太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

卒業・吉沢京子

2017-12-19 07:36:07 | 日記
職場でレジスター担当の日、カナダから来たお客様が

「普段は朝起きるのが辛いのに、旅行中だとなぜだか早くに目が覚めるのよねー」

と言うので

「そういうもんですよね。ちなみに今朝は何時に起きました?」

と聞いた。

「カナダでは6時にいやいや起きてるけど、今日は6時ちょっと前にはパッチリ目がさめたわ」

すると、それを聞いていた女性が(カナダの人とはまったく他人)

「6時なんて早かないわよ、私はいつも4時に起きてるわ」

と、無表情に、まるで言葉をちぎって放り投げたような言い方で言った。

カナダ人のお客様と私は、目を見合わせて黙ってしまった。




しかし私はその時、ドキリとした。

その4時起きの女性は、まるで私のようだったからだ。

10年以上前のことになるが、芸能人たちが公開悩み相談をするというテレビ番組を見ていた。

若い人は知らないだろうけど、おとなしめで、ぽっちゃりとした吉沢京子さんという女優がいて、

その人が

「私はすごく苦労をしてきているのに、いつも人からはそうは見られないんです。何の苦労もなくていいわねって、それが嫌なんです」

と言った。そういえば吉沢京子さんは、どこか薄幸ぽい雰囲気をかもしだしていた。

それに対してどんな回答があったかは忘れてしまったが、私はテレビの前で

「苦労してないのに苦労しているような顔しているよりずっといいじゃないか、何が不満なんだ!」

と一人いきまいていた。

けれど、不幸自慢をしたい気持ちが、私の中にまったくないかといったらそうではなかった。

だからこそ、吉沢京子さんの発言が私の心を逆撫でしたのだろう。




私なんぞ、ただちょっとめんどくさく大変な程度のことを、まるで我が誇りのように思っていて手放さない。

あえて人に言うことはないにしても、私は確かにそういうところがある。

「なんの苦労もなくて幸せでいいわね」

と言われたとしたら、なにか言い返したい気持ちになるかもしれない。

どんなに幸せになりたいと願っていても、

苦労が自慢になるうちは絶対に、願ったような幸せにはならない。

自分の潜在意識が、苦労に価値があると信じているのだから

そういう意味では願いどおりになっている、とはいえるけど。



それでも私はずいぶんマシにはなってきた。

でも、6時起きより4時起きの自分のほうがもっと苦労していることを言いたいその女性に

ドキリとするのは、まだ私の中にそれが残っているのだろう。

いかん、いかん。

苦労にはなんの価値もない、ない。

苦労がなさそうでいいわね、と言われたら、えへらえへらと笑っていられる私になろう。











 にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村