太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

友がみなわれよりえらく見ゆる日は

2017-11-23 19:34:16 | 日記
今日は11月の第4木曜で、サンクスギビングデーだ。

名前のとおり収穫に感謝する日。

日本でいうと正月みたいなもので、遠く離れている家族が集まって食事をする日であり、

正月はあっさりと過ごすアメリカ人だが、この日は特別だ。

夫の両親がシアトルに行くので、私達は一足早くサンクスギビングのディナーを囲んだ。(その記事はコチラ

私は仕事が休みで、夫と二人で一日中、家の外に出ずに過ごした。

日本人の私が、サンクスギビングは普通の日と変わらないのはいいにしても、

アメリカ人の夫まで、まったくこだわっていないというのはおもしろい。


外は、晴れ間が見えたかと思うと雨が降り、また晴れては曇るというような天気で

家で過ごすにはぴったり。

今日も、暖炉に火を入れた。





火を見ていると、落ち着く。

ちょっと、瞑想。



「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻といたしむ」



なんだこれ。

石川啄木の歌が川上から流れてきた。

カラ元気でも、笑っているほうがいい。

状況の良い面だけにフォーカスすればいい。

最悪ってわけじゃない。

だけど、人はごまかせても自分だけはごまかせない。

人をうらやむ気持ち、自分が小さくみえる気持ち、それは消しても消してもそこにある。

いや、消すから、そこにある。

その気持ちがあることに気づきながら、気づかないふりをするのはイライラする。

イライラ度でいうと、子供がおもちゃの笛を「ヒュー、ヒュー」とだらだらと吹き続けているのを聞いているぐらいの。



しあわせってなんだっけー。



先月、日本に行って帰ってきたら、頬の目立つところにシミができた。

このシミがなかった2ヶ月前の私は、今よりも幸せだったろうか。

夫がちゃんとした仕事をしている頃の私は、今よりも幸せだったろうか。

前に比べたら、ちゃんとした仕事じゃないけど、夫が仕事をしている頃の私は、今よりも幸せだったろうか。

そうじゃない。

状況を私がどう感じるかで、いつだって簡単に幸せにも、不幸せにもなれる。

どんなにあの時は最高だった、と思うような時でも、不幸せはたくさんあった。

幸せは、私が決める。

幸せも、不幸せも、私が選ぶことができる。

状況だけでいったら、夫が今無職でも、特段困らずに笑っていられる私はすごい幸せなんじゃないか。


だから今、私はやっぱり幸せであることを選ぶ。

でも、それと、心の隅でくすぶる気持ちはまた別だ。


「友がみなわれよりえらく見ゆる日は・・・」


私は心の河の真ん中に立って、流れてくるその歌を体全体で受け止める。

ネガティブがあっても、いい。

ネガティブにならないことがポジティブではなくて、ネガティブがあっていいと認めることが、ほんとのポジティブ。

たぶんね。



シアトルにいる夫の両親と兄が、電話をしてきた。

離れた場所に住む叔母たちも、それぞれに電話をくれた。

私は日本にいる母に電話をかけた。

たまに不幸な気分になるだけで、私が不幸だったことはない。











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