘を連れてやって来た。

Nは、テレビ局で働いていた時の同僚で、30年来の付き合いになる。

バブルの終わりの、まるでお祭りの最終日のようなふわふわ感が世の中に満ちていたあの時代、

私達は仕事のあと、Nの母親がやっているバーに飲みに繰り出してはバカをやっていた。



30年余りの間、私達はつかず離れずの距離にいる。

私が日本に行けば日本で、彼女がハワイに来ればハワイで、時間をやりくりできれば会う。

予定が決まった時に連絡するだけで、それ以外は特に頻繁にメールをしあうこともなく、会った時にまとめて話す。

その淡白さが心地よい相手なのである。





昔から、私はいつもNの物怖じをしないところに感心しているのだけれど、

それは今も変わらず、そして娘はそのNのDNAをそのまま受け継いでいる。

「できなかったらどうしよう」

「だめだったらどうしよう」

という、「~だったらどうしよう」という思考が、Nには欠如している。

だから、やっつけでどんどん英語を話す。

変でも通じなくても、ぜーんぜん平気だ。

道を知らなくても、思いつきでレンタカーを借りる。

ガソリンの入れ方を知らないので、その場にいた人に手振りで聞いて何とかする。

私だって結局は道に迷っているし、最初の頃はガソリンがうまく入れられなくて近くの人に聞いたけれど、

私なりに万全を期して行動しているつもりなので、Nのように最初から「なんとかなる」というのとは違うのである。



さて、ランチに入った店で、

「えっ、インスタグラム知らないの?」

Nの娘が素っ頓狂な声で言った。

「なにそれ」

娘は親切に説明してくれた。

日本の友人と会うと、いろんな情報がもらえるなァ。

「あのさー、これって情報なんてもんじゃないよ、みんな知ってることだよ」

「私以外はね。東京でオリンピックやるのだって、去年の初めあたりに知ったんだから」

「・・・・・・・」

Nの娘が、ホテルのプール行ったんだそうである。

「寒くなったからジャグジーに入ろうと思ったら、 リアジュー なカップルがいてさあ」

「え、誰が?」

「リアジューカップルが」

「え、なにカップルが?」

とっても幸せそうなことを、リアジューというそうだ。



なるほどね。

ここは竜宮城か。

日本にいた時でさえ情報に疎かったのだから、仕方がない。

日本にいなくても、ちゃんと情報に乗っていける人たちがたくさんいるのも知っているけれど。




ランチの精算をする段になって、Nはバッグからジップロックを取り出した。

いつもそうだ。お金もカードもみんなそこに入っている。

何年か前に、「まさかそれを日本でも使っているんじゃ・・・」と聞いたら曖昧に笑っていた。

Nの家はかなりの資産家である。

買い物するとき、値札を見ないで買う。

でもブランド品だからといって買うことはないし、日本ではママチャリで走り回る(ちゃんとした車がある)。

自分も、物もスタイルも、その価値は自分で決める。

Nは何も変わってない。



Nの娘が、アメリカのティーンエイジャー雑誌を広げて

「ね、この人イケメンだと思わない?」

と言ったので、

「イケメンって言葉、まだ使えるんだね」

私が言うと、

「シロ、よかったね!シロが知ってる言葉が、まだあったじゃん!」

イケメンという言葉は、新しい日本語として定着してゆくのだろうと浦島太郎は勝手に思っている。








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